第397話 木婚式

2011年11月13日 21時58分13秒 | Weblog

祖母はあっけなく亡くなった。
息子の運動会の後、お見舞いに行った折は気も心も丈夫であっただけに
その様子に安心してしまい、すぐに引き上げてしまった。
次の週末を待たずに連絡を受けた時は、意識不明の重体。
本当に見えていないものなのか、本当にきこえていないのか、思考はないのか・・・
瞼閉じて横たわる祖母にスタジオで撮った息子の七五三の写真を見せた。
結果からしかわからないのが残念だが、あの日が意識ある祖母に会えた最後となった。

祖父は倒れてから、何度も危篤状態を乗り越えながら13年間の介護生活を送った。
長男の嫁である母は献身的に介護した。
祖父も言語障害や半身不随を抱え、自身が不甲斐なく苛立った日々を過ごしていたことと思うが、
いつまで続くのか果てしない介護に娘として母の体調の方を案じていた。
祖母も介護は母に頼りながらも、最後まで祖父のそばにいた。
「おばあちゃんがおじいちゃんのことを好きでね、
 おじいちゃんのことを好きな人がもう一人いたんだけど・・・
 おじいちゃんはおばあちゃんと結婚したの」
おばあちゃんにそんなロマンスがあったなんて!
若かりし頃の思い出に祖母の情熱を見、13年、最後まで祖父に付き添った祖母の気力の訳を知る。

祖父の介護を経験し尽くした祖母の去り際は実に早かった。
意識不明で祖母と話すことはできなかったが、
痛みを感じることもなく逝けたのがせめてもの救いである。
通夜が行われた(10月の)18日、告別式の19日はあたたかく、いい天気であった。
祖母は86歳、必然的に兄妹も、友人もみな高齢である。
汗ばむこともなく、寒くもなく爽やかな秋晴れ。
ご焼香にかけつけてくださった方々の体調を思っての祖母の計らいではないかと思う。

私事であるが・・・
10月15日は私の結婚記念日だった。
15日、医師よりいつ逝ってもおかしくないと言われるそんな状態であった。
毎年、結婚記念日を思い出すと同時に祖母のことも思い出され・・・
悲しい日になるかもしれないことを私は覚悟した。
祖母は持ちこたえ、危篤となって5日後の17日、祖母が亡くなった。
来年の結婚記念日には2日後になくなった祖母のことを思い出すに違いないが、
それでも2日後に祖母のことだけを思うことができる。
おばあちゃん、ありがとう。


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