発見記録

フランスの歴史と文学

ダニエル・アレヴィ『わが友ドガ』

2006-12-25 06:45:34 | インポート

コクトーの話(12/22)には、ダニエル・アレヴィDaniel Halévyの名前が出る。アレヴィ (1872-1962)は歴史家、邦訳に『ニーチェ伝』。ペギーとアレヴィの関連についてはさしあたり何も書けないが、幸い"My Friend Degas"(Mina Curtiss 編・英訳 Wesleyan U.P. 1964 )がある。ドガの言行を書きとめた青年期の日記にもとづくこの本は、アレヴィの晩年に"Degas parle"(1960)として出版された。

バイエルンのフュルト(Fürth)生まれのエリ(1760-1826)に始まるアレヴィ家四代の人々は、音楽や演劇、多方面でフランス文化に足跡を残している。ドガはリュドヴィック(1834-1908)とはリセ・ルイ=ル=グラン以来の友、頻繁にアレヴィ家を訪れるドガを、ダニエルは子供の頃から目にしてきた。"Monsieur Degas has just lunched here."と始まる日記(1888年10月26日)からは、16歳の少年が、ドガを交えての会話をどれほど楽しみにしていたかが感じ取れる。"And Degas lunches are for me the greatest feasts imaginable. In my eyes Degas is the incarnation of all intelligence."
芸術に止まらず、あらゆることについてドガは独特の考えを持っていた。読書好きで、『千夜一夜物語』からいくつもお話を語って聞かせることができた。この日の日記には、再読の意義を説くドガの言葉が記されている。多読よりは選ばれた本の精読をドガは奨める。"You must have five favorite books and never abandon them."
少年の目にドガは、「知性そのもの」the incarnation of all intelligenceと映る。知性とは、どうやら楽しげなおしゃべりの場を最良の舞台とするものらしい。それは好奇心と切り離せず、喜びをもたらす何かなのだ。ここにもアレヴィ家の気風といったものが感じられないだろうか。

1996年、オルセー美術館でアレヴィ家の二世紀を辿る展覧会(”Entre le théâtre et l'histoire. La famille Halevy (1760-1960)”として書籍化)が開催された。Le Monde記事(05.04.96)の見出しは”L'esprit d'Halévy Généalogie d'une séduction” (アレヴィの精神 ある誘惑の系譜学) アレヴィ家が一つの「王朝」を成したとしても、その力と長い生命は、銀行にも産業にも、科学にも政治にも依存するものではなかった。
Non, le champ d'élection des Halévy, du début à la fin, c'est la littérature, la langue française, d'acquisition récente, de maîtrise totale, qui donne à leur génie, comme à leur morale, les traits du classicisme. Même Ludovic, dans les emportements de La Belle Hélène ou de La Vie parisienne, n'a pas un mot de trop, pas une expression déplacée.
(いやアレヴィ家の本領は、終始文学に、身につけて日は浅いが完全にマスターしたフランス語にあった。フランス語は彼らの天才に道徳に、古典主義的特色を与える。リュドヴィックさえ、『美しきエレーヌ』や『パリ生活』〔メイヤックと書いたオペラ台本〕の熱狂の中に、一語たりとて余分はなく、場違いな表現は一つもない。)

(この項続く)