発見記録

フランスの歴史と文学

彫像の共和国(4)象徴戦争

2006-02-24 10:56:38 | インポート

渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』6 ある出版屋の話 には次の附記がある。

「モベール広場の〔エティエンヌ・〕ドレ像は、一九三一-一九三二年に私がパリにいた時には、立派に立っていたが、第二次大戦の折、ナチス・ドイツ軍のために取り除かれてしまった。理由は不明である。一九六五年と一九六七ー一九六八年との両度に亘って、パリにいたので、度々モベール広場に行ったが、ドレ像の台座だけが人々の忘却に包まれて不恰好な姿を曝していた。(mars 1970)」

エラスムスやラブレーを出版したユマニスト・印刷業者ドレは、無神論的な思想と言辞により1556年8月3日この広場で火刑になった。その後1889年にドレの像が立つ。

Le 3 août 1896, devant la statue d'Etienne Dolet, place Maubert à Paris, une foule de plus de 20 mille personnes réunies à l'appel de tous les groupements socialistes de Paris, manifeste son anticléricalisme et son athéisme. Ce rassemblement annuel des libres penseurs se heurtera, selon les années, aux autorités qui tenteront à plusieurs reprises de l'interdire.
(1896年8月3日、パリはモーベール広場のエティエンヌ・ドレ像の前、社会主義諸派がこぞって呼びかけ集まった二万人の群集が、反教権主義と無神論を表明する。毎年行なわれるこの自由思想家たちの集会は、年によっては、再三に亘りこれを禁止しようとする当局と衝突するだろう。)

Durant l'occupation allemande, la statue d'Etienne Dolet (ainsi que celle du Chevalier De La Barre) sera déboulonnée et fondue.
(ドイツ占領下、エティエンヌ・ドレ像は(シュヴァリエ・ド・ラ・バール像と同様)撤去・鋳潰(つぶ)しを受けるだろう。)

http://ytak.club.fr/aout1.html

シュヴァリエ・ド・ラ・バール(François Jean Lefebvre de La Barre, 通称(le)Chevalier de la Barre 1746-1766 )は1765年アブヴィルAbbeville(Somme)の橋ポン・ヌフの十字架が傷つけられた事件で、二人の仲間と取調べを受ける。彼らは宗教を冒涜する唄を歌った、「聖体の祝日」の行列に帽子を取り礼をしなかった、これらの証言に加え、家宅捜索でラ・バールの持っていた三冊の禁書(ヴォルテール『哲学辞典』など)が見つかる。
シュヴァリエ・ド・ラ・バールは翌年、パリから送られた五人の刑吏により処刑を受けた。拷問・斬首の上、所持していた『哲学辞典』と共に焼かれる。名誉回復がなるのは革命下1791年のことである。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Chevalier_de_La_Barre

シュヴァリエ・ド・ラ・バール像は、1897年の自由思想家たちの運動によってサクレ・クール寺院後陣前に建立が決まった。
自由思想家の目から見れば、パリ・コミューンの後モンマルトルの丘の上に建てられた寺院は「世界中に革命精神を掻きたてたことで神罰に値したフランスを救済する」"sauver la France qui a mérité le châtiment de Dieu par l'encouragement qu'elle a donné à l'esprit révolutionnaire dans le mondeのを目的とする、反動のモニュメントであり、この像は一つの報復を意味した。
除幕式が行なわれたのは1905年9月3日、「自由思想国際会議」の開催を翌日に控えてのデモには会議の出席者、フリーメーソン団員も混じる。彼らはパリ市役所で出迎えを受ける。国民議会ではこの年政教分離法が可決されようとしていた。
http://www.laicite1905.com/chevalier.htm

http://www.baudelet.net/frsc.htm

シュヴァリエ・ド・ラ・バール像はその後近くの別の場所(le square Nadar)に移された後、ヴィシー政権時代に台座を残して取り除かれた。2001年、l'Association Le Chevalier de la Barre による募金で像は再興された。だが別の組織l'Association Internationale du Chevalier de la Barreは、もとの像と同じように(足元に火刑の薪と『哲学辞典』)、公費で作り直すよう求めているという。
写真と共にhttp://www.atheisme.org/statue.html