○革命は成功し、王とヨン・テスは毒杯をあおる。
最高権力者となったゲソムンは新王を擁立する。
死ぬ直前の王の「焦るな」というゲソムンへの言葉、よくわかる気がします。
ゲソムンは高句麗の王、貴族、官僚を殺したのですが、それはただの焦りなのだとも言えます。
ただでさえ、(唐に比べても)人材不足の高句麗で、大量虐殺をしては、国が弱体化してしまいます。
のだめちゃんも焦っていたんだよなー。
○ついに革命が始まる。
ヨンゲソムンは国を売った者たちに鉄槌を下すのだった。
なんかー、血が飛ぶのが、違和感がありますねー。
自分がどんだけ、無菌状態で生きているのか、自覚してしまいます。
でも、これじゃ、王と、ゲソムンの叔父さんのヨン・テスが世情もわからないただのおバカさんに見えてしまいます。
というわけでヨンゲソムンとテジョヨン同時に見ていますけれど、
この間まで、テジョヨンの方がおもしろかったのに、おっさんになってヨンゲソムンの方がおもしろくなってきました。
というのは、ヨンゲソムンは隋で確立されていた地位が、高句麗に戻りリセットされてしまったからです。
反対にテジョヨンはケドンからテジョヨンになって、ちょっと落ち着いてしまったのでした。
でも、ぼーっと両ドラマを見ているとどっちがどっちかわからなくなってきます。
あれだけ、賢かったイ・ミルが魏王になったとたん、御乱心。
これは権力の魔力を表したのか、ただのご都合主義か?
ともかく、イ・ミルは皇帝になることを失敗し死んでしまう。
ヨンゲソムン(イ・テゴン)は早衣とともに高句麗に向かう。
で、55話、第2部開始。
いきなり、おっさん(ユ・ドングン)になったヨンゲソムンは白頭山での修業を終え、広開土王の石碑をなでまわし、平壌城をめざし歩きだす。
全100話なので、そろそろ、おっさん編になってもおかしくないけれど、やっぱり違和感がありますね。
テジョヨンでチェ・スジョンが青年時代からのテジョヨンを演じているのは、ヨンゲソムンに対抗してるんでしょうね。
隋と言うと煬帝(ようだい)と勉強しましたが、こんなにくわしく隋の歴史ドラマを見たことはありませんでした。
まあ、韓国から見た中国王朝の世界なので、ちょっと中身があやしい気もします。
でも、どこが変と指摘できない私も悲しいですね。
ところどころで朝鮮民族が中原を支配していたとか、倭国(日本)は三韓が支配するとか出てくるのがちょっと鼻に着きます。
高句麗、隋と戦ってます。
でも、勝ち続けていることが、いいことなのかどうか。
だんだん、いい気になっちゃうもんなー。
神風とか、天孫降臨とか言い出すともうあぶないです。
勝ち続けると、負ける確率が増えてくるような気がする私は貧乏症なんでしょうね。
負けても、後で勝つよって思うから、なんとかやっているのかも。
月から金の毎日更新で追われるように見なきゃいけないのがきついです。
で、今日は一気に5話見ました。
韓国ドラマの悪役国といえば、日本が定番なのに、このドラマでは隋とか唐とか中国なのが新鮮です。
このころは、日本なんて、どうってことない周辺国だったのでしょうね。
ゲムソンの子役、チェハだったとは…びっくりしました。
最近は、見覚えのある役者を見ると、名前は思い出せませんが、その人のイメージがわいてきます。
ゲムソンの場合だと、なぜかいたずらっ子で親しげな感じがしました。
何度も見た「春のワルツ」のチェハだったので、納得のイメージでしたね。
ヨンゲソムンGYAO放送開始。
1話は高句麗と唐の戦闘シーンが延々と続きました。
なんだかわからないけど、すごい。
ヨンゲソムンも誰かよくわからないけれど、そのうちわかるでしょう。
唐のイ・セミンって李世民と漢字で書かないとだれだかわからないです。
去年の9月末から延々と見てきた女人天下が終わりました。
最終回は疾風怒濤の展開で貞敬夫人という頂点に立ったナンジョンが大王大妃の死によって失脚し、死を選ぶまでを描いていました。
この回のエピソードだけであと50話くらい作れたんじゃないかという感じです。
最後の頃は私利私欲で動くナンジョンと王妃が不愉快でしたが、終わってみれば、納得できるような気がしました。
儒教社会の朝鮮において20年間、女性が政治の頂点にあるためには、これくらいじゃないと、すぐ足もとをすくわれてしまうんでしょうね。
文定王后が、儒教でなく、仏教を使って政治を行ったというのも、深い意味がありそうです。
女性や弱い者をいしずえにして政治を成り立たせるのが儒教なら、女性や弱い者を救うのが仏教なのではないでしょうか。
儒教の歴史から見ると失われた20年でも、仏教の歴史から見ると中興の20年だったというのもおもしろいです。
そして、最終回のバタバタは制作上の都合なのでしょうが、実際の人生を連想させてくれました。
子どもの頃や、若くて夢がいっぱいで、でも何にも持たず、何にもなっていない頃、時間はたっぷりあって、ちっとも時が過ぎていきません。
でも、大人になって、夢がかない、何もかも手に入れると時間はあっという間に過ぎていくのです。
そんなことをユン・ウォンピョンやナンジョンを見ていて思いました。
全150話なんて、よく作ったもんです。
そのパワーやねばりに感嘆します。
今度は王の女を見たくなりました。
のこりもあとわずかなのに、いきなりドラマが破たんしてしまってとても悲しいです。
いままで、ずっと見てきたナンジョンのキャラクターは、絶対に自分の手で人を毒殺するようなことはしません。
そんなことをしたら、どうなるかがわかっている、先が見える人間だからです。
そして、王妃に迷惑がかかることは絶対しない人間だからです。
ドラマの終盤に大急ぎの状態で無理やり話を終わらせにかかっているようです。
最初の設定ではモリンが殺人を犯すはずだったのに、時間がなくなって、止めてしまったのでしょうか。
ヌングムもどこかへ行ったままだし、キルサンのことはまったく振り返らないし…。
宮Sも破たんしてしまいました。
ジュンが皇族でなかったなんて、どんでん返しにもなりゃしない。
この設定はあきらかに間違っています。