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じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

紫陽花の花に教えられ。

2006-06-21 05:06:30 | じいたんばあたん
一つの木に、色とりどりの紫陽花なんて珍しい気がして、携帯カメラでパチリ。
写真では少し分かりにくいかな?


********


先日じいとドンパチやって
翌日、ちゃんと仲直りしたはずだったのだけれど


昨夜、家計簿などファイナンシャル・プランニングに必要な
資料を、何時間かかけてチェックしていたところ、
何の前触れもなくじいたんが怒り出してしまった。

誤解があったようなので、それを解こうと話をしたのだが
却って油に火をそそいでしまう形になり
じいたんは、無かったことにするのが難しい暴言をのたまった。
今文字にしようとしても、喉が詰まって苦しくなるような。

そしてさらに

「お前さん、もう二度と来るな。
 ほれほれ涙が出るのかい?ざまあみろ!
 帰れ、帰れ!」

こうなると、もう作業どころではない。
伯父に電話を入れ事情を説明して
(本当に出入り禁止になった場合を考えてのことだ)
資料は持ち出し、自宅へ戻った。

帰り道、一人でとぼとぼ歩いていて
ただただ疲れだけを感じた。

泣いたりする気持ちもうせてしまって
自分の感情というものが、どこにあるか分からなくなった。


*********


朝目覚めても立ち直れないまま、近所に用事をしに出かけた。
帰り道、公園をとぼとぼと歩いていると
一つの木に色んな色の花をつけている、変わった紫陽花に出会った。




思わず近づき、花弁に触れた。
その手触りは、しっとりと優しく柔らかで

「辛いときは、泣いても、いいよ」

そう、紫陽花に慰められたような気がした。


たまたま朝、ちょうど紫陽花の花言葉に関するブログ記事を読んだ。

  そこには、

  紫陽花の花言葉は一般的には「移り気」
  だけど「ひたむきな愛情」という言葉もある

といったことが紹介されていた。



じいたんのこころに調和したいんだ、という素直な気持ちを
一番大切に、心をフラットにして今日を過ごせばいい。

こころって、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならない。
だからこそどうやって折り合いをつけていくかが大切なんだ。
滝川一廣「こころはどこで壊れるか」)

一本に色々な色の花をつける紫陽花を眺めながら
紹介されていた花言葉を思い出すうち、
気持ちがゆっくりとシフトチェンジしていった気がする。


***************


午後、ファイナンシャル・プランナーの方に
祖父母の、今後の介護に伴う経済計画などを相談しに行った後、
思い切ってじいたんに、電話を入れた。
昨日のことには一切触れず、何事もなかったように。

じいたんも、昨日のことには触れなかった。
それでも声には安堵の色が混じっていた。

今日の相談の概略や、明日税金を代理で納めにいくこと、
ズボンのすそ直しとクリーニング、手洗いのものが仕上がったこと
そしてそれらを届けに明日訪ねることなどを伝えると、

「ああ、いいとも。お前さんに全部、お任せだ。
 おばあさんだって、お前さんを一番頼りに思っていなさるよ。
 くれぐれもよろしく頼むよ。明日、待っているからね」


また、爆発はいつ起こるかわからない。

そういうときは多分
無理に解決しようとしないで、

時間がたつのを待つのが、一番いいのかな。

本来だったらはっきりさせたい部分も
昨日のトラブルの中にはある。だけど、

あいまいなことを、あいまいなままで置いておくこと

灰色なら灰色のままで、それを受け容れて
そうやって、「いま・ここ」を大切にすること

それが、自分の意思を、気持ちを大切にすること
―ありのままの祖父を愛するということに繋がるのかもしれない。
そんな気が今は、している。


◆TB:『紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」』(magnoria




(昨日のことも、もしかすると忘れてしまったのかもしれない。
 一週間前の、伯父と叔母と相方の来訪ももう覚えていないくらいだから。

 それでも、いい。きっと自然な気持ちで受け容れていける。)

仲直り―そして二度とすまいと思った。

2006-06-18 21:13:51 | じいたんばあたん
昨日の夜、久々に喧嘩した、わたしとじいたん。

朝になって、
自分が至らなかったところを素直にじいたんに謝ろう
そういう気持ちである一方、

いくら認知が低下しているとはいえ、
あそこまで啖呵を切られてしまった以上、
(ちょっと普通でない発言もあったのだ)
直接電話するのはためらわれる気持ちもあり…。

伯父叔母にとりあえず状況を伝えておこうにも
あいにくの留守で。

謝礼も突き返してしまったし、
とりあえず先にフルタイムの仕事を見つけておこう、と
ネットで求人を漁ったりして過ごしていた。

そうしているうちふと、
ばあたんの病院の請求書が届いていないことに気づいた。
支払期日は二十日ごろだったはず。

じいのところに届いているかもしれない。
気まずいなどと言っていられず、電話してみた。


************


電話に出たじいたんは、緊張したような声だった。

 「お前さん、昨日はご無礼した。」

・・・ん?予想していたのと反応が違う。
いえ、こちらこそ、と返すと

 「お前さんが泣いて帰ってしまったから
  もう電話もくれないんじゃないかと思っていたよ」

すっかりしょげかえった声で続ける。
言い争っても、それとこれとは別なのに。

仲直りのチャンスだ。

 「じいたん、わたし昨日、泣いて怒っちゃったけど、
  だからといって突然、何もかも放り出したりは絶対にしないよ。
  それよりね、

  じいたん、わたしこそごめんね。
  ゆうべ部屋に戻ってから考えてみたんだけれど

  昨日はじいたん、わたしを”招待”するつもりでいたんだよね。
  なのにわたし、お連れの方のことばかり心配していて
  せっかく張り切っていたじいたんの、気持ちをくじいてしまった。

  わたしも、心配で頭がいっぱいだったから
  つい悪気なく、あれこれといってしまったのだけど
  じいたんにしてみれば、否定されたみたいに感じたんだよね。」

すると、じいたんは

 「おお、そうだ、全くその通りなんだ。
  お前さんは、頭がよくて助かるよ」

一瞬、声に元気を取り戻した。そして

 「おじいさんも、実を言うと、何を言ったかよく覚えていないんだ。

  ただ、言ってはいけないことまで言って、
  お前さんを泣かせてしまったということは、分かっているんだよ」

とまた、しょんぼりした声。

そうか…やっぱりよく分からなくなっちゃっているんだな。
わたしはつとめて明るく言った。

 「そんなのいいよ。家族なんだし。
  わたしだって、じいたんの気持ちを分かってあげられへんかったもん。
  でも、分かった以上は、こういうことがないように頑張るからね。
  かんにんしてや。

  そうそう、今日もね、じいたんのところで用事したいのよ、
  そちらに伺っていいかしら?」

 「おお、いいとも。お昼過ぎにおいで。
  おじいさん、楽しみに待っているからね。
  …お前さん、おじいさんと仲直りしてくれるのかい?」

 「当たり前やんか、じいたん。
  じいたんこそ、色々辛抱も多いやろけどかんにんしてね。」

 「いいとも、いいとも、じゃあ、待っているよ。」


ほっとして、うきうきしながら求人のWebを閉じ
今日は父の日なので、少し変わった差し入れを買って
わたしは、じいたんのマンションへ向かった。


 「じいた~ん!こんにちは~!」

いつにもまして元気に玄関の扉を開けた。
すると、じいたんはよろよろと書斎から飛び出して、

 「やあ、お前さん。どうだい?これ…
  こないだお前さんが、父の日にと買ってくれた上着を、
  おじいさん、着てみたんだよ」

と、服のすそをひらひらさせて見せた。

そして突然、わたしの身体にぎゅーっと抱きついて、

 「たまちゃん、おじいさんが悪かったよ~。
  お前さんを泣かせてしまって、ごめんよ~。

  もう、お前さんに嫌われてしまったかと思ったよ~。
  おじいさん、何を言ったかよく覚えていないんだよ~。
 
  ひょっとしたら、
  お前さん、二度とおじいさんを訪ねてくれなくなって、
  どこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと思って、
  ゆうべはおじいさん、眠れなかったんだよ~。

  お前さん、また来てくれてありがとう、本当にありがとう。」

と何度も、少ししゃがれた大きな声で言うのだった。

しわだらけの頬をわたしの頬にすりつけ、
力いっぱいわたしの肩や胸や腕にしがみつく、

そんなじいたんが突然、ひどく頼りなく見えた。
昨夜はきっと、ろくに眠れなかったのだろう。

かわいそうなことをしてしまった。
後悔といとおしさとで胸がいっぱいになった。
わたしは、しっかりじいたんを抱きしめ返した。

 「じいたん、ごめんね。本当にごめんね。
  こんな思いをさせてしまって、本当にごめんね。
  たまちゃん、思いやりが足らんかったね。かんにんしてや。」

繰り返し、声をかけながら、
心なしか小さく感じるじいたんの背中を、何度も何度も撫でる。
じいたんも、わたしの肩口にぎゅうっと顔を埋めてくる。

こぼれそうになる涙をこっそりぬぐって

じいたんを、こんなに不安にさせるようなことは、
二度とすまい、と思った。


*************


ケアマネをしている友人が、
夕べの電話で言っていたひとことが脳裏によみがえる。

 「あなたが思っているより、お祖父さまは衰えていらっしゃる」

確かに昨日の激怒ぶりといい、
今日の妙な、どこか子供のような様子といい、
(なんというか、感情がむき出しになっているような印象)

最近、センサーに引っかかっていたことは、やはり
「気のせい」ではないのかもしれない。
そんなことも、今回のことで改めて思った。

もっと、気を配って接していこう。
じいたんは、確実に歳をとっていっているのだ。


今回、じいたんに辛い思いをさせてしまったその分、
これからの毎日をより幸せに過ごしてもらえるように、
今日のことを忘れずにいようと思う。
 
 

一文字一文字、いとおしむように。

2006-06-13 22:38:12 | じいたんばあたん
昨日、ばあたんに後見人をつける申立てを
伯父叔母と一緒にしに行った。

その際、夫であるじいたんの承諾書が必要とのことで、
夕方わたしは、叔母を送っていったあと
家裁から預かった書類を持って、
デイケアから帰ってきたじいたんを訪ねた。

今朝まで伯父が泊まっていて、
昨日などは叔母やバウちゃん(わたしの彼)も来て
にぎやかだったせいか、
今日のじいたんはなんだか、とっても朗らかで元気だ。


書類のことを説明して、サインしてねと言うと

「お前さん、傍で見ていてくれないかい。」

じいたんは、毎日日記(のようなメモ)を欠かさず書いている。
けれど最近になって、色々と書く欄があるそんな書類を書くときは、
少しばかり自信がないようだ。

じいたんの横に座る。
こんな、書類書きの作業でさえ最近は、
じいたんとわたしにとって、結構楽しみなひとときなのだ。


じいたんは、几帳面な人である。

この手の書類にサインするときは、えんぴつでまず下書きをし
その下書きをボールペンでなぞりながら清書して
最後に消しゴムをかけて仕上げる。

とても真剣な顔つきだ。

ここ1年くらいだろうか、
じいたんは字を書くとき手が震えるようになった。
ペンの先が、紙の上で随分と迷っている。

「これであっているかい、お前さん」

下書きの文字につられるのか
書き順が少し変だったり、字の形がおかしかったりもする。

それでも、とても丁寧に、
ゆっくりといとおしむように
じいたんは一文字一文字を大切に綴っていく。


そんなじいたんの姿こそが、いとおしい。
 

石の上に三年座ってみて(2)

2006-06-09 04:01:59 | じいたんばあたん
昨日、二人でお茶を飲んでいてふと、上のようなことを思い出したら

「じいたん、ホンマにありがとうね」

と、するり、口からこぼれた。
頑張ってくれてありがとうって言いたかった。


じいたんは

「お前さん、おじいさんはね、
 いよいよ『おじいさん』になったんだなあ、って
 最近、思うんだ。
 歳をとって、できないことが増えていくのは、仕方のないことだね」

そんな言葉を、
少しも嫌な風ではなく
むしろどこかほっとしたような表情でつぶやいた。

そして

「お前さん、頼りにしているからね。
 おじいさんとおばあさんを、よろしく頼むよ。」

と、あかるく笑った。

**************


うれしいな、と感じることはそれだけではない。

去年の春先から、調子を崩して静養していた叔母が、
今年になって随分元気になった。

伯父も、とても遠いところから
忙しい仕事の合間を縫って
交通費もかけて
なんとか時間を作って訪ねてきてくれる。

赤ん坊を生んだ従妹が
良いタイミングで、じいたんに電話を入れてくれる。

少しずつだけど、いい方向に向っている
そんな感覚がある。

*************


内心、いつも、どこかでびくつく気持ちを抱えたまま
介護を引き受けてきた。

祖父母の子供世代が健在なのに、それを差し置いて
(色々な事情があって、そう取り決めたにしても)
孫のわたしが主たる介護者を務めるのは
本当は間違いなんじゃないか

わたしがかかわっているせいで
物事が円滑にいかないのではないか

いつも不安だった。

途中からは、仕事も辞めて、無我夢中で

ばあたんが入院してからは、
じいを励まさなければと気持ちは焦るのに、
実際はまるで「空の巣症候群」のように
身も心も抜け殻のようだった時期もあった。


だけど、今。
じわりと「これでよかったんだ」と思える。


大したことをしてきたわけではないけれど、

ちょっとでしゃばりでも、引き受けて良かったんだ
介護に関わってきたことは、間違いではなかったんだ

と、最近、ようやく思えるようになった気がする。


身内の介護という作業は、
たとえば仕事のように
ある一定の、目に見える「自分だけの成果」を、
実感できるわけではない。

それでも最近、
穏やかな喜びの波が
身体の奥から湧き上がってくるのを感じる。

これからまだまだ、いろんなことがあるだろう。
最後まで人に寄り添うということは、
わたしの想像をはるかに超えた、大変な事業なのだと思う。

でも、それでも
いま、ここで、これでいいのだと感じることができる。
この現実がすべてだ。


―しあわせだ。

石の上に三年座ってみて(1)

2006-06-08 23:37:35 | じいたんばあたん
ひとつ前の記事と、少し内容が重なるかもしれないのだけど…

「石の上にも三年」ということわざがある。
このことわざの意味が、最近、身に沁みつつある。

トンネルをくぐらなければ、山の向こうには辿りつけないのだな、と。

****************


ばあたんの様子がおかしいことに気づいてから
彼らの家に毎日出入りするようになった三年前。

祖父母の家のごく近くに引越し、新しい仕事も見つけ、
毎日、夕方の三時間ほど彼らの家を訪れる
そんなスタイルで、彼らとわたしの関わりは始まった。


ばあたんは、そのとき既にアルツハイマーの中期に差し掛かっていて
入浴や外出、ひとりで過ごすことなどを不安に思っていたので
わたしが毎日通うのをとても喜んでくれたのだが、

じいたんは、わたしという「手」がある生活を
なかなか受け容れられずにいた。


「なんでお前さんが、わざわざうちに出入りするんだ。
 おばあさんもおじいさんも二人でやれる。」
とにべもない態度を取るのは、ごく日常的なことで。

ふらついたときに手を差し伸べれば払いのけられる。
ゴミ箱を勝手に掃除したら、気分を害されてしまう。
下着の洗濯ひとつも、じいたんの分は、なかなかさせてもらえない。
(ばあたんのは何とかさせてもらっても)

家計簿つけをしていて、収支が合わないと
「きっとお前さんに渡したんだ、返してくれ」。
(介護をしていればよくある話なのだが、結構つらいものがある。)
あるいは、ひとりで解決しようとムキになって、いらいらしている。


とりわけ辛かったのは
ばあたんが、物忘れで何かを失敗してしまった時

病気のせいだと理解できず、怒ってしまうじいたんを
うまくなだめることができなくて
(それは、じいたんの気持ちも理解できるからなのだが)

風呂場に隠れ、声を立てずに泣くばあたんの背中を
ずっとさすっているしかない、そんな時期もあった。

ばあたんの病状が進み、わたしが仕事を辞めて
一日、祖父母宅にいるようになってからも
そういった状態はしばらく続いた。



でも、最近のじいたんは。


家計簿の収支が数十円違う程度では、
「まあ、こういうこともあるさね、お前さん」
と、あまり動じなくなった。

あるいは大幅に計算が合わないときには

「お前さん、聞いておくれ。
 おじいさん、どうも、○万円なくしたようなんだ。
 恥ずかしいのだけれど、一緒に調べてくれないかい?」

そんなふうに
わたしに頼んでくれるようになった。


デイケアに行くのにも積極的になった。
生活のリズムを作り、元気でいようという気持ちが強いようだ。

ときには、デイケアで描いた塗り絵などを
「どうだい、お前さん。なかなかきれいだろう」
と、嬉しそうにわたしに見せてくれるようにさえなった。


人の車で遠出をするときには、

「困ったことになってはいけないからね」
と、自分で紙おむつを履いて待っていてくれるようになった。

…ばあたんの見舞いなどに、二人で出かけるとき、
(杖なしで今もあるくじいたんは、時折あぶなっかしい)
じいたんの方から、わたしの手をつないで歩いてくれるようになった。


ほんの一年前のじいたんなら、考えられないことだ。



じいたん、また進化する。

2006-06-07 00:03:36 | じいたんばあたん
この春、…二月ごろからつい最近まで
じいたんとばあたんの今後について
転居も含め、色々と検討する時期が続いていた。

ばあたんを在宅で介護するのは、もう無理なので
快適さと費用面でより折り合いのつく環境を探すこと
それから
じいたんが、少しでもばあたんに会いやすい環境をつくるということ
それを目標として。


それでも、
じいたんはなかなか諦めきれない様子で
ことあるごとに

「おばあさんとまた、マンションで一緒に暮らせるようにできないかい?お前さん」

と、言っていたものだった。
じいたんの気持ちになってみれば、当然の願いだ。

「じいたん、それはね、もう、無理なんだよ」

ということを、折に触れてじいたんに伝えながら
彼の心情に寄り添うよりも、現実を処理することを優先しなければならない、
自分の立場や役割を恨めしく思った。

心身ともに、いまひとつ調子が整わないまま
いろいろなところを、ひとりで調べたり、訪ねたりする日々が続いた。
介護付き有料老人ホームや、特養、それから病院など
いろいろなところを訪ねて
一応は、「今の住居を出た場合」のプランも立てられた。

だが、一歩をなかなか踏み出せなくて、立ち止まってしまってもいた。

*************


そんな混乱した日々を、なんとかやり過ごしていくうちに。

じいたんは、ひらり、と階段を一段、のぼった。

 妻はもう、在宅で介護することは難しい。
 だから今いる病院で暮らしてもらうようにしたい。
 そして自分は、できる限り、慣れ親しんだ今の家で過ごしたい。
 歩ける限り、妻に会いに行く、そんなすごし方をしたい。

そんな結論に、
自力で、たどり着いたのだ。


その頃から、じいたんは、変わった。

一皮むけた。

年配の人に対して、ずいぶん僭越な表現だけれども
なんだか、人間として一回り、大きくなったんだなと感じる。

じいたんは、前よりももっと、かっこよく、素敵になった。
苦手なことが増えていっているにもかかわらず、だ。


最近は、わたしはじいたんを、放置プレイ状態にしている。

祖父母のあたらしい、暮らしのかたちを探したり
ちょっとした事務手続き(たとえば後見人制度など)で出歩いたり
介護のために転居してきて以来、
空けていなかった(三年もだ)ダンボールを、整理したり

そういった時間をたっぷり取らせてもらって
じいたんには、自分で頑張れることはなるべく頑張ってもらって。


一人でいる時間が格段に増えたじいたん。
意図的にしていることだとはいえ、実はかなり心配だった。

けれど。
じいたんは、予想以上に
ひとりで出来ることを色々探して、
自ら、生活をエンジョイするように工夫をしてくれている。


そしてわたしが
用事の合間を縫って、マンションを訪ねると
じいたんは、以前にもまして
わたしの来訪を、とても歓迎してくれる。

そしてわたしがいる間殆ど、目をきらきらさせながら、ずっとしゃべっている。
(前は、すぐ書斎に引っ込んでしまう人だったのに)


 「マンションの中の囲碁クラブの、お仲間と約束があるんだよ。
  お前さん、勝手にうちに入っておいてくれるかい?」

 「食事のテーブルで一緒になる方と、今度お寿司を食べに行く約束をしたんだよ。
  お前さんもぜひ、お供してくれ。」
  
 「弓道の達人と、新しく、仲良くなったんだよ、おじいさん。
  彼のお部屋にお邪魔してね、変わった刀や弓を沢山見せてもらったんだ。
  ついつい楽しくてね、気が付いたら
  おじいさん、ヘルパーさんが来る時間をすっかり忘れてしまったんだよ。」

 「お前さん、明日はおばあさんに会える日だよ。
  おばあさんみたいな可愛い人が待っていてくれて、おじいさんは本当に幸せだよ。
  次の見舞いには栗をもっていってやりたいのだが、どうだろう?」

そんな、たわいもないことを色々と、話してくれる。

「お前さんは、怒ると怖いからなぁ。
 おじいさんは、お前さんを頼りにしているんだから、いじめないでおくれよ。」

なんて、
いたずら小僧のような、満面の笑みで
わたしの肩をぱしぱしと叩きながら。



じいたんは、自らの老いを受容しつつあるのだと思う。
たぶん、いちばん良い形で。


自分を心のありようを変えるというのは、
しばしば、とても難しいことだ。
ましてや歳を重ねれば、なおさらだ。

だけど、じいたんは、変わった。
生きることをいとおしみ、より幸せな毎日を過ごすために、
しなやかに、変化してみせた。

それは、わたしにとっても生きる希望であるように感じられる。
歳をとっても、こんなに人間はたくましく変わっていける。
こころのありようを、自分の人生を変えていくことができるんだ、と。

そんなじいたんのそばに、介護者として寄り添えることを、
本当に、本当に、うれしく思う。


 ※うまく書ききれなかったところもあるので
  たぶんまた、もう少し具体的なことも、別の記事で綴ると思います。
  今日はこのへんで…

17回目の。

2006-02-05 23:55:34 | じいたんばあたん
じいたんは、その日を、すっかり忘れていたようだった。

忘れているのなら、
そのままにしておいてやりたい、という気もした。
思い出させるのは酷かもしれない、とも。

だけど去年も同じようにしたから、今年もやっぱりしよう
それから、こうやって忘れず手を合わせ続ける姿を
じいたんに見てもらうことで

じいたんばあたんとお別れした後も、
こんな風にずっと、ずっと、大事に思っているからね
と、
言外に伝えておきたい
そう思って

ささやかながら、お花とお供えを提げて祖父宅を訪れた。


その日は、彼の次男―わたしの父―の命日だった。


じいたんは、花を見ても、
仏壇をあけても気がつかない様子だったので
その旨を伝えると

「お前さん、今日だったかね。
 おじいさんも、呑気になったものだねぇ」

と笑いながら、それでもうれしそうに
わたしが仏壇へ花を生ける様子を眺めていた。

そして、
その日たまたま来宅していた、従妹の、
お土産を

「ひよちゃん(父のあだ名)に先に食べさせてやってくれ」

と、そっと供えた。



夜には、わたしの相方=ばうが訪ねてきてくれた。
いつもは残業するのだが、切り上げて。

亡くなったのは夜だったので、その時間に
じいたんとわたしをふたりきりにしないように、と
配慮してくれたのだろうと思う。

三人で、ごく質素な夕食をとり、
その後はずっと「史記」の話で盛り上がった。
じいたんは、歴史が大好きで
もし物理学者にならなかったら、歴史をやりたかったのだそうだ。

16年前、あれだけ悲しかったこの時間を、
今は、こんな風に過ごせている、その不思議を感じながら
わたしはそこに座っていた。
父の命日だということが消えてしまいそうなくらい、
とても穏やかで、楽しくて、…三人きりでも暖かい時間。


だけど


ばうが、お手洗いに席を立った時
じいたんが、そっとわたしの手を取り、つぶやいた。

「お前さん、こんな穏やかにこの日を迎えるのは
 おじいさん、初めてだよ。
 すまなかったね、ありがとう」

少しだけ、目が赤かったような気がした。


「いやぁね、じいたん、当たり前でしょ。
 わたし一人じゃさみしかったもん。付き合ってくれてありがとうね」

じいたんの涙に気づかぬふりをしながら、

  このひとは、息子に先立たれて後、
   どれほど悲しい思いを胸に秘めたまま、
     ここまで長生きしてくれたんだろう。

そう思うと、のどがぎゅっと詰まった。



マンションからの帰り、外へ出ると冷たい嵐が吹き荒れていた。
空いっぱいの悲しみをかき消すように、激しく。

父が、前へ進め、と
背中を押してくれているような気がした。


結婚式旅行記(5)帰りの道中。

2006-01-25 23:12:53 | じいたんばあたん
新幹線乗り場で、母が、あなご飯を持たせてくれた。


東京方面へと滑りだしたのぞみの車中で、
がつがつと穴子飯を掻き込む。

人目もはばからずぽろぽろ出てくる涙にも、
今だけはお構いなしで。

食べおわったら、…新横浜へついたら、また怒濤の日々。

母の姿や、妹の花嫁姿を思い出して、
存分に感慨にひたれるのも、この、今だけ。

新横浜へついたら、まっすぐ、じいたんのところへ向かおう。
ひとりぼっちで、ただひたすらあたしの帰りを待っていてくれる、
年老いた、いとしい家族―じいたんのところへ。


ビールで自分にお疲れさま、と乾杯。

新横浜に戻るまで、束の間の、羽休め。


*********


新横浜へ到着したのは、午後六時すこし前。

のぞみの車中では、せっかく座れたというのに
ほとんど眠ることができず、ようやくまどろみ始めたころ。

重い頭を振って、肩を叩く。
一歩、ひらり、とホームへと降り立ったら凍みこむ空気。
じいたんの顔が、たまらなく見たくなった。

そのまま、タクシー乗り場へ。

タクシーを拾うと、まもなく携帯に着信。
じいたんからだった。


「お前さん、無事着いたかい?
 今日はおじいさんのところには寄らなくて良いから、
 まっすぐ、部屋へお帰りなさい」

…本当はすぐにでも飛んできて欲しいくせに。

この二日間、電話連絡こそ怠らなかったけれど、
淋しく心細く過ごしていたにちがいない、じいたん。

そんなじいたんの心遣いに、涙が出た。


じいたん、あのね

そんなじいたんだから、あたしは、まっすぐ
あなたの懐へ向かって、走って帰るんだよ。

お土産、あれもこれもって、いっぱい、買っちゃったから、
今から一緒に、ふたりでのんびり、いただこうね。

待っていてくれて、ありがとう。


タクシーの車窓を流れる、夜景を目一杯吸い込み、

わたしは、ぱちん、と
「たま」から「介護猫たま」へ、シフトチェンジした。


祖父の郷里のお雑煮。

2006-01-02 22:49:56 | じいたんばあたん
おせちは、今年は私が体調不良ということで、
じいたんが、マンションで注文したものと、
わたしが用意したものを併せて、
ばうと、じいと、三人で食べた。

でも、どうしても
家庭の味をじいたんに食べてもらいたくて、
ひとつだけ、手作りのものを加えた。


それは、お雑煮。


じいたんの郷里は岡山だ。
そこでは、はまぐりと鰤を入れるのが正式なお雑煮なのだ。

でも、じいたんは、「お嬢様」だったばあたんに、
いちども、その雑煮をリクエストしたことがなかった。

だから、どうしても食べさせてあげたくて。


だしは、本来は煮干とするめで取るのだが、
今回は、かつおとしいたけ、するめで取った。
本当は昆布も使いたかったのだが、うっかり買い忘れ…orz

仕方がないので、隠し味に酒を少し加え、
具に入れる水菜に、味わいの深まりを期待することにして、
仕上げに、軽く醤油で味を調節する。


去年は再現する際、はまぐりが足りずに、物足りなかった。
今年ははぶりを手に入れられなくて、材料足らず。

でも、はまぐりを山盛り入れたら、
やはり味が程よく整った。


水菜(ホントはほうれん草)とかまぼこ、椎茸、はまぐりしか入っていない(人参を買うのを忘れたのだ)、
でも具沢山のお雑煮。
浅いどんぶりに盛るほどの量(殻が多いので…)。


ちょっと嫌がられちゃうかな、と心配した。

だけど祖父は、一口汁をすすった途端、

「お前さん、だしがとっても美味しいよ。
 本当にお前さんは料理上手だね」と笑ってくれた。

少々、身体が辛くても、工夫して頑張ってみてよかった。
こっそり台所で、目から酒。


来年こそは、ごく正式なスタイルの雑煮を作って、食べてもらいたい。
そして、わたしの特技、おせち料理も。


********************************

新年あけましておめでとうございます。
コメントは、全て大切に拝見させていただいています。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

たま 拝

********************************

風荒れ狂う中での祖父の言葉。

2005-12-22 21:45:54 | じいたんばあたん
この日の横浜は、夜になっても、とにかく風がすさまじい。

まるで冬の日本海と対峙しているみたいだ。
「絶対勝ち目ないじゃん」と思う、そんな突風。


祖父母宅へ夜六時過ぎに、行く約束をしていたのだが

電話での

「今夜は泊まっていきたまえ、お前さん」

の一言がプレッシャーになってしまって、
身体が言うことをきかない。


じいたんのことは、大好きだ。本当に、大好きなのだ。


だけど
祖父母といるとき、
わたしは自分のことが すべて 疎かになってしまう。

彼らを目にした途端、
自動的に「元気スイッチ」が入ってしまうのだ。


欠かさず飲まねばならない薬も、飲み忘れてしまう。
自分の食事も忘れる…喉を通らない。
下手したら、お手洗いの感覚も鈍くなる。

そして、自宅へ帰ったときには調子を崩す。

一歩も動けない。



そこへ風。荒れ狂う風。
外へ出たら、何かが飛んでくる。

行ったら、帰れない。


ああ、じいたんとの約束を破ってしまう。
でも無理、あたしが倒れたらおしまい。

…覚悟を決めて
今日は無理、と言うつもりで、電話を入れた。


そしたら、じいたんは わたしが言い出す前に

「お前さん、無事で 何よりだったよ。
 おじいさん、お前さんに、無茶を頼んだと後悔していたんだ。
 こんな風の中を、出てきちゃあ、いけないよ。
 若いお前さんは分からないだろうが、風というのは怖いものだよ。
 家で、じっとしていなさい。」

と言ってくれた。


電話を切ってから、力が抜けた。


じいたんが、わたしに寄せてくれている信頼。

それを、「事実」として
あたしは、もっと自信を持って、信じていいんだ。

じいたん、ごめんな。

ありがとう。