じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

2006-07-26 00:10:17 | じいたんばあたん
先週末、家庭裁判所から通知が届いた。

「伯父とわたしの二名を、ばあたんの後見人に任命する」とのこと。
二週間以内に相続人各位からの不服申し立てがなければ、
八月にはこの審判が発効する。

今後は、ばあたんに関して法的な責任も背負うことになる。
伯父と二人でではあるが、
実務は殆どわたしがこなすことになるはずだ。


これでもう「退路は絶った」という思いと
これでもう「堂々とばあたんを護れる」という思いと。

緊張と複雑な感情とが一瞬にして頭の中を交叉する。


でも、伯父と一緒にできるのだから、よしとしよう。
そして、法的に権限を認められたぶん、しっかり働こう。

そんなわけで今、裁判所に提出する財産目録を作り直したり、
伯父と情報共有する方法を細かく考えたりしている。

それから、金融機関その他への連絡の準備も。

すみません、そんなわけで
要領の悪いわたしは、ここのところばたついております。


*************


そんな中、今日はばあたんの主治医と面談してきた。

かねてからじいたんが希望していた、ばあたんとの旅行。
旅行が可能かどうか、そして可能であればどんな準備がいるか。
そんなことを尋ねるつもりで、予約を取った。

…同時に「難しいでしょう」という言葉もどこかで期待して。

客観的に見れば、ばあたんの症状は重すぎる。
あんなに多動が目立ち、そして急に意識レベルが低下してくたっと倒れてしまったりするようでは、バリアフリーもない普通の宿に泊まるのはかなり危険だ。

(叔母夫婦のサポートで祖父母を旅行に連れて行くのは
 わたしにとっては案外、負担が大きかったりする。
 彼らの戸惑うような顔を見ると、どうしていいかわからなくなる…orz
 相方がサポートしてくれている時のようにはいかない。)



主治医の回答は、実を言うと、予想通りだった。

「ご家族のたってのご希望ということであれば、
 我々はお止めすることはできません。

 ご高齢のお祖父さまにしてみれば、これが最後かもという
 そんな切羽詰った思いもおありでしょう。

 我々としては、いつ旅行が中断して戻ってこられても良いように
 万全の体制でお待ちするしかありません。

 ですが、医師として率直に申し上げます。
 やめておかれたほうがいい。

 いまのお祖母さまは、旅行の刺激に耐えうる状態ではありません。
 入院された当初に比べ、病そのものは進行しています。
 ましてや、実質的に介護者として機能するのは、たまさん一人です。
 現地でヘルパーを利用してカバーできるレベルではありません。

 そして更に、…介護が必要なのはお祖母さまだけではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、
 お祖父さまにも衰えが最近、現れています。
 患者様がおひとりなら何とかなるかもしれない。
 だけどお二人同時に介護となると話は別です。わかりますよね。

 正直、よくあなた一人でお二人の介護をなさってきた。
 わたしは驚嘆する思いで拝見していました。
 ですがこれ以上無理を重ねる必要はないですし、
 最悪、事故にでも繋がれは、みんなが苦しむことになります。
 
 医師として申し上げます。やめておかれたほうがいい。
 あなたが実は一番、そのあたりのことを理解なさっているはずです。
 お祖父さまやご親戚さまには、私が「医師として旅行は不可です」と言ったと伝えていただいて結構です。

 代替案として、うちの六階にあるゲストルームへの宿泊を
 お祖父さまとたまさんとお祖母さまと三人でなさる、
 ということを検討されてはいかがでしょうか。」

わたしは、一人で不安に思っていたことを改めて尋ねた。

 「先生、わたしは、こう感じていたんです。
 祖母は入院して穏やかになりはしたけれど、同時に症状も進んだな、と。
 治療をうけていても進んでいく病だという認識もありますし、
 実際に祖母のトイレ介助や食事介助をすると、以前とははっきりと違います。

 でも、周りの親族にはそろって「気にしすぎ」と楽天的に言われるので
 自分の観察眼にだんだん自信がもてなくてきていまして…
 旅行、ホントは無理なんじゃないかな、と思う気持ちがあって
 それで今日は先生のご意見を承りたいと思ってきたんです」

すると先生は言った。

 「たまさん、実際に間近で看てこられた方でないと分からない事は
  案外、たくさんあるんですよ。近親だからこその難しさもあります。
  だから、他のご親族さまの認識が甘くなるのは、仕方のないことだと
  割り切ってお考えになられたらよいですよ。
  少なくとも、旅行をとりやめたほうが良いという判断は、
  わたしもしておりますので…」

フランクに、話してくださったと思う。

この先生はこの七月で退職される。

最初の頃憔悴しきって、先生の前で涙を見せてしまったこともあった。
でも、本当によくばあたんの様子を見て、薬をこまかく調整して
ばあたんをここまで穏やかにしてくださった。

最後にお礼をお伝えすることができて本当に良かった。
そして、最後まで、穏やかな様子で、
まとまりのない相談に乗っていただけたこと、
いくら感謝しても足りないくらいだ。

 (この先生が出されている本がある。
  わたしは、先生と出会う前にこの本を読んでいたのだが、
  つい最近まで本の著者と主治医が同一人物だと気づかなかった。
  また、改めて紹介します。)


**************


面談(医師と看護師と別々に面談があったのだ)の合間、
昼前から夕方までばあたんと一緒にすごした。

あたたかな眼、柔らかい表情。
わたしを分かっている様子。
いとおしむように頭を撫でてくれる。

そして、自分のつらい感情を話してくれる。
分解しかかった言葉で、一所懸命。

おやつをお土産に出すと、昔と変わらず
半分に割って、大きいほうをわたしの口に運んでくれる。

じいたんがいないときのほうが意思疎通がうんと楽だという皮肉。
だから彼がいないときに、もう一日は確実に見舞いに行くのだ。

「ばあたんを独占できて嬉しいなぁ!」
と抱きついたら、ばあたんは
「わたしも、幸せよ」
と抱きつき返してきた。


旅行に行くことが不可となってほっとしていたのに、
じかにばあたんと触れ合うと、とても淋しい気持ちになった。
もう少し症状が進んだら、却って連れ出せるかもしれない。

でも、いまのばあたんにとって一番うれしい、心地よい状態というのは
どんな状態なんだろう?

そんなことを考えながらひたすら
廊下をぐるぐると徘徊し、おやつを食べ、ふたりで歌を歌って過ごした。
彼女の眼は、遠くを見つめて、時々わたしのところへ帰ってくる。
そのときには昔の彼女の面影がだぶるように重なる。
ふたりきりのときだけ見せてくれる、満面の笑顔。


なかなか立ち去りがたかった夕方。
ばあたんは帰り際になって、急にしゃきっとした。
それまで、ばらばらだった言葉が、正しいセンテンスに戻る。

「おばあちゃんはだいじょうぶだから
 たまちゃん、帰りが危なくならないうちに
 みんなのところにお戻りなさい。
 お行きなさい。」

それが、たとえ
わたしをわたしと認識していない上での言葉であっても。

わたしは涙が出るほど嬉しかった。
彼女の、深い愛情と理性に支えられた、本来の彼女らしさに
触れることができたからだ。


傲慢かもしれないけど。
思い込みかもしれないけれど。

ばあたんが、こんな、「ばあたんらしい心のありよう」を見せてくれるのは、わたしにだけ。

この人を愛している。護りたい。
成年後見、引き受けてよかった。
がんばろう。

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