ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

沖縄の川~コザ銀天街~ヘチマ味噌炒め

2022-08-11 22:56:02 | たび<国内>
本日、2つめの記事アップです。長くなりますが。

ホテルに戻ったのは、テレビを見たかったから。
宮古島と橋でつながる来間島に、シーウッドホテルというリゾートホテルがあります。
門構えなどを見ると、一見あやしい感じで、宿の常連さんたちとも話題になっていました。
そのホテルに外国人技能実習生が来ていて、その紹介番組です。
リゾートホテルに外国人技能実習生が来ていること自体知らなったので、驚きです。
1期生としてインドネシア・フィリピンから10人ずつ、ベトナムから9人、計29人、
ビルクリーニング技能検定3級を目指して、シーツ取り換えも含めた清掃業務に携わっています。
3年滞在できて、その後、2年延長もできるようです。

外国人技能実習生の制度は、長年、多くの問題が指摘されています。
日本の技能を身に付けて、母国の発展のために役立ててもらうのが表向きの名目ですが、
実際は、人手不足の農業分野や工場で安い労働力として受け入れ、
片や実習生は、(技能を身に付けるよりも)お金を稼ぐことができると、
持ちつ持たれつの関係になっていることが多いようです。
いつの間にかベトナム人の実習生が増えていますが、日本へ来る前、
ブローカーにかなりのお金を払って来ていて、それで稼いでお金を返す必要があったりします。

番組でも、インタビューされている実習生は、(日本に来たのは)お金のため、
国へ帰って店を持ちたい、経営者になりたい、日本で働きたいと、
はっきり言っていました。
稼いだお金の半分を国の家族に送金していると言っている人も。
とりあえず、ホテルではうまくいっているようです。そんな番組のつくり方でしたね。
年内には2期生が来る予定だとも言っていました。
宮古島(来間島)でもそんな人たちが住んでいるんだと、新たな発見でした。

さ~て、コザ散策に出かけましょうか。

胡屋からコザ十字路(コザ銀天街)まで行ってみることにしました。
コザ十字路は車では通ったことがありますが、歩いたことはなかったので。



沖縄では珍しい川の風景です。比謝川(ひじゃがわ)で、調べてみたら沖縄県で2番目に長い川だそうです。
2番目とは思えないような、ごく普通の川に見えますが。本土の感覚で言えば。



ハブ!うっかり草むらの中に踏み込めませんね。



公園として整備されています。「ギークグスクミズベコウエン」と書いてあっても、すぐに読めませんよね。
歴史的には、越来村がのちのコザとなりましたが、村の名前は「ごえく」です。
こちらは「ギーク」。沖縄の言葉ではギークと発音するため、その読み方になっています。









説明では、「越来グスク」となっていますね。「城」でもいいのに~。



戦後、アメリカ統治時代、アメリカ本土では黒人が差別され、公民権運動が起こっていました。
遊ぶ場所も黒人と白人とは別れていて、ゲート通りの胡屋が白人街、コザ十字路(照屋)は黒人街でした。
こちらのビルに描かれているのは、黒人街をイメージしたもの。
コーヒーシャープは、コーヒーショップのこと。当時、聞いたそのままの発音となっていました。
PAWNは質屋のこと。





アメリカ本土の公民権運動と直結したコザの状況。どんなだったか、とても興味あります。



でもさー--、せっかく説明してあるのに、葉っぱや枝がど~んと邪魔していて、読めません!



こちらは明るい雰囲気。若者たちがこの地域を盛り上げようと頑張っているんですよね。
しかし~、コザ銀天街は賑わった時代があったのに、もうすっかりさびれています。ここも、ですね。



EM牛乳を手に入れました。最初の日、サンエーに行ったのに売り切れ。今日買いました。
サンエーでは180円、コザ十字路近くのかねひで(スーパー)では238円もしていましたよ。
あれ~、そんなに違うのか。サンエーのほうが全体的に高いと聞いていたのに。
沖縄サイズだから473mlですよ。沖縄にいることを実感できますね。

ところで、今日11日、沖縄では旧盆の「ナカビ」。10日が先祖をお迎えする「ウンケー」、
12日は先祖をお見送りする「ウークイ」です。スーパーへ行くと旧盆関連の商品がたくさんあって、
興味津々です。サトウキビとか、紙のお金とか、スーパーによっては説明が書いてあります。
お惣菜コーナーも旧盆対応となっていて、かまぼこやこんにゃく、ゴボウ、昆布など
本土のお節料理に少し似たような詰め合わせや、オードブルがずらり。
小さいサイズのお惣菜は一切消えていました。あらあら、残念。
なので、7月に行ったあやしいフリーダムにまた行ってみました。





ヘチマ味噌炒め(ナーベランブシー)が夏に食べたかったんです。
ヘチマは夏が旬ですからね。沖縄の夏の定番食材。ちょっとクセがありますが、ちゅるっとした感じがいいですね。
それに、汁をレンゲですくって飲んでみると、なんだかウマイ!
適当な店に入っても、なんだかおいしいんですよ。そいういう気分で食べるからかもしれませんが。
ここの定食に付いてくる汁ものは、キャンベルスープ(多分)。一見白っぽくて、いなむどぅちに見えますけどね。

すみません、またまた長くなってしまいました。

長くなったついでに、追記します。書き忘れていたので。
<1>
園田青年会のエイサーを見てホテルに戻ったのですが、部屋にいたら、音が近付いてきました。
すぐそこに来ている感じ。せっかくなので見に行ったら、ホテルの目の前に園田青年会が来ていました。
<2>
相変わらず人がほとんど歩いていない中央パークアベニューを突っ切って、図書館を目指しましたが、
あら~、祝日休みですって。宮古の図書館がよかったから、コザの図書館も割と新しいし、
私好みの資料がありそうだと思ったのに~。残念。
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コザで本場のエイサー~シアタードーナツ~コザ銀天街

2022-08-11 19:33:52 | たび<国内>
プラザハウスショッピングセンターからバスに乗って、中の町へ。
実はここから基本、カフェトモとは別行動になります。ホテルも別。
とりあえずチェックインして、TESIOのソーセージ屋さんで集合。
カフェトモの友人も合流しました。エイサー大好きな人です。ありがたいことに、今回案内してくださることに。



ミュージックタウンの1階でこれを食べながら、しばし情報収集。
旧盆の時期に各地域で行われるエイサーを見に行こうという計画です。
今年の旧盆は8月10~12日。情報収集や時間調整をしてから、山里を目指して歩き始めました。
手元にある資料によると、山里青年会は戦前から活動が続いていて、エイサーコンクールの優勝経験もあります。
国道330号から中に入った道を歩いていたら、山里まで行かないうちに太鼓の音が聞こえてきました。
音を頼りに向かってみると、諸見里公民館で諸見里青年会に行き当たりました。











こちらが参考になります。



地方(じかた)のベテラン勢。



諸見里青年会の旗頭は、諸見里の守り神として伝えられている獅子が描かれている立派なもの。



道路を一時通行止めにして行います。一連の流れが終わると、場所を移動して、
町内の皆さんに挨拶を入れたりして、来たことを告げていました。
途中、やはり山里に向かうため、私たちは330号へ戻り、あ、また聞こえてきましたよ。
音を頼りに、住宅街の細い道をたどって~、行き止まりだったりしましたが、
無事発見。こちらは園田(そんだ)青年会で、人数も多いし、見に来ていた人もかなりたくさんいました。
旅行者なら絶対歩かないような細い道をくねくね練り歩き、いつの間にか330号に出て、
歩道を練り歩きました。

園田青年会は、1977年に「全島エイサーコンクール」が「全島エイサーまつり」に変わるまでの21年間で
7回の最多優勝を含め、15回の入賞を誇る青年会。それで、人気が高いわけですね。

と、ホテルの近くまで来ていたので、私はそこで失礼することにしました。
地元密着の本物のエイサーを目の前で見てとても感動。私にとってコザといえばロックですが、
また違った顔を見ることができました。
元々エイサーが盛んな地域であったわけですが、
2007年に「エイサーのまち」宣言をして、市を挙げて取り組んでいます。

今日もコザ滞在ですが、予定は一つだけ。シアタードーナツ再訪です(前回はこちら)。
今回の旅は、出発前にも出発後にもいろいろ紆余曲折があって、予定があまり確定していませんでした。
なので、ホテルの予約についても、ホテルを変更したり日程を変更したり、動きが直前まで決まらず。
かっちり予定を決めてしまうと動きが取れなくなるので、成り行き任せが基本として。
前回見たいと思っていた「人生フルーツ」が見られることになりました。

ニュータウンの初期、日本住宅公団で団地などの都市計画に携わってきた津端修一さん・英子さんご夫妻のお話です。
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画に携わりましたが、修一さんの設計したものは反対にあい、
修一さんが描いていたものとは違ったものになりました。
一時は、高蔵寺ニュータウンの集合住宅に入居したものの、その後ニュータウンの300坪の土地を買い、
雑木林や畑をつくって、四季折々の変化を楽しみながら40年生活してきました。
自然体で登場するお二人ですが、最初は取材そのものを受け付けない、そういった姿勢だったそうです。
この映画がすごいのは、長いことかけて撮影している途中、修一さんが亡くなってしまったのですが、
それをそのままフィルムに収めていること。
2015年のある日、畑で草取りをした後、昼寝をして、起きてこなかった。
家に家族が集まって、見送ったのですが、そのまま、撮影しています。
非常に素晴らしい映画です。シアタードーナツでも長きにわたって上映を続けていて、
シアタードーナツの宮島さん曰く、沖縄県民全員に見てほしいから、いつまでも続けます、と。

ところで、大変なニュースが。シアタードーナツは再来年、道路拡張のため、閉鎖になるそうです。
移転先は未定ですが、必ず第二のシアタードーナツをつくりますとおっしゃっていました。
現在は、胡屋バス停の真ん前にあって、これほどいい場所はありません。いい移転先が見つかるといいのですが。



市内の循環バスに乗ってみたいと思って調べていました。北部は行ったことがないので、こちらに乗ろうと。



無料乗継券もあって、違うルートに乗り継げば、市内各所に行くことができます。



なんですけどね、祝日は運休なんですよ。残念ですね~。



シアタードーナツ近くの食堂でお昼。目玉焼きが付いたアーサ汁。アーサ、豆腐、角切りのポークが
たっぷり入っています。こういった汁ものは沖縄だと大きな丼で出てくるんですよね。

ここで一旦、ホテルに戻りました。
コメント (2)
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