昨日、二人でお茶を飲んでいてふと、上のようなことを思い出したら
「じいたん、ホンマにありがとうね」
と、するり、口からこぼれた。
頑張ってくれてありがとうって言いたかった。
じいたんは
「お前さん、おじいさんはね、
いよいよ『おじいさん』になったんだなあ、って
最近、思うんだ。
歳をとって、できないことが増えていくのは、仕方のないことだね」
そんな言葉を、
少しも嫌な風ではなく
むしろどこかほっとしたような表情でつぶやいた。
そして
「お前さん、頼りにしているからね。
おじいさんとおばあさんを、よろしく頼むよ。」
と、あかるく笑った。
**************
うれしいな、と感じることはそれだけではない。
去年の春先から、調子を崩して静養していた叔母が、
今年になって随分元気になった。
伯父も、とても遠いところから
忙しい仕事の合間を縫って
交通費もかけて
なんとか時間を作って訪ねてきてくれる。
赤ん坊を生んだ従妹が
良いタイミングで、じいたんに電話を入れてくれる。
少しずつだけど、いい方向に向っている
そんな感覚がある。
*************
内心、いつも、どこかでびくつく気持ちを抱えたまま
介護を引き受けてきた。
祖父母の子供世代が健在なのに、それを差し置いて
(色々な事情があって、そう取り決めたにしても)
孫のわたしが主たる介護者を務めるのは
本当は間違いなんじゃないか
わたしがかかわっているせいで
物事が円滑にいかないのではないか
いつも不安だった。
途中からは、仕事も辞めて、無我夢中で
ばあたんが入院してからは、
じいを励まさなければと気持ちは焦るのに、
実際はまるで「空の巣症候群」のように
身も心も抜け殻のようだった時期もあった。
だけど、今。
じわりと「これでよかったんだ」と思える。
大したことをしてきたわけではないけれど、
ちょっとでしゃばりでも、引き受けて良かったんだ
介護に関わってきたことは、間違いではなかったんだ
と、最近、ようやく思えるようになった気がする。
身内の介護という作業は、
たとえば仕事のように
ある一定の、目に見える「自分だけの成果」を、
実感できるわけではない。
それでも最近、
穏やかな喜びの波が
身体の奥から湧き上がってくるのを感じる。
これからまだまだ、いろんなことがあるだろう。
最後まで人に寄り添うということは、
わたしの想像をはるかに超えた、大変な事業なのだと思う。
でも、それでも
いま、ここで、これでいいのだと感じることができる。
この現実がすべてだ。
―しあわせだ。
「じいたん、ホンマにありがとうね」
と、するり、口からこぼれた。
頑張ってくれてありがとうって言いたかった。
じいたんは
「お前さん、おじいさんはね、
いよいよ『おじいさん』になったんだなあ、って
最近、思うんだ。
歳をとって、できないことが増えていくのは、仕方のないことだね」
そんな言葉を、
少しも嫌な風ではなく
むしろどこかほっとしたような表情でつぶやいた。
そして
「お前さん、頼りにしているからね。
おじいさんとおばあさんを、よろしく頼むよ。」
と、あかるく笑った。
**************
うれしいな、と感じることはそれだけではない。
去年の春先から、調子を崩して静養していた叔母が、
今年になって随分元気になった。
伯父も、とても遠いところから
忙しい仕事の合間を縫って
交通費もかけて
なんとか時間を作って訪ねてきてくれる。
赤ん坊を生んだ従妹が
良いタイミングで、じいたんに電話を入れてくれる。
少しずつだけど、いい方向に向っている
そんな感覚がある。
*************
内心、いつも、どこかでびくつく気持ちを抱えたまま
介護を引き受けてきた。
祖父母の子供世代が健在なのに、それを差し置いて
(色々な事情があって、そう取り決めたにしても)
孫のわたしが主たる介護者を務めるのは
本当は間違いなんじゃないか
わたしがかかわっているせいで
物事が円滑にいかないのではないか
いつも不安だった。
途中からは、仕事も辞めて、無我夢中で
ばあたんが入院してからは、
じいを励まさなければと気持ちは焦るのに、
実際はまるで「空の巣症候群」のように
身も心も抜け殻のようだった時期もあった。
だけど、今。
じわりと「これでよかったんだ」と思える。
大したことをしてきたわけではないけれど、
ちょっとでしゃばりでも、引き受けて良かったんだ
介護に関わってきたことは、間違いではなかったんだ
と、最近、ようやく思えるようになった気がする。
身内の介護という作業は、
たとえば仕事のように
ある一定の、目に見える「自分だけの成果」を、
実感できるわけではない。
それでも最近、
穏やかな喜びの波が
身体の奥から湧き上がってくるのを感じる。
これからまだまだ、いろんなことがあるだろう。
最後まで人に寄り添うということは、
わたしの想像をはるかに超えた、大変な事業なのだと思う。
でも、それでも
いま、ここで、これでいいのだと感じることができる。
この現実がすべてだ。
―しあわせだ。
確実に進化しているたまさんを感じます
いつの間にかあなたは
懐が深くなったのではないでしょうか
私もうれしく思うと同時、に地域にそういう社会システムがないことを棚上げして、家族の介護を前提とした社会(介護保険も含み)、その中だけでしか働いていない自分がいるということ、そんな中で、「大切な何か」を確かめ、見つめ、歩んでいこうとする人がいることはとりもなおさず励みになります。
もしそうだとしたら本当に嬉しいです。
といいつつなかなか、なんですけれど^^;
「大切な何か」を確かめながら進む、というのはたぶんモチベーションを保とうとする、半ば無意識の試みなのだろうと個人的には思っています。
家族の介護が前提である社会の中で介護に関わって生きるというのは、社会のほかの部分とのつながりがともすれば薄くなってしまい、ある種の閉塞感や出口のなさのようなものに囚われてしまいがちなので…。
モニターの向こう側に同志がいるということを知るだけで、あたたかい気持ちになります。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。