去年の9月末から延々と見てきた女人天下が終わりました。
最終回は疾風怒濤の展開で貞敬夫人という頂点に立ったナンジョンが大王大妃の死によって失脚し、死を選ぶまでを描いていました。
この回のエピソードだけであと50話くらい作れたんじゃないかという感じです。
最後の頃は私利私欲で動くナンジョンと王妃が不愉快でしたが、終わってみれば、納得できるような気がしました。
儒教社会の朝鮮において20年間、女性が政治の頂点にあるためには、これくらいじゃないと、すぐ足もとをすくわれてしまうんでしょうね。
文定王后が、儒教でなく、仏教を使って政治を行ったというのも、深い意味がありそうです。
女性や弱い者をいしずえにして政治を成り立たせるのが儒教なら、女性や弱い者を救うのが仏教なのではないでしょうか。
儒教の歴史から見ると失われた20年でも、仏教の歴史から見ると中興の20年だったというのもおもしろいです。
そして、最終回のバタバタは制作上の都合なのでしょうが、実際の人生を連想させてくれました。
子どもの頃や、若くて夢がいっぱいで、でも何にも持たず、何にもなっていない頃、時間はたっぷりあって、ちっとも時が過ぎていきません。
でも、大人になって、夢がかない、何もかも手に入れると時間はあっという間に過ぎていくのです。
そんなことをユン・ウォンピョンやナンジョンを見ていて思いました。
全150話なんて、よく作ったもんです。
そのパワーやねばりに感嘆します。
今度は王の女を見たくなりました。