海鳴記

歴史一般

海や船や船員のこと 肩ふりサロン(2)

2008-06-13 14:44:04 | Weblog
 まず、最初に乗った船のことについて語ろう。
当然のことながら、船員の学校を出ているわけでもなく、船員経験もないので、職種も船も選ぶことなど論外だった。

 品川だったか築地だったか、どこだったかすっかり忘れてしまったが、たしか関東海運局だったと思う。そこに足を運ぶと、アルバイトの募集のように船員募集の張り紙がしてあるコーナーがあった。そこで、私に合う職種といえば、料理人(司厨員という)か甲板員、さらに機関員だが、基本的には下っ端の職ならどれでも可能のようだった。しかし、料理の経験もないし、またエンジンの知識もない、あるいは、どうもそういう職種は、船員らしくないとかってに決め込んで、甲板員に決めた。というより、甲板員の募集がもっとも多かったし、誰でもできそうな気がしたからかもしれない。
 とにかく、甲板員を「かんぱんいん」と読むのか、「こうはんいん」と読むのかもよくわからないまま、募集している会社に向かったことは覚えている。その会社は新橋にあった。
 ところで、簡単に会社も決めたようだが、もうその頃は、オイルショックやら二百海里問題やら船員の人件費の高騰などで、日本船の国際競争力が弱まり、船員の募集も段々減っている時代だった。いわんや、何の技能や免状もない未経験者が、外国航路の船に乗れるほど甘くはなかった。だから、私のような者を雇ってくれそうな船会社は、内国航路の船を数艘所有する会社あたりがせいぜいだった。そして、それぐらいしか選択の余地がなかったのだと思う。船員養成の学校を出て、またそれなりの経験があれば、給料もよりいい外国航路を所有する船会社を選んでいただろうから。
 もっとも、そんなことは何の問題でもなかった。当時の私は、ただ、陸上のごみごみした生活や環境から一刻も早く逃れたかったのだから。


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