写真マンディアルグの肖像(1991) カルティエ=ブレッソン撮影
TB マンディアルグ形而上下の愛に生き (無精庵徒然草) をいただいて気づく、きのうはマンディアルグの忌日だった。
その後夫人のボナが亡くなった時と同様、訃報を知ったのも幾分時間を経てからではなかったか。
エクトール・ビアンシオッティによる15年前の追悼記事("Un stoïcien de l'oisiveté" Le Monde 17.12.91)は、マンディアルグは魚座だったと教えてくれる。
Il se disait " l'enfant des vagues et du cri des mouettes ", en évoquant son enfance passée en Normandie, près de Dieppe, où il fut à jamais fasciné par la mer.
(ノルマンディー、ディエップの近くで送った幼年期。海に魅され、魅惑は生涯のものになる。彼は「波とカモメの鳴き声の子」を自称していた。)
幼い時からの動物好き、犬よりは猫、爬虫類や両棲類。小学校では吃音のおかげで授業中指されることを免れる。体育の時間は大嫌いだった。力を競うアスリートの姿に、マンディアルグは糞の玉を運ぶタマオシコガネscarabéeを連想する。(確かロジェ・カイヨワも、アカデミー会員の礼服を同じ虫に喩えていた。こんな服と、似た色のも あるようだ)
反権威主義は、驚くほど激しい言葉となって現れる。(02/02マンディアルグと「緑の礼服」 ) ビアンシオッティが挑発愛好le goût de la provocationと呼ぶ性癖はブルトンにも通じるが、また一種の稚気を感じずにいられない。
Il se disait peu patriote, n'aimant vraiment de la France que la langue, et content de n'avoir jamais voté, tout pouvoir lui semblant inséparable du crime, et distinguant mal le petit crime du grand.
(愛国心欠乏を自認し、フランスで本当に愛するのはフランス語だけだと言った、一度も投票に行ったことがないのが自慢だとも。すべての権力は犯罪と切り離せないと感じ、小さな罪大きな罪の区別を認めないがゆえに。)
愛するのはフランス語だけ。それは何より詩人の言葉だ。紋切型を憎み、言葉が高電圧を帯びる状態を「詩」と呼ぶ人間の。
その文体を、凝りすぎと評する声もあったのか、ビアンシオッティは
Précieux, Mandiargues ? Mais le langage le plus commun est fait de préciosités extrêmes, et seule l'accoutumance décide du sort de la préciosité ! " Le fond de l'air est frais ", métaphore si couramment employée, n'en est-elle pas le comble ?
(凝っている?マンディアルグが?だが私たちが何気なく使う言葉に、極端な技巧が込められている。気取りと感じられなくなるのは、ただ慣れの問題なのだ。「空気の底が冷たい(暖かくなってきたが、まだまだ冷える)」、あれほど日常的に用いられる隠喩は、技巧のきわみではないか?)
記事の最後に引用される短い詩、少なくともここには何一つ晦渋なところはない。
Un jour / Le jour tournera comme une page / Et je verrai la vraie couleur du jour.
Un jour / Le jour s'ouvrira comme oeil /Et je verrai la vraie couleur du jour.
ある日 / 太陽はページのようにめくれ / 私は太陽のほんとうの色を見るだろう
ある日 / 太陽は眼のように開き / 私は太陽のほんとうの色を見るだろう