惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

THN1-3-11b

2011年09月15日 | THN私訳
3-11 偶然の半知識(承前)

さらにここで注目すべきことは、偶然性と因果性は端的に反対であるにもかかわらず、偶然のうちには原因が混在し、ある部分での必然性と他の部分での全体的な無差別性とが連結していると考えなければ、一方の確率が他方の確率を上回るために必須な偶然(等確率の根源事象)の組み合わせということを思うことはできない、ということである。偶然を制限する何物もないところでは、どんな途方もない空想の思いつきであろうと、すべて平等な立場に置かれる。一方が他方に優先するというようないかなる条件も存在しえない、ということである。けれども、たとえば「サイコロを投げる」「サイコロの形は変わらない」「サイコロはひとつの面を下にして静止する」こうしたことのひとつひとつに何らかのわけ(原因)があると認められなければ、確率法則に関する計算を行うことはできないわけである。だが、これらの原因が作用するという仮定を置く一方で、ほかのすべては無差別的であり、偶然によって決定されるという仮定を置くならば、より大きな確率を持つ偶然(等確率の根源事象)の組み合わせという考えにたどりつくことは容易である。たとえばサイコロ(立方体)の4つの側面に同じ印をつけ、残りのふたつの側面に別の印をつける。そうするとそのサイコロ(立方体)は、上述の(確率における)優越に関する明らかな実例を与えることになる。この場合、心は事象の数と質(quality)については、さまざまな原因によって厳密に(precise)限定される。と同時に、どの特定の出来事が選択されるか(どの目が出るか)ということについては決定されないのである。

(つづく)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 低速抑鬱入門(2) | TOP | ○○少女まどか☆マギカ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | THN私訳