発見記録

フランスの歴史と文学

タロー兄弟と、コクトーのアカデミー入会演説

2006-12-22 09:49:43 | インポート

写原さんのタロー兄弟にゴンクール賞(1906) (100年前のフランスの出来事)にコメントを書きかけたら長くなり、こちらで「トラバ」にしました。

ジェローム・タローが亡くなった後アカデミーの会員に選ばれたのがコクトーらしく、『アカデミー・フランセーズ入会演説』(1955 東京創元社版全集V)を読んでみました。なかなか故人の讃辞にならず、じらすのを愉しんでいるような調子です、最近までタロー兄弟の本を読んだことがなかったと打ち明けたり。

「シモーヌ夫人」の名に、あっと思いました。同じ巻の『わが青春記』にも「それからあの笑い声!あの大笑い!何と僕らが一緒に笑ったことか!カジミール・ペリエのオアーズ県内の荘園トリ・シャトーで過ごした夏の休暇のことを僕はいま思い出す・・・」(堀口大學訳 『グラン・モーヌ』は「餓鬼大将」と書いてルビ)

アカデミーの演説など必要でもなければ読む機会がありませんが、ルネ・ユイグのカイヨワへの答礼演説は、もっと整然と相手の業績をまとめ、深い共感と理解の感じられる、模範的なものでした。コクトーのはとにかく話がどこへ行くのかわからない。予備知識のない者には、あまり親切ではありません。

 しかし彼らがラヴァショルを敬愛していたにもかかわらず、『ひよわな運搬人夫』と題された作品の構想や、『フリウリのオルフェウス』の草案を読んでみて、あのエルネストとシャルルはアングレームのブヴァールとペキュシェだとつい思いたくなったことを告白いたします。
 ジャンとジェロームになった彼らは、シャルル・ペギーのナイーヴな夢のように見えました。未来の社会主義の使徒と教父といったところでしょうか。(岩崎力訳 ラヴァショルは悪名高いアナーキスト、エルネストとシャルルは兄弟の本名)

 Mais, bien qu’ils admirassent Ravachol, j’avoue qu’en lisant leurs projets de travail : ? Le Coltineur Débile ? et l’ébauche d’un ? Orphée en Frioul ?, je n’étais pas loin de prendre cet Ernest et ce Charles pour les Bouvard et Pécuchet d’Angoulême.

 Devenus Jean et Jérôme, ils m’apparaissaient comme un rêve naïf de Charles Péguy : L’apôtre et le père de la future cité Socialiste.

http://www.academie-francaise.fr/Immortels/discours_reception/cocteau.html

ペギーやバレス、リヨテ、そういう人たちの居並ぶ世界があり、コクトーも聴衆も、タロー兄弟の場所はそこにあると感じているらしい。

「国道は辿らずに道草を食いながら」 sur le chemin des écoliers et sans suivre la route nationale 進むコクトーの話は、一読して楽しさ半分、もやもや半分ですが、刺繍のせいで「緑の」と呼ばれるがあの礼服は黒だ、そう言っているのは嬉しかったです。疑問を感じていたので。