日大豊山水泳部 活動日誌

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長野県東御市の魅力 その1

2021-01-09 10:59:06 | トピックス

東御市の読み方は、「とうみし」です。

全国難読市ランキングでも第1位になりました。

GMOアスリーツパークのある東御市の魅力についてご紹介致します。

まずは海野(うんの)宿です。

海野宿は重要伝統的建造物保存地区として、日本の道百選に選ばれています。

軽井沢と長野を結ぶ北国街道にあります。

平安時代から海野氏が栄えた城下町で、江戸時代に宿場町として開設されました。

街並みは江戸時代の旅籠造り、明治時代の蚕室造り、茅葺屋根などがあり、当時使用されていた約100棟が歴史的な建造物として保存されています。

家並みの特徴は「うだつ」です。

もともとは防火や防風のために作られたものでしたが、後々には装飾が施されるようになりそれなりに裕福な家に設けられたものであったため、現在では「うだつが上がらない」という言葉になっています。

海野氏の歴史は古く、平安時代から東信濃の有力豪族として栄えた一族です。

『平家物語』卷第八水島合戦で、海野の弥平四郎行広が木曽義仲の侍大将として登場します。

「侍大将には信濃国の住人海野の弥平四郎行広、都合其勢七千余騎、山陽道へ馳せ下り、備中国水島が渡に舟をうかべて、八島へ既に寄せむとす」

平家が本拠を置いていた讃岐の八島(屋島)に七千騎で山陽道を下って攻め寄せた海戦です。

もともと海戦は平家方が得意としており、不慣れな木曽方は敗れさり海野氏は討たれてしまいます。

平家の大将軍、能登守教経(のとのかみのりつね)は舟と舟をつなぎ合わせて戦ったのです。

海野宿東側にある白鳥神社は真田氏と深い縁がある神社で、日本武尊の伝統を起源として必勝や病気平癒、縁結びにご利益があると伝えられています。

このように海野宿は古くからの歴史が現在まで生き続けている場所なのです。

今回は下山していないためパンフレットの写真だけの紹介となりましたが、いつか訪ねてみたいと考えています。

資料館などもあります。

 

竹村知洋

 

 

 

 

 

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