中国では菲米娜と書くらしいフェミナ賞、その歴史についての記事が思うほど見つからない。「女性と文学的場」というカナダのコロックでの発表(の要旨)を訳してみる。この程度でも当面ありがたい。L'entrée des femmes à l'institution littéraire: la création du Prix Fémina.
IRVINE, MARGOT, Université de Toronto à Mississauga
文学的制度への女性参入ーフェミナ賞の創設
1904年12月の「ル・ゴーロワ」紙は伝えている、ミリアム・アリの『エルサレム征服』が今年のゴンクール賞に輝く見込みは十分ある。しかしこの新聞が言うように、「ミリアム・アリは女である。いずれ劣らず才能ある男性四人と競り合いを演じているのにアカデミー・ゴンクールが女に賞を与える革命的行動に出るとは、彼女のファンも考えていない。従ってマダム・ミリアム・アリは真っ先に候補から外れそうである」(「ル・ゴーロワ」1904年12月4日)事実1904年のゴンクール賞はレオン・フラピエの小説La Maternelleに与えられた。これを不当だと感じ、対抗措置を打ったのが女性雑誌「幸福生活」の編集長マダム・カロリーヌ・ド・ブルテル、彼女は女性だけで審査するもう一つの文学賞創設を決める。「幸福生活」賞(数年後にはフェミナ賞となる)の最初の審査員は22人の女性の文人から成る。彼女たちは共に、作者の性別に関わらずその年の最良の作品に賞を贈ろうと決める。彼女たちはこうして初めて男のまた女の作品が純粋にその価値により判定されることができると考える。「幸福生活」賞の第二のねらいは、審査員の間に友愛の絆を育て、これによって女のアカデミーと見てよいものを作り出すことだ。以下の発表で私はフェミナ賞の創生を論じ、この賞が最初の時期にどこまで正当性を得るのに成功したか明らかにしてみたい。