発見記録

フランスの歴史と文学

ジャン・ポーラン

2006-02-04 11:16:36 | インポート

ジャン・ポーランのアカデミー入りはガストン・ガリマールを激怒させた。

「この”熱烈な戦士”があんなところでいったい何をする気なのだ?(中略)ガストンの腹の虫はおさまらず、このような好ましくない場所に入りこむような真似はしないというNRFの古手が交わした誓約を思い出させた。結局のところ、雑誌といい、ヴィユ・コロンビエ座といい、社の発行物の大きな部分といい、“アカデミックな精神”に抗して方向を定められてきたのだ」(ピエール・アスリーヌ『ガストン・ガリマール―フランス出版の半世紀』(天野恒雄訳 みすず書房)

アカデミー入会はマンディアルグとポーランの仲にも亀裂を生んだだろうか?次のページ LA LETTRE AU LIVRE (3) Mandiargues et Paulhan : le goût partagé du bizarre で、おとといの日記の詩のタイトルはChapeaugaga ovvero Academic micmacとわかる。毒キノコからバリ島舞踏団までマンディアルグの多彩な興味を示す『月時計』Le cadran lunaireのエッセーが、もともとNRFに連載されたこと、執筆依頼の手紙でポーランが提案したタイトルはLes Curiosités du moisだったことも。

マンディアルグがポーランの死後、全集のため書いた文章? J.P.?(1969 その後Troisième Belvédèreに収録)のキーワードは、ずばりcurieux だろう。「好奇心旺盛な」であり「奇妙な、変わった」でもあるこの語の二重性はボードレールの詩Le rêve d'un curieuxで巧みに生かされている。

フランス語にもまたいわゆる未開の言語にも、相反する意味を表すのに一つの語しかないという例は珍しくなく、それはシズテムとしての言語の働きに何ら支障を及ぼさない。ポーランはこの事実に注目した。

ジッドとサドは「好奇心旺盛」(語の能動的意味)ゆえに彼の強い共感を得る。だがこの二人が「変わった、好奇心を持たれる」(受動的意味)作家であることも確かだ。
ポーランの好奇心は、いかにも奇々怪々なものに向かわない。「J.P.は彼の物語(レシ)で私たちに証明してみせた、もっとも単純な人生の諸相が、そこに彼が向ける独特の注視によって尋常でなくなり、幻想の域にさえ達すると」(J.P., dans ses récits, nous a montré que les plus simples aspects de la vie, par l’effet de l’originale attention qu’il leur portait, atteignaient à l’extraordinaire et même au fantastique.)

ヴァレリー・ラルボーとポーランの対比。ラルボーの書物の聖化。女性よりも書物を上におくほどに。 ポーランの目は書物を超え、人間と言語(la personne et le language)に向かう。
「美しい」小説、「すばらしい」詩un ?admirable? poème といった讃辞はまず筆にしない。ポーランはexpressionが「表現」と「表情」を意味することに注目する。作家論はしばしば「肖像」portrait となる、サドの青い目、物腰のどこか軟弱なところ、この上なくきれいな歯、ハムスンの赤毛や口髭、「車を停めそうな」いかつい肩。
ambiguïté「政治の分野では―私には関わりがないことだが―J.P.は両義性こそ精神の自由の欠かせぬ条件であると証明しなかっただろうか?」ジュール・ルナールのような簡素で古典的な文体と、サングリアやマルコム・ド・シャザルのようなバロック的文体を共に擁護する。あらかじめ持っている教理や理論を適用するのではない、真に自由な批評。