発見記録

フランスの歴史と文学

アイラー、ジャンゴ、ラ・マルセイエーズ

2006-02-14 22:38:35 | インポート

「コルトレン亡き後に、彼の製作者であったインパルスのボブ・シールが、アイラーのアルバムを手がけることになったことは、結果的にはアイラーとその聴衆を混乱させるだけで終わったようである。ビートルズが『愛こそはすべて』で、アイラーお得意の「ラ・マルセイエーズ」をちゃっかり借用し、大ヒットを飛ばしたことが、この前衛サックス奏者の歩調を狂わせた。彼は長々とした演奏から降りて、レコード用に短い曲をいくつも作曲し、こともあろうにヴォーカルまで担当してみせた。みずからの資質に背いて制作された3枚のアルバムは、聴くたびにある痛々しさを思い出させる」
(四方田犬彦「音楽のアマチュア」(4)「アルバート・アイラー」 「一冊の本」2月号 朝日新聞社 )
「ラ・マルセイエーズ」をまさにアイラー流に演奏したSpirits RejoiceはiTunesで購入できるが11分39秒に及ぶため「アルバムのみ」になる。
「借用」問題は→The Fire That Time by Francis Davis(Village VoiceOctober 12th, 2004)

A peine inventée par Rouget de Lisle en avril 1792, la Marseillaise est parodiée : on en connaît, jusqu’à la IIIe République, des versions gourmande, scatologique, alcoolisée, anarchiste, antisémite. (ラ・マルセイエーズは、1792年4月ルージェ・ド・リールに作詞作曲されるとすぐにパロディーの対象になる。第三共和制までに食いしんぼ版、スカトロジー版、大酒版、アナーキスト版、反ユダヤ主義版が生まれたのが知られている。)Outrages et cætera ... par Antoine de BAECQUE
[ Libération - samedi 25 janvier 2003]http://www.ldh-toulon.net/article.php3?id_article=68
アイラーの演奏は決してパロディーではない。フランス駐留の軍楽隊時代に出会い「ラ・マヨネーズ」と呼んでいたというこの曲は、ふっと鼻歌に出るような「お気に入り」だったに違いない。

プロの音楽家が、ある国の国歌を、自由に、自己流のやり方で演奏する。ウッドストックでのジミ・ヘンドリクスのように、状況次第でそれは強い「メッセージ」として受け止められる。とはいえあの伝説的な「星条旗」The Star-Spangled Bannerは何を言いたかったのか?Even today, music scholars can't agree on what message, if any, Hendrix's screaming guitar and ballistic feedback was trying to deliver.  Star-Mangled Banner by John Gettings

ジャンゴ・ラインハルトとラ・マルセイエーズ

Après la guerre, il rejoint Stéphane Grappelli en Angleterre. C'est là qu'ils jouent La Marseillaise, rebaptisée Echoes of France dès le lendemain.(第二次大戦後、彼はイギリスでステファン・グラッペリと再会する。そこで二人はラ・マルセイエーズを演奏、曲は翌日からEchoes of Franceと呼び変えられる。)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Django_Reinhardt
開戦時ジャンゴとグラッペリの五重奏団は英国にいた。グラッペリは英国にとどまりジャンゴはフランスに戻る。ジプシーの多くがナチの強制収容所に送られる中、彼はジャズ好きのドイツ人将校ディートリヒ・シュルツ・コーンDietrich Schulz-Köhnの庇護を受け難を逃れた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Django_Reinhardt

? Des gens du voyage  une manifestation jazzy pour sauver la liberté d'une culture (La Voix du Nord, fin 2002)
漂泊民 文化の自由を護るためジャズでデモ行進)ーここに転載されたものーによれば
Ils étaient 5.000 gens du voyage - 2.500 selon la police - à défiler le 27 janvier à Paris, de la République à la Bastille, pour protester contre l'article 19 et 19bis du projet de loi Sarkozy sur la sécurité intérieure, qui prévoit des peines de six mois de prison et 3.750 euros d'amende ainsi que la confiscation du véhicule pour stationnement sauvage de caravanes, ce qu'ils jugent "disproportionné ".Des pasteurs et des laïcs de l'Eglise réformée de France, le président de l'ERF en région parisienne, le secrétaire général de la Cimade et le président de la FPF ont marché à leurs côtés, dans une atmosphère bon enfant, aux accents de la Marseillaise de Django Reinhard.
(集った漂泊民は五千人(警察発表では二千人)、彼らは1月27日、サルコジ国内治安法案の19条および19条の2に反対するためパリのレピュブリック広場からバスティーユ広場までを行進した。この条項はキャンピングカーの違法駐車に六ヶ月の懲役及び〔etなので「または」でないらしい〕罰金3.750ユーロ、車は没収と定めるもので、彼らは「不当に重すぎる」と考える。和気あいあい、ジャンゴ・ラインハルトのラ・マルセイエーズに乗って、フランス改革派教会の牧師と一般信徒、改革派教会パリ地方会長、la Cimade〔1939年創立、本来プロテスタント系青年運動として始まった移民難民の擁護支援組織〕事務総長、FPF(フランス・プロテスタント連盟)会長も共に行進した。)

記事の日付fin 2002は曖昧だし少々おかしいが、確める手がない。
この法については→門 彬氏「国内治安のための法律ー犯罪者のDNA情報蓄積から国旗・国家侮辱罪まで」http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/219/021905.pdf


美術館には壊れものが多い ニック・フリン氏の受難

2006-02-11 09:21:17 | インポート

検索の偶然で見つけた記事。
Un visiteur distrait détruit les vases inestimables d'un musée 
(ぼんやりした観客、美術館のこの上なく貴重な壷を割る)

Un visiteur malchanceux du musée Fitzwilliam de Cambridge a glissé sur son lacet, dévalé un escalier quatre à quatre avant d'atterrir sur de précieux vases chinois qui ont volé en éclats.
(ケンブリッジのフィッツウィリアム美術館〔http://www.fitzmuseum.cam.ac.uk/〕の運の悪い観客が自分の靴のひもで滑り階段を一気に転落、下にあった貴重な中国の壷が木っ端微塵になった。)

Brocantik.net(30/01/06)

階段をquatre à quatre上る、降りるー翻訳書ではよく「四段ずつ」と文字通りに訳されている。大股で、飛ぶように。漫画なら表現しやすいのだが。

「ひもを踏んだ」のか?「靴のひもを踏んで」によるGoogle検索結果

問題の陶器の写真つき'Windowsill' vases stun visitor  http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/cambridgeshire/4685130.stm
によれば
Nick Flynn said it was a "regrettable accident" when he tripped on his shoelaces and fell down stairs, shattering three 300-year Qing vases.

"I snagged my shoelace, missed the step and 'crash bang wallop,' there was a million pieces of high quality Qing ceramics lying around beneath me," Nick Flynn told BBC radio.
このsnagはどうもぴんと来ない、苦手な動詞。
?I snagged my stocking with my nail.
ストッキングに爪を引っかけた。
スペースアルク 英辞朗

フリン氏が言うように陶器をただ「窓敷居」に置いただけで、安全対策をしてなかったとしたら館側にも責任はある、当分入館お断りとはお気の毒。

いっそ壊れやすい物は複製を展示したらどうか。
と思ったら「影武者」方式は実際に行なわれているらしい。新潟の「医の博物館」について諏訪弘氏は
「さて、ここでぜひとも強調しておきたい。それは当館が展示するものは、すべてその当時に出版、あるいは製作され使用された「本物」であることだ。というと「何を当たり前のことを」と思われるかもしれない。しかし、複製品を展示する博物館も決して少なくはないのである」(医学の歩みに人間の営みの本質を見る

「尿瓶(しびん)」vase de nuit の連想も手伝い思い出したのは、デュシャンが「泉」と名づけ展覧会に出した名高い便器urinoir を壊した「ハプニング・アーティスト」ピエール・ピノンセリPierre Pinoncelli こちらは事故でなく確信犯。
この人のことは鯖田鮫蔵的批評(&フランスメディア翻訳) マルセル・デュシャンの便器破壊男に判決 で知った。

M. Pinoncelli et Duchamp : frappante charité (Le Monde 07/01/06)は記事の最後に

Plus prosaïquement, La Fontaine de Marcel Duchamp n'existe plus depuis 1917, date à laquelle l'original s'est perdu. Les huit versions aujourd'hui disponibles sont le résultat d'une édition réalisée par l'artiste et le marchand italien Schwartz en 1964. La dernière disponible sur le marché a été vendue à un collectionneur grec en 1999, pour l'équivalent de 1,6 million d'euros.

(もっと味気ない話をすれば、マルセル・デュシャンの「泉」はオリジナルが紛失された1917年以後、実在しない。現在ある八つのバージョンは1964年イタリアの芸術家で画商[アルトゥーロ・〕シュヴァルツによって製作された。最後に市場に出たものは1999年、ギリシアの収集家に160万ユーロ相等の値で売却された。)

今日の挿絵によさそうなのはデュシャンの『階段を下りる裸体』か。


つい「圧縮」したくなる時

2006-02-09 21:42:51 | インポート

02/04 ジャン・ポーラン を一部書き直しました。

ポーランは世界のさまざまな言語に見られる、一つの語が相反する意味を持つという現象に興味を持っていた。(もとバージョン)

フランス語にもまたいわゆる未開の言語にも、相反する意味を表すのに一つの語しかないという例は珍しくなく、それはシズテムとしての言語の働きに何ら支障を及ぼさない。ポーランはこの事実に注目した。

Que les écrivains soient curieux, voilà une vertu encore qui plaît à J.P. et dont je crois que malaisément il se passe. N’est-ce pas J.P., d’ailleurs, qui nous a fait remarquer combien il est courant de n’avoir qu’un mot pour des significations contraires, en français aussi bien que dans les langues les plus primitives, et combien le langage avec facilité s’en tire ? Oui. Et le mot curieux est de cette espèce justement, puisqu’il change de sens selon que son rôle est actif ou passif et convient également à l’observateur et à la chose ou personne observée.

何語を指すのかよくわからず、つい「圧縮」してしまいましたが少なくともその一つはマダガスカルの言語らしい。
深澤秀夫氏 言葉への旅:ジャン・ポーランのマダガスカル

本格的な論考で、特にポーランによるマダガスカルの民衆詩の仏訳を詳細に吟味した所は私にはむずかしい。こういうのを拝見すると萎縮してしまいますが。
形容詞curieuxは面白い、言いたいのはそれだけなので。

「未開」を使いたくなかった、これも咄嗟に端折った理由のひとつです。六月にオープンするケ・ブランリー美術館Musée du Quai Branlyのサイトには
Lorsque M. Jacques Chirac a lancé l'idée de ce musée, en 1994, à l'occasion de l'exposition qui s'est tenue au Petit Palais, sur l'art Taïno, il a employé le terme "musée des arts premiers", par opposition à la dénomination plus habituelle, en France, d'arts "primitifs" qui peut, parfois, avoir une connotation péjorative.

http://www.quaibranly.fr/article.php3?id_article=791

(1994年に、ジャック・シラク氏がプチ・パレで開催されたタイノ族芸術展に際しこの美術館のアイデアを提唱した時、フランスではより一般的だが時には軽蔑的意味合いを持つ呼称「未開」芸術に対して「原初芸術美術館」ということばを用いた。)

「原初芸術」arts premiers は、1965年にクロード・ロワがアメリカでearly artというのにヒントを得、本の題にしたのが始まり。また今度の美術館開館が刺激になり市場でも「非西欧」の芸術に人気が集まっているそうです。

Nouvel Observateur Hebdo  N°2104 - 3/3/2005 Le marché de l'art en ébullition Les arts premiers explosent


Curieuxとcuriosité

2006-02-07 10:34:58 | インポート

Mon pot’ le gitan c’est un gars curieux
ぼくの友ジプシーは変わったやつさ
  (「ぼくの友ジプシー」Mon pot’ le gitan)
http://www.paroles.net/chansons/18644.htm
形容詞curieuxが「好奇心旺盛」か「奇妙な、変わった」か、たいていは判断がつく。
Une gueule toute noir, des carreaux tout bleus
Y reste des heures sans dire un seul mot
Assis près du poêle au fond du bistrot
C'gars-là une roulotte s'promène dans sa tête
Et quand elle voyage jamais ne s'arrête
Des tas d'paysages sortent de ses yeux
顔は真っ黒 眼鏡は真っ青(?)
そいつはひとことも口を聞かず、何時間でも
ビストロの奥のストーブのそばに座ってる
頭の中をトレーラー車が駆け回るのさ
車が移動する時は決して停まらない
そいつの目から風景が山のように溢れ出す

ムルージのLP歌詞カードでdes carreaux tout bleusの訳を確めたいが取り出すのには手間が要る。

Curieuxでもう一つ印象に残っているのがアンドレ・ドーテルの『ダミオン山』André Dhôtel, Le Mont Damion (1964)
主人公の少年Fabien Gortは、いつもぼーっとして見える。田舎に預けられれば馬鹿だとからかわれ、籠細工職人に弟子入りすれば追い出される。
手なずけた狼と野良猫を連れ一人パリに戻るが両親は旅行中。新しい女中は少年を怪しみ、家に入らせない。
河岸で野宿。ここで二人のイギリス人に出会う。数学者James Atterburyは花のような自然形態の「計算できない曲線」les courbes incalculablesに関心を持つ。
もう一人実業家homme d’affairesだというJohn Camperdownは
"Nous devons vous expliquer d’abord que nous sommes des gens curieux,c’est à dire...curieux."
まずあなたに説明しなければなりません、私たちはcurieuxな人間、つまりその・・・curieuxなのです。
ジプシーと間違えられそうな少年(女中もイギリス人もromanichelを口にする)に話しかけるのは「好奇心」の現れだろうか。
Fabienの帽子は放浪のあいだに形がくずれ「パンケーキgaletteとも王冠ともつかない」数学者の目はまず帽子の縁の曲線に引きつけられる。

狼と野良猫。時には凶暴さを見せる二匹の獣と少年の間には不思議な共生関係が生まれる。
Elles [les bêtes] étaient animées par leurs curiosités sans bornes et chaque geste de Fabien, chaque parole avait un grand prix.
獣たちは限りを知らない好奇心に駆られ、ファビアンの身振り、ことばの一つ一つ〔彼らには〕大きな価値があった。

誰も興味を持たないことに注意を向ける「好奇心旺盛」な者は、そうでない者の目に「変わった」存在と映るのではないか。

形容詞の位置による区別
un curieux homme  a curious (strange) man

un homme curieux  a curious (nosy) man

Adjectifs qui changent de sens ? Fickle French Adjectives

は一応の目安になるがあくまで「一般に」だろう。


ジャン・ポーラン

2006-02-04 11:16:36 | インポート

ジャン・ポーランのアカデミー入りはガストン・ガリマールを激怒させた。

「この”熱烈な戦士”があんなところでいったい何をする気なのだ?(中略)ガストンの腹の虫はおさまらず、このような好ましくない場所に入りこむような真似はしないというNRFの古手が交わした誓約を思い出させた。結局のところ、雑誌といい、ヴィユ・コロンビエ座といい、社の発行物の大きな部分といい、“アカデミックな精神”に抗して方向を定められてきたのだ」(ピエール・アスリーヌ『ガストン・ガリマール―フランス出版の半世紀』(天野恒雄訳 みすず書房)

アカデミー入会はマンディアルグとポーランの仲にも亀裂を生んだだろうか?次のページ LA LETTRE AU LIVRE (3) Mandiargues et Paulhan : le goût partagé du bizarre で、おとといの日記の詩のタイトルはChapeaugaga ovvero Academic micmacとわかる。毒キノコからバリ島舞踏団までマンディアルグの多彩な興味を示す『月時計』Le cadran lunaireのエッセーが、もともとNRFに連載されたこと、執筆依頼の手紙でポーランが提案したタイトルはLes Curiosités du moisだったことも。

マンディアルグがポーランの死後、全集のため書いた文章? J.P.?(1969 その後Troisième Belvédèreに収録)のキーワードは、ずばりcurieux だろう。「好奇心旺盛な」であり「奇妙な、変わった」でもあるこの語の二重性はボードレールの詩Le rêve d'un curieuxで巧みに生かされている。

フランス語にもまたいわゆる未開の言語にも、相反する意味を表すのに一つの語しかないという例は珍しくなく、それはシズテムとしての言語の働きに何ら支障を及ぼさない。ポーランはこの事実に注目した。

ジッドとサドは「好奇心旺盛」(語の能動的意味)ゆえに彼の強い共感を得る。だがこの二人が「変わった、好奇心を持たれる」(受動的意味)作家であることも確かだ。
ポーランの好奇心は、いかにも奇々怪々なものに向かわない。「J.P.は彼の物語(レシ)で私たちに証明してみせた、もっとも単純な人生の諸相が、そこに彼が向ける独特の注視によって尋常でなくなり、幻想の域にさえ達すると」(J.P., dans ses récits, nous a montré que les plus simples aspects de la vie, par l’effet de l’originale attention qu’il leur portait, atteignaient à l’extraordinaire et même au fantastique.)

ヴァレリー・ラルボーとポーランの対比。ラルボーの書物の聖化。女性よりも書物を上におくほどに。 ポーランの目は書物を超え、人間と言語(la personne et le language)に向かう。
「美しい」小説、「すばらしい」詩un ?admirable? poème といった讃辞はまず筆にしない。ポーランはexpressionが「表現」と「表情」を意味することに注目する。作家論はしばしば「肖像」portrait となる、サドの青い目、物腰のどこか軟弱なところ、この上なくきれいな歯、ハムスンの赤毛や口髭、「車を停めそうな」いかつい肩。
ambiguïté「政治の分野では―私には関わりがないことだが―J.P.は両義性こそ精神の自由の欠かせぬ条件であると証明しなかっただろうか?」ジュール・ルナールのような簡素で古典的な文体と、サングリアやマルコム・ド・シャザルのようなバロック的文体を共に擁護する。あらかじめ持っている教理や理論を適用するのではない、真に自由な批評。