1895年11月4日の日記。ドガは目の病の悪化で、制作も困難になっている。そのせいか、写真を撮るようになった(本書にはドガ撮影の写真が何点か収録。サイトDegas y la fotografía (スペイン語なので私には読めないが)でそれらがまとめて見れる。特にこのページ ドガはダニエルの母ルイーズとも古くからの友人だった)
ドガの目下の関心は、版画の技法、詩―マラルメ風(?)のソネットも書いている―、ステッキにも凝る。精神の活発さは衰えないが、持ち前の陽気さも、今では唐突な、発作に似た現れ方をし、苦みをおびたものになる。ブエノス・アイレスから妹マルグリットの訃報が届くのもこの頃だ。
憤懣の種には事欠かない。カイユボット(1848-1894)のコレクション遺贈をめぐる騒ぎ。カイユボットは遺言で、所蔵する印象派の絵を国に遺贈したが、すべての作品がリュクサンブール美術館、後にはルーヴルに展示されることが条件だった。しかし印象派に反感を持つ政治家、官展派の画家、大半の批評家が、いっせいに反対の声をあげる。その顛末は、名画デスクトップ壁紙美術館 カイユボット《 パリの通り 雨 》の解説に詳しい。
美術品の修復にもドガは賛成できない。ルーヴルのレンブラント『エマウスへの巡礼者』(図)は、修復の際に大きな改変が行なわれ、批判を受けたという。美術品が老い朽ちるとしても、それは時間が残した爪痕と共に、そのままの形で愛されるべきではないか?ドガはそう感じる。 ''Time has to take its course with paintings as with everything else, that’s the beauty of it. A man who touches a picture ought to be deported. To touch a picture ! You don’t know what that does to me. These pictures are the joy of my life ; they beautify it, they soothe it. ..''
この日の日記に、初めてドガの「反ユダヤ主義」anti-Semitismへの短い言及があるが、それはルーヴルの管理者たちへの怒りと対になっている。''He became passionately anti-Semitic, violent against the Louvre.'') 官僚や美術ジャーナリズムへの憤り。ドガの「反ユダヤ主義」は、それらと並行して激化したようだ。