じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

ジレンマ―介護と、伴侶と―。

2006-07-11 23:54:32 | ブラックたまの毒吐き
※例によって、推敲なしのベタ打ちです。
 後に改稿するかもしれないのですが、とりあえずUPします。


わたしは、じいたんのことが、大好きだ。

そりゃもちろん、たまには喧嘩になっちゃうこともあるし
それから、ばあたんに対する気持ちとは違うところもあるし
悲喜こもごも、いとしいからこそ憎らしいところもあったりして

じいたんとわたしの関係は、言うなればとても人間くさい。

でも、だからこそ、
じいとわたしの関係は貴重で得がたいものだ
そうわたしは思っているし、

もうすぐ93になるじいたんが、
わたしとそういう人間関係を結んでくれることに
こころの深いところでは、いつも感謝の念にたえない思いでいる。

大事にしたい、そう思う。
「お前さんが頼りだよ」といってくれるじいを大事にしたいのだ。


*************


一方で、最近とくに悩んでいることもある。

じいたんのことはとても大事で
相方も交えて三人、楽しい夕方を過ごせたとき
とても充実した気持ちになるのだけれど

それとは別に

まだ、恋人同士であるわたしの相方と
たまにはふたりきりで、のんびりデートの時間を確保したいのだが、
それが不可能に近いということなのだ。

介護をはじめて三年ちょっとになるが
わたしと相方は、まともなデートをしたことが殆どない。
祖父母のことを何も心配しないで
普通の恋人のようなデートをしたことが、本当にないのだ。


というのも、
相方がやってくるということをうっかり
じいたんに話してしまうと
すっかりじいたんは喜んでしまうのだ。
「三人で過ごせる」と…。

そして相方が来るたびじいたんは、
「おじいさん家へ泊まっていきなさい」と強く勧める。

一年半くらい前のじいたんなら、少しは気を利かせてくれたかもしれない。
でも今のじいたんは、そういう気遣いをすることは難しくなっている。


「たまには、ふたりきりで
 普通の恋人らしいデートもしたいんだ、じいたん。
 行って来るの、許してくれる?」

そんなふうに切り出してみることもあるのだが

「おお、いいともお前さん、楽しんでおいで」
と返事をしてくれた、その後まもなく
「今日は何時ごろ、二人でこちらへ迎えに来てくれるのかい?」

となってしまう。
じいたんの気持ちと自分の気持ちとに挟まれて、つらい。


***************


相方は、本当に親切なひとだ。

たとえば。

じいに会う前にふたりで二時間ほど
お茶をしよう、と事前に計画していたとする。

でも、途中でじいたんに電話を入れたわたしが
少し心配そうな顔をすると、

相方はすぐに
じいたん宅への訪問(あるいは三人での行動)中心で
一緒にいられる時間を使おうとしてくれる。

あるいは、

正月やクリスマス、敬老の日、じいたんの誕生日などにも
じいたんを一人にしたくないと思うわたしの気持ちを汲んで
相方は、かに鍋やら車やらを用意して、出てきてくれる。


その背景には
相方がじいたんに電話を入れるたび
「ばうさん、次はいつ来てくれるんですか?」
と、客人を待ちわびる無邪気な子供のように尋ねるといったことがある。

  ここで問題なのは、
  彼と祖父が久しく会っていない訳ではないことだ。
  前日や前々日に、ばうが仕事帰りに立ち寄って
  じいたんと三時間くらい一緒に過ごしているにもかかわらず
  電話をすればこの調子なのである。
  (ちなみに相方は、二日に一度はじいたんに電話を入れてくれる。)

じいは、寂しいの半分、覚えていないの半分なのだろう。

今年に入ってじいたんは、とても朗らかに明るくなった。
そしてそれと引き換えに
無邪気になっていくような部分、
去年と明らかに違う、人柄が変わったような部分も目立ってきている。


 (親族は「年だから仕方ない」と笑って言う。
  それも真実なのかもしれない。
  そして、わたしもその場ではその言葉を否定しない。

  親族の目に嵌っている「楽観(あるいは…)」というコンタクトレンズを、
  わたしが無理やり取り替えることはできないからだ。

  そして親族は、わたしの心配を「若さゆえの神経質さだ」と看做して
  人生の先輩として、わたしを諭す気持ちで
 「歳だから」という言葉でわたしの気持ちを納得させようと考えているということを、わたしは理解できているからだ。

  けれど。
  そばで毎日看ている者が実際に背負う心配や負担について、
  甘く見積もっているし、人事だと思っているふしがあるように思う。
  この注意深さがあってこそ、今まで三年間の介護生活が成り立ってきたというのに。

  また、
  じいたん自身が、自らの老化によって不自由を感じる場面が増え
  内心、つらく思うことが増えている。。。わたしには話す。
  そんなじいたんの姿もたぶん、想像するのが難しいのだろう)


じいたんに対して「手は出さずとも気は配る」から
「手をそっと出しつつ、気を配っていることを悟られないようにする」という形へ
より繊細な対応をしていくことが必要になってきた気がする。

相方はそれをわかっていて、黙って手伝ってくれているのだ。。


相方は言う。

「たまちゃんが、困らなければいいんだよ。
 笑っていてよ」

だけど。
わたしがつらいのだ。
恋人である資格がないように思うことがある。



どっちも大事だ。
だから、つらいんだ。


****************


日曜、わたしは38度の熱を出した。
原因は良く分からないけれど、食中りだったようだ。
そして、なぜか脱水を起こしていた。

それでも昨日は、祖父宅の用事を済ませたあと
夕方から、ファイナンシャルプランナーに会ってきた。

そして今日。
熱は下がったものの、肩の痛みと吐き気がおさまらないわたしを
相方は夕方遅く、近所の緑地へと、そっと散歩に連れ出してくれた。

「緑の中でなら すっきりするかもしれないし
 汗をかけば脱水でも水は飲めるようになるし
 肩こりは、散歩で取れるかもしれない」

相方はわたしの体に手を添えながら、十分な水分を用意し
「何かあったら担いであげるから」と
病院から出てきたわたしを拾って。
(彼はとても大柄で、剣道五段の鍛えた体なのだ)


相方と、わたしだけ。
ただ黙って歩く。
ときどき、珍しいものをみつけて
ふたりで微笑む。

ごく短い時間の、遊歩道でのひととき。


じいたんとばあたんが、夫婦として思い出を積み重ねてきたように
わたしと相方も、ささやかでも幸せな思いを貯金していきたい。

時間がたてばもっと、上手くやれるようになるのだろうか…。