ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち 岡本 裕一朗 ナカニシヤ出版 Amazon / 7net |
セラーズとその弟子ブランダム、マクダウェルといった哲学者について調べたり、著作(セラーズの「経験論と心の哲学」以外は邦訳がないのだが)を読ん・・・いや、読もうとしたりしているうちにたまたま見つけたのがこの本である。実際、この本の第11章の見出しを目次から抽出してみると、
第11章 ヘーゲルは分析哲学に敗北したか
1 帰ってきたヘーゲル
ローティによるヘーゲル評価/セラーズのヘーゲル主義/ヘーゲル研究の隆盛
2 プラグマティズムと観念論
ブランダムの「哲学革命」/ヘーゲルはプラグマティストか/承認論への着目
3 マクダウェルからヘーゲルへ
マクダウェルとヘーゲル/「所与性の神話」批判/
ネオ・ヘーゲル主義のピッツバーグ学派/ヘーゲルを復興せよ!
こんなカンジである。売られている本では一番大きく扱っているくらいのものではないだろうか。そうでもないのか。とにかくセラーズやマクダウェルを読もうとするからにはヘーゲルを読まなくてはいけないようである。そしてこの本の全体は、ヘーゲル入門ではなく、従来ヘーゲル哲学に関して普通にそう見なされて来た理解や読解のたいていが、ほとんど「神話」的な誤りに満ちていることを指摘している本なのである。
たとえば有名な「主人とドレイの弁証法」にしても、ヘーゲルは「精神現象学」その他の中で「主人がドレイに、ドレイが主人になる」ようなシナリオも哲学もまったく述べていない、と言ったら閲覧者は驚くだろうか。驚くのなら(この著者の説や、あるいはこの本で紹介されている説に同意するのであれしないのであれ)絶対にこの本は読むべきである。読まなければ駄目である。なぜならそれらがいわゆる誤読ではなく、都市伝説ならぬ哲学伝説というべき「神話」だからである。
ところでこの本の著者の名前には見覚えがあった。何だっけと思って奥付を見たら、著者はネーゲルの哲学入門「哲学ってどんなこと?」の共訳者のひとりであった。左のリンクにある通りその本はこのblogを開設して間もないころに紹介した本である。今見たら当時は訳者名を入れてなかったんだなw