瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

誰(た)がために

2015-11-18 12:36:38 | 随想
他(ひと)のためにする行為、その行為者とその行為を受ける者。どちらがより益を受けるかというと行為者じゃないかしら。

て、この書き方じゃ分かりにくいよねえ。
たとえば教えるという行為。教えるのは教えを乞うている人のためにするわけだ。自分のためじゃないよね。で、その行為で誰が益するか。当然、教えを乞うた人、教えてもらった人だわね。でもね、実は教えた人、その人自身が教えてもらった人より益しているんじゃないかしら。他に教えるにはまず自分がしっかり理解できてないと話にならんわけで、教える以前に自ら勉強してなきゃならん。他のために勉強するわけだけど勉強するってのは結果的に自分のためになる。
で、教えるという行為においても教えてもらってる人はいろいろと質問をするわけで、その質問に答えているうちに教えている人の理解もより深まる。
教えを乞うた人のためになされる行為は誰に最も益するか。それは教えを乞うた人ではなく、教えてる人なのよ。

たとえば他のために料理する。料理する人、食べる人。どちらが多くのものを得ているか。料理する人のほうが断然料理について考えるわけで、その行為で得るものが多いのは食べてただ美味しいと言ってるだけの人ではなく、料理して食べてもらう人のほうなのよ。

他のためになされる行為の真の受益者は行為を受ける者ではなく行為する者なのよ。

と、考えるとだねえ、このブログだってそうなのよ。これは誰かのためになれば、読んでくれた人のためになればと思って書いてるわけ。でも実はほかの誰でもない、あたしのためになってるのよ、たぶん。読んでるあなたより書いてるあたしのほうが断然考えてるに決まってるもの。

ともかくも、自分のためばかりではなく誰かのために行為したほうがいいよ。教えてもらうばかりではなく教える。食べているばかりではなく料理してあげる。読んでばかりではなく書く。行為した分だけ多くのものが返ってくるよ。
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