植草甚一 マイ・フェイバリット・シングス at 世田谷文化会館
サン・マローを出て住宅街の中を2、3分歩くとすっごく大きなお屋敷が。
ウテナの創業者か何かのウチらしい。
世田谷文化会館はそのお屋敷の真横にある。
入口の前には大きな池があり、大きな鯉が泳いでた。
植草甚一を知ったのは70年の終わり頃かな。
でも、具体的に何をやってる人なのかは知らなくて、趣味の人ってイメージだった。
プロフィール
植草甚一(明治41~昭和54/1908~1979)は、早稲田大学で建築を学び、
映画館勤務を経て東宝宣伝部に入社。昭和23年砧撮影所の大争議を機に退社。
「キネマ旬報」の同人となり、映画評論をはじめる。
以後、ジャズやミステリー、漫画、ファッションなど、
同時代カウンター・カルチャーを紹介する記事を雑誌や新聞に盛んに発表し、
1960年代後半から70年代にかけて若者文化のシンボル的存在となった。
なるほどね。ムック(magazineとbookの中間のような出版物)の先駆けでもあるのね。
会場に入ると、アメリカの本でびっしりの本棚が。
書庫で本の山の中にいる写真もすごかったな。この人らしいや。
なんとなく、170センチくらいある紳士ってイメージだったんだけど、
151センチなのね。どうりで展示してあったスーツが小さいはずだ。
原稿用紙に青いインクで書かれた文字はすごく読みやすくて、
原稿用紙そのものが作品のようだった。