瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

自分という存在

2018-12-12 04:51:25 | 随想
目覚めて思う。
あの人はオレだったのか。

夢の中で私は偉そうに自説を述べる。その自説を有無を言わせず相手に押し付ける。相手のことなんぞ斟酌しない。

酷いものである。
こうはなりたくない、というひとつの人物像。

こういう人、身近に接することがある。ああ、嫌だ嫌だ。あんなんにはなりたくねー、と思ったりする。
が、実は私がそうなのであった。

夢ではある。夢ではあるが確かに私はその状況に置かれればそのように振る舞うであろう。夢という非現実ではなく、実際に起こり得る現実である。

周りにいる人たちは自分の反映なのであろう。自分の一部といっていい。自身、自覚のないある側面である。
縁あって付き合っている人たちだ。自分という存在と無関係に存在していようはずはない。

自分の内に在るものが顕在化する。内にない、無関係なものは顕在化しない。自分が世界を形作っているからである。空なる世界を色なる世界に変換するのは自分である。

意識される自分より無意識のほうが広大なのであろう。ならば、自分を取り巻く世界はほぼ無意識である。自分の内であるという自覚がない。

周りに自分と無関係なことなんてないのである。あれもそれも自分のある側面の反映だ。
嗚呼、自分とはこのような存在であったのか。

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