※一部改稿しました(2006.7.16 08:44)
また「ブラックたま」カテゴリです。本当に申し訳ないです。
ヘビーな内容です。また改稿するかもしれませんが、とりあえずUPします…
/////////////
今週の日曜日。
じいたんの娘とその娘、そしてその赤ちゃんが祖父宅へ来訪する。
(私から見れば「叔母・従妹・従妹の赤ちゃん」)
そのこと自体がわたし、とてもうれしくて
(赤ちゃんは本当に可愛いし、従妹も祖父思いだし、
叔母の明るい笑顔が戻ったのも喜ばしい。
なによりじいが、ほんとうに幸せそうに笑ってくれる)
わたしは、今日は日曜の会合を良いものにしたくて、
じいたんの意向に沿うように
(そしてばあたんがいたなら準備したであろうことを考えて)
動いていた。
母乳の関係で食べ物に制限が入っている従妹のために
百貨店まで出向いて果物やゼリーを仕入れたり、
四リットル分も麦茶や水を用意したり、
彼女たちが安心して使えるタオルを選別したり、
少し念入りに、赤ちゃんが触りそうなところを消毒したり
ハウスダストをクリアにしたり
祖父の認知の低下をカバーできるよう色々準備したり
そしてその合間に
火曜に末の従妹が怪我をさせた、祖父の右腕の
シップとサポーターを自前で差し入れしたり
(赤ちゃんを抱けるように)
じいたんの服の手入れをしたり
(従妹がじいたんににプレゼントしたものを着せようと思って)
じいたんが手詰まりになっていた「会計簿」の手直しを少ししたり
仕事のことも中途半端、そしてばうと私の記念日の買い物もそっちのけで。
じいたんにとって、スペシャルな楽しみだと分かっていたし
遠路はるばる会いに来てくれる従妹を喜ばせたかったし
じいたんに喜んで欲しかったから。
*****************
だけどじいたんは、疲れていたのだろうか
夜、会計をしているときに、突然こんなことをのたまった。
「娘とあの孫は、おじいさんにとって特別なんだよ。
申し訳ないが、お前さんとは違うんだよ。分かるかい?」
断っておくが、祖父は、会計がもうできなくなりつつある。
(それでも祖父に家計簿をつけてもらっているのは、
いくら計算が間違っていようとも、
彼の仕事を取り上げてしまったらいけないと思うからだ)
朝、電話を入れても、夕方には忘れているのがデフォルトだ。
この夜も、祖父に頼まれて、会計を手伝っていたはずなのだ。
何も問題はなかったはずなのに。
わたしが、内容を察して絶句していると
「お前さんは、おじいさんより頭がよいし気が利く。
どこへ出しても、非の打ち所がないほど良くやってくれている。
おじいさんおばあさんにとって非常に有用だ。
なのに、たまらなく腹が立つんだよ。
口は悪いが頭はよいし、気は利くし、他の人にも褒められる。
だけど、可愛くないんだよ。娘やその娘のようにはね」
…ああ、このせりふ。知ってる。
かつてばあたんが、若かったわたしの母に投げつけたせりふだ。
それを聴いていた父は、怒ってその場で母を連れて東京へ帰ったっけ。
…だから、そんなじいたんの腹のうち、
わたしは良く知っている。でも聴きたくない。
誰もいないときはあれだけべったりわたしに甘えるのに
(妻に甘えるように。。。だ)
その口の根も乾かないうちにこんなことを口走る…。
わたしは何も言えずに黙っていた。するとじいたんはさらに続けた。
「お前さんは、明日オーダーした昼食を食べてくれ。
おじいさんは、娘と孫とひ孫をつれてお寿司に行くよ。
一人分浮けば、たいそうなご馳走を食べさせてやれるしな。」
まぁそれはそうだろう。それにそこまでいわれて一緒に行きたくない。
幸か不幸か、食あたりの後遺症で、わたしは寿司を食べられない。
なので「わかったよ。マンションのごはんは私が食べておくよ」とこたえると
なぜかじいたんはこう、のたまった。
「お前さんは、叔母さんや従妹と仲が悪いのかい?」
はぁ?
自分で「寿司は遠慮してくれ」といったくせにどうしてそうなる?
そんなわけないだろう!というか、そんなこと眼中にもない。
祖父の客である以上、最大限のもてなしを思ったから
今日だって走り回ったというのに。
どこかの三流雑誌の介護ゴシップみたいなことを言われてげんなりしたが、
わたしは、穏やかな口調で否定した。
「じいたん、わたしはね、日曜日に、
たんぱく質の食あたりで38度熱が出てね、
その後遺症が残っているんです。
まだお寿司とかは、食べちゃダメなの。
だから、おじいちゃんがオーダーしているお昼ご飯を
代わりに食べて待っていようと思って。。。
その方がおじいちゃんにも喜んでもらえると思って。。。」
と。そしたらじいたんは、こういった。
「そうかい、お前さん。ありがとう、助かるよ。
お前さんが食べられないぶん、娘や孫にたらふく食わせられるしな。
本当に気の利く、いい召使だお前さんは」
絶句しつつも考えた。
腹を立てるより解決策を、がセオリーだ。
そしてわたしはこんな提案をした。
「明日は、朝のうちにおもてなしの準備などをして、
赤ちゃんに挨拶したら失礼するようにしましょうか。」
すると、じいたんは言う。
「できればお前さんもいておくれ。
雑用をしてくれる人がいたほうが楽だからね」
「いずれはわしの下の世話もしてくれよ。
ばあさんのときみたいに」
「娘には、下の世話とか汚いことはさせたくないからね。
頼むつもりもないんだよ、おじいさんは。
お前さんなら、嫌がらずにやってくれるだろう?
お前さんがいてくれるおかげで、
息子にも娘にもつらい思いをさせないで済んで、本当に助かるよ。」
「わたしの祖父」の言葉とは思えなかった…。
知っていても聴きたくない言葉というのはある。
(例えばかつて、ある親戚が、わたしに
「アンタに今妊娠されたら困るのよ!」と叫んだように)
ちなみに捏造はない。一言一句たがわずメモしてきた。
本当は部屋を飛び出したいのをこらえて
(ここで喧嘩になったら明日が台無しだ)
泣き出しそうになりながら、一言二言だけ、反撃した。
「じいたん。…あのね…
おばあちゃんを介護していたときね。
とてもとても大変だったけど
わたし、悲しい思いや、気持ちを傷つけられるようなことは
一度もなかったの。
そのときのご恩があるから、今も頑張れる。
じいたんを大事にして、というのはばあたんの願いだから」
「わたしはふつつかもので、癇に障って
じいたんにとっては、子供を護るための踏み台程度のもので
しかも小賢しい性質で、至らないところだらけで、
いろいろご不自由もご不快もあるかとは思います。
ですが三年間、お二人の介護は私が主にやらせていただいてきました。
それは誰もが認めてくださる事実ですし、これからもそうでしょう。
わたしは、じいたんに快適に過ごしてもらいたいとは思っていますが
じいたんに気に入られようと媚を売れる性格ではないんです。
お引き受けした以上、精一杯のことはさせてもらいます。
それで、なんとか勘弁してくださいね。
では、また明日来ますね。」
そういって背中を向けて玄関へ向かった。
じいたんは背中にむかってこたえた。
「ああ、許してやるとも。
玄関まで送ろう。
明日の朝、買い物と、会計事務を頼むよ。
それからもてなしの準備も頼むよ」
じいたんが、わたしを玄関に送るのは
それなりに何か悪いと思ったときの、決まりのやりかた。
わたしは、完璧に人を騙せる、プロの作り笑いで
「明日午前中に来て用事をするから、よろしくお願いしますね。
今日は暑かったから、ぐっすりお休みになってくださいね」
とだけ言って、玄関をばたんと閉めた。
帰り道、せつなくて、
三十路のいい年したオバサンのわたしは
吼えた。
吼えて吼えて、
でも涙が出なくて苦しくて
公園によって何十分も、
木の幹に身体をぶつけ続けて
声がかれるまで叫び続けた。
身体が疲れないと、この悲しみは消えてくれない
そんな気がして
この悲しさを、明日まで持ち越したくないから
地面を踏み鳴らし、幹を殴りつづけた。
そして、地面も幹もびくともしなかった。
**************
それでも、少し落ち着いてみると
「なにかおかしいのでは」
(じいたんの頭の中で何か起こっているのでは)
という気持ちがぬぐいきれないので
わたしなりに、じいたんの気持ちを理解してみる。
++++-+--
じいたんは、ハイになっているのだと思う。
久しぶりの曾孫の来訪。
そして、秘蔵っ子の孫(娘の長女)、溺愛していた末娘が
日曜日に来てくれる。
いいところを見せなくちゃって躍起になっている。
…つまり、日常のなかではあれだけわたしに頼っていながら、
気を許しているように見せながら
(手をつなぐどころの騒ぎじゃないのだ。
電車で頭を凭れかけさせるどころじゃないのだ。
自宅で暑いと、パンツ一丁になって身体を拭かせるのだ。
わたしの体の冷たいところ―二の腕やもも―で涼を取るのだ。)
そうしていたのは、
わたしが「あの女の子供、所詮は召使。娘に汚れ役をやらせないための」
だったからなのかもしれない。
だからこそ今日も、
従妹や娘の前では立派にふるまい
わたしの世話になっているところなんて見せたくない
そんな心理が働いているのだと思う。
それでも。
じいたんの気持ちを理解していても
叔母や従妹がそろっている席で
じいたんに、上のような訳の分からないことを言われたら
今のわたしには、それを笑って受け流す余裕はない…。
認知の低下のせい
(自分が何を言っているかわからない)
だと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。
だってじいたんの今日言った言葉は、事実だからだ。
************
…前からうすうす、わかっていたこと、なんだけど。
今日は、本当に心のおくまでこたえた。
なんだか、どっと疲れた。
じいたんは、ここのところ暑さで疲れ気味だ。
疲れたときは、ちょっとおかしなことを口にするし
繰り返しの話も増える。
だから、聞き流すべきだ―わたしの中の冷静なわたしが言う。
でも一方で、もう一人のわたしが言うのだ。
ふだんどんな美麗字句を口から流れさせていても、
疲れきった時に口にすることが、本音である場合がある…。
同じ血を分けた子供たちであっても、あるいは孫ならなおさら
自分にとって可愛い子と可愛くない子がいる。
それはたぶん、真実なのだと思う。
理解しているつもりだ。人間対人間だからね、不思議じゃない。
だからおじいちゃんに、「召使い」といわれるならそれでもいい。
でも、わたしがおじいちゃんに口出しするのは
(ときには嫌がられることも、そっと口にするのは)
おじいちゃんのために良いと判断しているからだ。
それだけは誇りを持っていえる。
心だけは気高くもとう。
じいたんに召使だといわれても、自分は自分を信頼しよう。
じいたんになんていわれても
自己卑下をするのはやめよう。
(第一、これこそ認知の低下の一環だという気がする。
何を会話しているか
何を言ってよくて何を口にしてはいけないか
それすらもう 判断できていないという そんな状態なんだ)
努力が足りないのか?
何が足りない?
精一杯やっているつもり、なのは自分だけで
何かが足りないからこんな悲しい言葉を聴かなければならないのだろう
改良の余地を常に探して
自分でやりがいを創り出して
介護者に徹しよう。
そう自分に言い聞かせるのに
認知の低下による言葉なんだと
割り切ることができない。
一人になったとき、時々はこうやって、泣きたくなることもある。
会社に勤めていたってこういうことはあるだろう。
だからこの程度のことは、全然、特別なことじゃない。
それでもこんなにきついのは
たぶん、血が繋がっているからなんだろうな…。
ごめんなさい。
こんな日もあるんです。
なるべく早く元気なわたしに戻ります。
少しの間だけ 落ち込むことを許してください。
また「ブラックたま」カテゴリです。本当に申し訳ないです。
ヘビーな内容です。また改稿するかもしれませんが、とりあえずUPします…
/////////////
今週の日曜日。
じいたんの娘とその娘、そしてその赤ちゃんが祖父宅へ来訪する。
(私から見れば「叔母・従妹・従妹の赤ちゃん」)
そのこと自体がわたし、とてもうれしくて
(赤ちゃんは本当に可愛いし、従妹も祖父思いだし、
叔母の明るい笑顔が戻ったのも喜ばしい。
なによりじいが、ほんとうに幸せそうに笑ってくれる)
わたしは、今日は日曜の会合を良いものにしたくて、
じいたんの意向に沿うように
(そしてばあたんがいたなら準備したであろうことを考えて)
動いていた。
母乳の関係で食べ物に制限が入っている従妹のために
百貨店まで出向いて果物やゼリーを仕入れたり、
四リットル分も麦茶や水を用意したり、
彼女たちが安心して使えるタオルを選別したり、
少し念入りに、赤ちゃんが触りそうなところを消毒したり
ハウスダストをクリアにしたり
祖父の認知の低下をカバーできるよう色々準備したり
そしてその合間に
火曜に末の従妹が怪我をさせた、祖父の右腕の
シップとサポーターを自前で差し入れしたり
(赤ちゃんを抱けるように)
じいたんの服の手入れをしたり
(従妹がじいたんににプレゼントしたものを着せようと思って)
じいたんが手詰まりになっていた「会計簿」の手直しを少ししたり
仕事のことも中途半端、そしてばうと私の記念日の買い物もそっちのけで。
じいたんにとって、スペシャルな楽しみだと分かっていたし
遠路はるばる会いに来てくれる従妹を喜ばせたかったし
じいたんに喜んで欲しかったから。
*****************
だけどじいたんは、疲れていたのだろうか
夜、会計をしているときに、突然こんなことをのたまった。
「娘とあの孫は、おじいさんにとって特別なんだよ。
申し訳ないが、お前さんとは違うんだよ。分かるかい?」
断っておくが、祖父は、会計がもうできなくなりつつある。
(それでも祖父に家計簿をつけてもらっているのは、
いくら計算が間違っていようとも、
彼の仕事を取り上げてしまったらいけないと思うからだ)
朝、電話を入れても、夕方には忘れているのがデフォルトだ。
この夜も、祖父に頼まれて、会計を手伝っていたはずなのだ。
何も問題はなかったはずなのに。
わたしが、内容を察して絶句していると
「お前さんは、おじいさんより頭がよいし気が利く。
どこへ出しても、非の打ち所がないほど良くやってくれている。
おじいさんおばあさんにとって非常に有用だ。
なのに、たまらなく腹が立つんだよ。
口は悪いが頭はよいし、気は利くし、他の人にも褒められる。
だけど、可愛くないんだよ。娘やその娘のようにはね」
…ああ、このせりふ。知ってる。
かつてばあたんが、若かったわたしの母に投げつけたせりふだ。
それを聴いていた父は、怒ってその場で母を連れて東京へ帰ったっけ。
…だから、そんなじいたんの腹のうち、
わたしは良く知っている。でも聴きたくない。
誰もいないときはあれだけべったりわたしに甘えるのに
(妻に甘えるように。。。だ)
その口の根も乾かないうちにこんなことを口走る…。
わたしは何も言えずに黙っていた。するとじいたんはさらに続けた。
「お前さんは、明日オーダーした昼食を食べてくれ。
おじいさんは、娘と孫とひ孫をつれてお寿司に行くよ。
一人分浮けば、たいそうなご馳走を食べさせてやれるしな。」
まぁそれはそうだろう。それにそこまでいわれて一緒に行きたくない。
幸か不幸か、食あたりの後遺症で、わたしは寿司を食べられない。
なので「わかったよ。マンションのごはんは私が食べておくよ」とこたえると
なぜかじいたんはこう、のたまった。
「お前さんは、叔母さんや従妹と仲が悪いのかい?」
はぁ?
自分で「寿司は遠慮してくれ」といったくせにどうしてそうなる?
そんなわけないだろう!というか、そんなこと眼中にもない。
祖父の客である以上、最大限のもてなしを思ったから
今日だって走り回ったというのに。
どこかの三流雑誌の介護ゴシップみたいなことを言われてげんなりしたが、
わたしは、穏やかな口調で否定した。
「じいたん、わたしはね、日曜日に、
たんぱく質の食あたりで38度熱が出てね、
その後遺症が残っているんです。
まだお寿司とかは、食べちゃダメなの。
だから、おじいちゃんがオーダーしているお昼ご飯を
代わりに食べて待っていようと思って。。。
その方がおじいちゃんにも喜んでもらえると思って。。。」
と。そしたらじいたんは、こういった。
「そうかい、お前さん。ありがとう、助かるよ。
お前さんが食べられないぶん、娘や孫にたらふく食わせられるしな。
本当に気の利く、いい召使だお前さんは」
絶句しつつも考えた。
腹を立てるより解決策を、がセオリーだ。
そしてわたしはこんな提案をした。
「明日は、朝のうちにおもてなしの準備などをして、
赤ちゃんに挨拶したら失礼するようにしましょうか。」
すると、じいたんは言う。
「できればお前さんもいておくれ。
雑用をしてくれる人がいたほうが楽だからね」
「いずれはわしの下の世話もしてくれよ。
ばあさんのときみたいに」
「娘には、下の世話とか汚いことはさせたくないからね。
頼むつもりもないんだよ、おじいさんは。
お前さんなら、嫌がらずにやってくれるだろう?
お前さんがいてくれるおかげで、
息子にも娘にもつらい思いをさせないで済んで、本当に助かるよ。」
「わたしの祖父」の言葉とは思えなかった…。
知っていても聴きたくない言葉というのはある。
(例えばかつて、ある親戚が、わたしに
「アンタに今妊娠されたら困るのよ!」と叫んだように)
ちなみに捏造はない。一言一句たがわずメモしてきた。
本当は部屋を飛び出したいのをこらえて
(ここで喧嘩になったら明日が台無しだ)
泣き出しそうになりながら、一言二言だけ、反撃した。
「じいたん。…あのね…
おばあちゃんを介護していたときね。
とてもとても大変だったけど
わたし、悲しい思いや、気持ちを傷つけられるようなことは
一度もなかったの。
そのときのご恩があるから、今も頑張れる。
じいたんを大事にして、というのはばあたんの願いだから」
「わたしはふつつかもので、癇に障って
じいたんにとっては、子供を護るための踏み台程度のもので
しかも小賢しい性質で、至らないところだらけで、
いろいろご不自由もご不快もあるかとは思います。
ですが三年間、お二人の介護は私が主にやらせていただいてきました。
それは誰もが認めてくださる事実ですし、これからもそうでしょう。
わたしは、じいたんに快適に過ごしてもらいたいとは思っていますが
じいたんに気に入られようと媚を売れる性格ではないんです。
お引き受けした以上、精一杯のことはさせてもらいます。
それで、なんとか勘弁してくださいね。
では、また明日来ますね。」
そういって背中を向けて玄関へ向かった。
じいたんは背中にむかってこたえた。
「ああ、許してやるとも。
玄関まで送ろう。
明日の朝、買い物と、会計事務を頼むよ。
それからもてなしの準備も頼むよ」
じいたんが、わたしを玄関に送るのは
それなりに何か悪いと思ったときの、決まりのやりかた。
わたしは、完璧に人を騙せる、プロの作り笑いで
「明日午前中に来て用事をするから、よろしくお願いしますね。
今日は暑かったから、ぐっすりお休みになってくださいね」
とだけ言って、玄関をばたんと閉めた。
帰り道、せつなくて、
三十路のいい年したオバサンのわたしは
吼えた。
吼えて吼えて、
でも涙が出なくて苦しくて
公園によって何十分も、
木の幹に身体をぶつけ続けて
声がかれるまで叫び続けた。
身体が疲れないと、この悲しみは消えてくれない
そんな気がして
この悲しさを、明日まで持ち越したくないから
地面を踏み鳴らし、幹を殴りつづけた。
そして、地面も幹もびくともしなかった。
**************
それでも、少し落ち着いてみると
「なにかおかしいのでは」
(じいたんの頭の中で何か起こっているのでは)
という気持ちがぬぐいきれないので
わたしなりに、じいたんの気持ちを理解してみる。
++++-+--
じいたんは、ハイになっているのだと思う。
久しぶりの曾孫の来訪。
そして、秘蔵っ子の孫(娘の長女)、溺愛していた末娘が
日曜日に来てくれる。
いいところを見せなくちゃって躍起になっている。
…つまり、日常のなかではあれだけわたしに頼っていながら、
気を許しているように見せながら
(手をつなぐどころの騒ぎじゃないのだ。
電車で頭を凭れかけさせるどころじゃないのだ。
自宅で暑いと、パンツ一丁になって身体を拭かせるのだ。
わたしの体の冷たいところ―二の腕やもも―で涼を取るのだ。)
そうしていたのは、
わたしが「あの女の子供、所詮は召使。娘に汚れ役をやらせないための」
だったからなのかもしれない。
だからこそ今日も、
従妹や娘の前では立派にふるまい
わたしの世話になっているところなんて見せたくない
そんな心理が働いているのだと思う。
それでも。
じいたんの気持ちを理解していても
叔母や従妹がそろっている席で
じいたんに、上のような訳の分からないことを言われたら
今のわたしには、それを笑って受け流す余裕はない…。
認知の低下のせい
(自分が何を言っているかわからない)
だと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。
だってじいたんの今日言った言葉は、事実だからだ。
************
…前からうすうす、わかっていたこと、なんだけど。
今日は、本当に心のおくまでこたえた。
なんだか、どっと疲れた。
じいたんは、ここのところ暑さで疲れ気味だ。
疲れたときは、ちょっとおかしなことを口にするし
繰り返しの話も増える。
だから、聞き流すべきだ―わたしの中の冷静なわたしが言う。
でも一方で、もう一人のわたしが言うのだ。
ふだんどんな美麗字句を口から流れさせていても、
疲れきった時に口にすることが、本音である場合がある…。
同じ血を分けた子供たちであっても、あるいは孫ならなおさら
自分にとって可愛い子と可愛くない子がいる。
それはたぶん、真実なのだと思う。
理解しているつもりだ。人間対人間だからね、不思議じゃない。
だからおじいちゃんに、「召使い」といわれるならそれでもいい。
でも、わたしがおじいちゃんに口出しするのは
(ときには嫌がられることも、そっと口にするのは)
おじいちゃんのために良いと判断しているからだ。
それだけは誇りを持っていえる。
心だけは気高くもとう。
じいたんに召使だといわれても、自分は自分を信頼しよう。
じいたんになんていわれても
自己卑下をするのはやめよう。
(第一、これこそ認知の低下の一環だという気がする。
何を会話しているか
何を言ってよくて何を口にしてはいけないか
それすらもう 判断できていないという そんな状態なんだ)
努力が足りないのか?
何が足りない?
精一杯やっているつもり、なのは自分だけで
何かが足りないからこんな悲しい言葉を聴かなければならないのだろう
改良の余地を常に探して
自分でやりがいを創り出して
介護者に徹しよう。
そう自分に言い聞かせるのに
認知の低下による言葉なんだと
割り切ることができない。
一人になったとき、時々はこうやって、泣きたくなることもある。
会社に勤めていたってこういうことはあるだろう。
だからこの程度のことは、全然、特別なことじゃない。
それでもこんなにきついのは
たぶん、血が繋がっているからなんだろうな…。
ごめんなさい。
こんな日もあるんです。
なるべく早く元気なわたしに戻ります。
少しの間だけ 落ち込むことを許してください。