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虹ヶ咲スクールアイドル同好会は絵柄や演出のトーンが今までと比べて控えめで
自分がラブライブの苦手というか嫌いだった部分がそんなに気にならなくなったお陰で
非常に見やすくキャラも可愛く思えるので、純クソアニメ的な楽しみ方が出来てます。
なんのかんの言いつつも各話3回づつ見ているので決して悪い意味では無いと
念を押して書いておきますが・・・このアニメを見ている時のテンションを解り易く書くと
地獄甲子園3巻冒頭のオマケ漫画、『3年B組珍八先生もしもみんながハッピーだったら』編の
「たまんね~」という台詞を全部「つまんね~」に変えた感じですね(試し読みで読めます)。
「お~すげーつまんねー つまんねーよ(ムフフフ」
みたいな・・・ってあれ数年前も同じ事言ってたな!?
一時の盛り上がりが異様だった反動かラブライブに対して冷静というか
寧ろ冷静さが過ぎて冷たい評価をされている所を見るのも珍しく
なくなくなってきたのでそういう意味でも愛おしいアニメですね。
とはいえ。
会話に参加してないけど画面に写っているセリフの無いキャラの描写で
どんなキャラか表しているさりげなさであったり3Dと手描きが一見して
解らないダンスシーンであったり、さりげない背景の美しさであったり
・・・本当のクソアニメだと手が届かない痒い所に手が届いてる所辺りは
横綱相撲感があるなぁとは思うので良い所も見てあげようよとか思ってます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/77/7b803b592909dde7252a68eeaf9757a6.jpg)
具体的に良いなと思った所とかも書こうかと思ったけれど長くなるので
今日のところは身内用の鍵垢でアイコンにして色付きぽむで締めておく。
また違うギャルゲー的な絵の動きの無さというか平版さを感じるし
個別MVの踊ってない部分がちょいちょいエロゲのPVみたいだったりして
今風っぽくはしているけど、隠しきれてない感がありますね。
そしてそこの隠しきれてない部分を見て「あっ」となるのがまた良い。
3分の1が誰を指しているかはお互い違う可能性があるので答え合わせは
敢えてしないでおきますが・・・90年代臭を匂わせる記号やパーツが
どこなのかという認識はお互いに一致していると思われます。
元(?)の絵柄や公式配信されるWEB4コマでの描かれ方を見ていると
アニメ版と同じ見た目や言動なのに、また妙に印象が違って見えるので
アニメの絵柄と平板な演出のが多さから来る合わせ技かなと思います。
というかソシャゲのCM見て俺の知ってる愛さんと違う!ってなった!
というか今までのシリーズと比較しても見た目的な記号の味付けが濃く
色分けもはっきりしているのに、他校のモブールアイドルよりも地味に
見えるって普通に考えればなんか奇妙な感覚ではありますよね。
モブールアイドルの方が従来のシリーズのメインキャラに近いから
華が無いように感じるのではないかと思うので、もしかしてアニガサキが
ラブライブの枠じゃなければ少し違って見えたりしたのかもしれません。
というか上でも書いたのですが、この間一挙放送の合間合間に流れる
ソシャゲのCM見て、この子達ラブライブのキャラみたいだ!ってなった!
俺の知ってる愛さんと違う!ってなった!
物語の終盤でイメチェンしてセンターになるものと思っていたのですが、ゲームのプレイヤーのポジションなのだとしたらそれもなさそうで、放送を見ていて感じていた得も言われぬ座り心地の悪さの正体が判明して溜飲が下がる思いです。
周囲の子達も、あの子が埒外であることを意識してギクシャクしそうに思うんですが、そういう考えてはいけない不文律のが大量にあるあたり、初期シリーズから全く変わってないんだなという安心感もあります。サスペンスであることが安心感というクソアニメ特融のリズムですね。
1/3の内訳は、前髪がぱっつんであるかないかという事に気がつきました。やはり主観なのでしょう。初期の話数で好きな子の担当が終わってしまって、最近は消化試合を見てる気分です。ぼやさんの推し(愛さん?)の子がいて悪口に聞こえたら申し訳ない。
世間的な風当たりが強いはずなのに正体を明かしてくれるなんて。
俺とは歌唱力が違うので一緒に歌おうなんて言えませんがせめて・・・
・・・なんてのは置いといて。
通称俺ちゃんはそういう経緯が合って出来たキャラクターみたいなので
プレイヤーの投影として一応のビジュアルがあるキャラクターというなら
まだしもアニメにすると浮いちゃうので、もっと裏方に徹しているような
描写が欲しい所ではあると2話位に感じた所ではあります。
しかしラブライブ自体が部の活動に重きを置いて描くシリーズでは無いので
そんな贅沢言っても無いものねだりになっちゃうと同時に割り切れたので
今のスタンスで見れているとも言えるかな?
今までだと話を動かす立場にそういう不文律を押し込めるような圧があったので
言いたくても言えないというのが、余計浮き彫りになっている感じもしますね。
もしくは浮き上がってくるのはお話の中でステージに上げたくてもゲーム内の
プレイヤーというのが足枷になって上げれないという大人の事情か!?
ギクシャクしてるように見えるというのに関して言えば部室にキャラを
全員置いている時に当番回の話を動かす子達のすったもんだが始まると
カメラが引いたシーンで当事者達以外が凄い置き物化しているのが見えて
ギクシャクさが垣間見れるのが面白いというのもあったりもします。
愛さんに関してはキャラクターの属性そのものは特に刺さる物は無いのですが・・・。
誰とでも仲良く出来て明るいキャラという、クソアニメだとただでさえ賑やかしに
なり易いキャラなのに、解り易いキャラ付けとして付けたダジャレという要素が
画面に出たときにダジャレを言わなくちゃならないという足枷になってしまって
物凄い窮屈そうにしていて・・・そこが不憫で可愛いから好きという感じです。
りなりーの背中を押すようなキャラであるのに逆に自分が前に出れなくなっているかのような。
個人的に好きな子の担当回は飛び飛びで来て回を重ねるごと作りの
駄目な部分が出てきてるので、テンション持続して見ているのですが
割と真っ当に期待しては8話の主役の話に関しては凄い赤ペン先生
したくなっちゃったので愛で方が歪んで来てる実感がありますね。
「生まれたときめき……」「目標のなかった私が〇〇」等々、センターになる子用の台詞を独占しているYOUちゃんの言動は、単なる過去作の焼き直し程度に捉えていましたが、実は根が深そうな問題なのですね。
置物化にも言えることですが、各自の設定や事象が孤立していて有機性が希薄なのも手伝って、重そうな事件も段取りめいたやり取りで流れていくさまは、まさに流しそうめん……。 かの同好会は、製作スタッフ心境の顕在ではないかと邪推が働きます。
愛で方については、「自由でいいんじゃないかな!」ってYOUちゃんならそう言います。ただ、信者ともアンチともいえない微妙な立ち位置のファンなんて精神状態おかしい扱いしかされないから苦労するんだよ。と、画面の中の俺ちゃんに説教したくなる時もあります。 世界のみんなが俺なら世界は平和なのに(錯乱)
つまりプロモーションビデオを作ろうと思った・・・・
そしてOPのAメロのぬーぼー・・・な、何か作為的な物が。
あからさまにセンターになる布石に見える台詞や話の中での役割も
あゆぴょんがやるとキャラ的に違和感があるから仕方ない部分はあるものの
その為に応援すてぴょんを動かす立場だろうと感じたのですが話を薦めるうちに
段々と歩夢ちゃん実はあんまやりたくないのでは無いかという疑惑が薄々と・・・。
各々の掘り下げが本筋と直接関係ないというか本筋が希薄だから見えないというか
ソロ活動というコンセプトだから当番回の連続という作りに割り切っていいやという
弊害が思いっきり出ているように思います。
結局最後は全員で1つのステージになるって流れになり終わってみれば
各々が道が交わる群像劇だったという終わりになるのは予想出来るのですが、
なまじそいういう終わりが見えるだけに余計に段取りくさく見えてくる。
さっきが君がそうめん(当番回)取ったから今度は君取らないでねという
図式が流しそうめんというのは言い得て妙ではないかと。
彼方のバイト先の名前がラテン語で姉妹になってたり話と直接関係ない
小ネタが散りばめられているだけに余計に邪推が・・・。
ただこれを含めて好きを公言するのは今回のしずこばりに躊躇いがありますよね。
4コマで全員が違う色が集まってる虹のような・・・的なセリフがありましたが
濁った色が混じっていると駄目なので、全員俺なら問題なくなるのに俺も思います。