惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

魂はあるか

2010年09月28日 | チラシの裏
以前にアリストテレスの「友情とは二つの肉体に宿れる一つの魂である」を引いた。わたしがこの言葉を知っているのは哲学マニアだからではなく(実際、マニアというほど個々の哲学者の言を知らない)、いつぞや触れた鴨川つばめのマンガ「DタウンCロック」で引用されていたのが、三十年の間ずっと印象と記憶に残ってきたものである。

もちろん自然科学として見られた世界に魂などはない(燐光だとかプラズマだとかいうのは人魂という物質的な現象のハナシであって、ここでいう魂のことではない)。だが、哲学の場合は、少なくともまず、それがあってはいけないということはない。あると確信している人がいるなら、その人にの世界においてあるのはもちろん、そうした確信を持つに至るものと、少なくとも類似した機構がたいていの人の中にあるものと、まずは考えてみた方が、哲学としてはむしろ安全である。

科学的には実在でもなければ実在の振る舞いでもないものが主観の上では存在するなら、それは妄想というのではないか、と、たいていの人はまずは顔を顰めるであろう。確かに妄想である。けれどもそれを言うなら人間という概念が科学においては成り立たないから、たいていのことは全部妄想である。あなたはあなた自身が存在すると確信しているだろうし、その確信に沿ってあらゆることを言ったりやったりしているだろうが、魂のない世界からはいつでもこう告げることができる。


この煽りコラ画像の傑作は、主観的に押し出されたところを持つ限りあらゆる言葉や態度を傷つけることができるように思える。あるいはまた、このコラ画像を突き付けられた人が自身の内側で何かが打ち消されるように感じるとしたら、打ち消されたものはそれ以前に存在したはずだとも言える。

作者はなんでわざわざ別のマンガのネームを切り抜き、(たぶん)元絵から瞳のハイライトを消した上で「ゆのっち」に貼り付けることを思いついたのか、よくわからないが、よくも思いつくものだと感心してしまう。

(つづく)
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