じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

身体で感じるということ。

2006-06-29 02:50:24 | 介護の周辺
柳田邦男の本「犠牲―サクリファイス―」の中に、こんな描写がある。

自死を図り脳死に陥った次男が、
もう脳波もフラットになりつつある状態にある。
それでも、筆者と交代で傍に添い続ける長男がこんなことを言った。

「不思議だね、身体で話しかけてくるんだよ」

とても的確に表現されているなぁ、と思った。


////////////


わたしは、ばあたんと一緒にいるとき
視覚の情報だけで…つまり彼女の言葉や表情のみで
ばあたんを感じるのではない。

むしろ、皮膚感覚に近いのだ。

たとえ言葉での意思疎通がむつかしくても
じかに手で触れ合うと
あるいは触れ合わなくても、
同じ場所で並んで座って、呼吸を合わせる
ただそれだけで
彼女の気持ちが流れ込んでくる気がする。

緊張しているか、心を閉じているか、
あるいは、リラックスしてくれているか、喜んでくれているか。


ただじっとして座っているだけで…
というと分かりづらいかもしれないので

割と気持ちがピンと来るときの様子を
ためしに書いてみると、たとえば


隣にすわったときや背中をさすったときに感じる
筋肉の微妙な緊張であったり、
(これは落ち着こうとしているサイン)

頬をくっつけてじっとしている時に伝わってくる
皮膚のわずかな緩みであったり
(これは、ほっとしているサイン)

手をつなぐ時の、一瞬のためらいであったり
(こういうときは私が誰だか分かっていない)

一緒に歩くとき
靴音にちらりと隠れた、朗らかさであったりする。
(楽しい気分でいてくれているのだ)


それらはほんの一瞬、現れて
すぐにまた通り過ぎてしまうのだけれど。

 丘の上で走る列車を眺めていたら
 車窓に、旧い友人の横顔を一瞬、見かけた気がする

 そんな感じで。


ばあたんは、どんなになってもわたしのばあたん。
病が深くなり、見た目にはどんどん様子が変わっていくけれど
ほんとうは、何も変わってなどいないのだ。
証明できないじゃないかと言われるけど、嘘じゃない。

接し方がわからないなんて心配しなくていい。
彼女は、未知のものになってしまったんじゃない。
確かに確かに、「ばあたん」なのだ。

もちろん、言葉の掛け方やスキンシップの取入れなど
そういうことは確かに幾らかの工夫がいる。

 (たとえば失明した友人がいたとすれば、手を貸すでしょう。
  たとえば聴力を失った友人がいたとすれば、筆談をするでしょう。
  そういう場合と同じように。)

けれど
こころは
(ここが難しいのだけど「こころ」は。
 誰かのふりをしつづけることもあるから)
昔と変わらず

「夫と妻」「母と娘」
「母と息子」「祖母と孫」

二人の関係性のままに、
愛していると伝えればそれで充分なのだと感じる。

そこに言葉がなくても、
ただ彼女のとなりに腰掛けていれば、

ただ心をこめて心をさすることができれば、それで。


犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日

文藝春秋

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10 コメント

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うまくいえないけど・・・ (あき)
2006-06-29 22:23:20
なんか、分かる気がします。

意識がない寝たきりの方、話しかけたりするとなんとなーく反応があるような・・・

ゆっくり目を動かしたり、手がかすかに動かしたり。

何かを訴えたいけど、出来ない。

それを感じてあげなきゃ駄目なんだろうな・・・なんておもいます。

日々、勉強です。
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Unknown (さだえchanの孫)
2006-06-30 00:12:04
もしかしたら違う話になってるかもしれませんが…;



私には子供がいるのですが…

幼児の時「鼠径ヘルニア」で手術の為に2泊3日の入院をしたんです。

完全看護制の総合病院の小児科だったので同伴は困ると言われたのですが、事情があって「どうしても付き添いたい」と無理を聞いてもらい、特別ルームに入れて頂いたんです…。

その部屋には、産まれた時から重度の障害があり人工呼吸器を外せない8歳の女の子が居て、喋れない・動けない…。

看護婦さんにお聞きしたら「意識があるのかどうかもわからないまま8年間この状態。ココで大きくなられたんですよ」との事でした。

夜になり、その子のお母さんが来て色々お話しを聞かせて下さったのですが…その中で「この子は無口だけどちゃんと会話が出来る」とおっしゃっていました。「今日はお部屋にお友達がいてくれてとっても喜んでいる」のだと…。

忘れられない出会いでした。



「身体で感じるということ。」を読んで、その時の事を思い出しました。

皮膚感覚での意思疎通…ですよね…。

愛…。

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あきさん (介護人たま)
2006-06-30 11:34:12
彼女・彼の意思が確かにそこに「ある」ということを、身体で感じ取る。彼らが具体的に何を望んでいるのか(何を伝えたいのか)は、往々にして分からない場合もあるにしても…。

分からないとき、そんな自分がとても歯がゆいですが、それでもそのやるせなさに負けないで傍にありつづけること…



上手く言えないのですが、そうやって彼らの気持ちをキャッチしようとひたむきに(あとリラックスして)努力することが多分一番大切なことの一つであるし、たとえ彼らのメッセージをすべて具体的に理解できなかったとしても、彼らは心の奥深いところで許してくれているような気がするんです。
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さだえchanの孫さん (介護人たま)
2006-06-30 11:44:33
ああ、それです、そのお話に出てきた感覚に非常に近いと思います。(うちは昏睡状態にはなったことはないのですが)

いのちが宿りたましいがそこにあると確かに感じるんです。たとえ誰のこともわからないように見える日であっても。



お子さん、大変でしたね。今はもう大丈夫でいらっしゃるのでしょうか。
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ふと。 (ひめ)
2006-06-30 12:51:07
ちびっことの会話も、

こんな感じだって思った…。

ここんとこ、ちびっこ三昧してたから(^^ゞ

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「こころ」は (neko50)
2006-07-03 12:05:40
「こころ」は 誰かのふりをしつづけることもあるから…とても印象的なひと言でした。

自分でも気付かずにそうなっていることもあるのだろうかと、思いました。
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ひめさん (介護人たま)
2006-07-03 14:11:06
確かに似ている面はあるかもしれないですね。

皮膚感覚でわかること、たくさんありますものね。
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neko50さん (介護人たま)
2006-07-03 14:14:17
えっと、これはね



祖母の状態だと、わたしをわたしと分からないで、叔母や自分の母親、または同僚と間違えることがあるんですよ。

そういうときに、「わたしはたまちゃんだよ」と無理に伝えることはしないで

そばにい続けるということなんです。



そのうちある瞬間に「たまちゃん?」って戻ってくることもあるから…

本当に不思議な病気です。
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Unknown (ミンミン)
2006-07-07 21:55:11
たまさん、こんばんは。

ちょっとだけ分かる…ような気がします。

私はいつもちょっと離れたところで

じっと見守るだけなんですけれど。



たまさんのかかれる記事を拝見すると

本当にいろいろな事に当てはまって

いつも深く考えさせられます。

今回もあれこれ思うことがあったり

ちょっと気づいたことがあったりでした。

たまさん、ありがとうございます。
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ミンミンさん (介護人たま)
2006-07-08 07:26:42
>遠くに離れてじっと見守る

ミンミンさん、それでもきっと全然いいんです

患者さんは確かによろこんではるんですもの



こちらこそいつもありがとうございます。

思ったことをつらつらと、推敲もしないで書いていますので、

もしよろしければあの、また、気楽に感想を残していただけるとありがたいです^^
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