第260話 望むべきところ

2009年12月13日 09時42分12秒 | Weblog

ご無沙汰しております。
久しぶりに更新ができそうです。

前話(第259話)で、一人ひとりが企業の顔であること、
人が人からサービスを受けるというのは本来決して安価なものではないこと、
介護サービス、保育サービス、様々に人が人にしかできないことというのがあるんだな・・・
などと今更ながら。
働くところがないとはいうけれど、
働き手を欲しているところはたくさんあるではないか。
ではなぜ求人しても、人が集まってこないのか。
業務内容がハードなわりに給与が安い(生計を立てることができない)からであろうか。

私の母は病院で介護の仕事をしている。
夜勤もあれば、人員不足ゆえに夜勤後そのまま続けて日勤業務なんてのもしょっちゅう。
小さな子をお風呂に入れるのも大変なのに、
女性の力で、身を委ねる大人をお風呂に入れるのはなんて重労働だろうと。
体のケアだけではない。
患者の話し相手にも、わがままにもこたえなければならない精神的なフォローも含む。
看護の方と足並みをそろえて命を守るという現場である以上、気を許せない。
そんな長時間の重労働だが給料は・・・安い。
母に「こんな安い給料のために働くのはもうやめなよ。
こんなハードな仕事を続けていたらいつか絶対、自分が体壊してしまうよ」
辞めて欲しいと訴えているが、
母は「いいねん。好きでやっていることだから」ととりあわない。
今のままでいくと、
高齢化社会。どんどん患者の人数は増える→介護者がいない→
ますます母がハードになる→変な話、母が介護という仕事に殺されてしまうではないか。
願わくば、
介護者の給料が高くなる→人が集まる→介護者の人員増加から勤務シフトが健全になる→母が楽になる。こうなって欲しい。
介護にももっと予算(注目)をと望むばかりである。

子ども手当について、その額や所得制限について、色々議論されている。
果たして子ども手当は純粋に子どもに対しての手当てなのか・・・
親の采配に委ねられている以上、その使用方法は多岐に分かれてゆくであろう。
今、子どもの為に月々使う方もいれば、将来の子どもの為に貯える方もいるであろうし、
家計の足しになる場合も、親自身の懐にいっている場合もあろう。
長期的な使途不明金といえなくもない。
それならばいっそ、施設や教育費(保育料は教育費と同額の負担軽減)、
給食費?(までしていいのかわからないが、
食べているにもかかわらず、払わない方がいるというニュースもあるので)
に充当する純粋な直接投資や相殺処理、現物支給にしてもいいのではないか。
できる限りの公平かつ平等な分配(もちろん余剰分は個人負担)
渡しきりの金銭的援助ではなく、意識改革や環境整備、人を循環させる雇用形態。
子育てを終えた世代、子のない世帯の負担への配慮も考慮した少子化対策が
この国の士気を高めるのではないかと思う。


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