瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

環境を整える

2016-07-24 12:21:53 | 随想
鉢植えで虫が繁殖を始め、このままでは植物は枯れそうな展開。
だったら虫を駆除すればよかろう。
と考えるのが普通だと思うけれど、私は別に植物を育てているわけではないのである。勝手に育っているのを見て楽しんでるだけ。だから植物が虫に食い荒らされても手出しはしない。やはり見てるだけなのである。

育てているなら私の立ち位置は植物側で、だから植物を食い荒らす虫は植物に害を為す、つまり害虫ということになるので駆除をするけれど、勝手に育ってるのを見ている私の立ち位置はニュートラル。だからただそこに起こっている現象を見てるだけなのである。

で、思うのである。このままでは植物は枯れる。植物が枯れれば虫も生きてはいけない。やがて鉢植えは生命の存在しない不毛の地となる。
この鉢植えで起きようとしていることは、今の地球で起きようとしてしていることでもあろう。

人類の都合だけで生きていては環境に負荷がかかる。環境に負荷がかかれば環境は疲弊し生命力が落ちる。生命力が落ちた環境では人類も生きてはいけまい。

地球規模の話をすればこうなるけれど、これは何もそんな大きなスケールの話ばかりでもない。日常のこともやはり同じなのである。

自分の都合だけで生きていては周りの人を圧迫する。周りの人は圧迫されれば不愉快だ。不愉快な人たちに囲まれていては自分もまた不愉快になる。不愉快のスパイラルである。

自分が楽しくいるために必要なことは自分の都合のいいことがまかり通ることではない。周りの人たちが楽しくいられることが自分が楽しくいられるために必要なことなのである。
自分にとっていいことをするとは実は周りの人たちにとっていいことをすることなのである。

虫は知恵がないから自分の都合だけで生き、そしてその都合は軋轢となり自らに跳ね返る。
人には知恵がある。軋轢を避けることができる。自分を含めた環境というものを心地好く整えることができる。

はずなのだが、環境問題にしろテロとの闘いにしろ、軋轢ばかり作り出している。
愚かなことだ。
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