毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「朝*辺野古、昼*高江を満喫」No.2156

2018-08-07 21:14:14 | 我が心の沖縄

↑辺野古のキャンプシュワブゲート前に貼られてあるバナー。

翁長知事は先月27日、「基地建設は公益に適合せず」として

撤回を宣言し、それに向けた手続きに入りましたが、

防衛局は、その撤回手続きが完了する前に海への土砂投入をしてしまい、

工事はもう後戻りできないという印象を世論に与えるため、

砕石等を運ぶダンプを、先週は毎日、毎日、500台も基地に入れるという

なりふり構わぬごり押しをしてきました。

その一方、手続きの一環である「聴聞」を延期して欲しいなどと、

引き伸ばしを図っています。

17日が土砂投入が予測されている日です。

それまでに撤回手続きが完了するかどうか、予断を許さぬ事態です。


辺野古2日目の朝、

8時に到着するとゲート前に100人ほど集まっていました。

同時に防衛局にも60名出かけて抗議の座り込みをしたそうです。

大城さん・山城さん・瀬長さんが進行役で

懐かしい稲嶺進元名護市長の話、

若い弁護士さんの逮捕された時の心構えの説明の後、

山城博治さんから逮捕される前の心構えなどが話されました。

「一人で来た人は周りの人と知り合いになって、

決していつの間にかいなくなったというようなことの無いようにしましょう。

そして今、前に出て、みんなに顔を覚えてもらいましょう」

などと博治さんは上手く誘導して自己紹介を促しました。

私は、読谷村のShigekoさんのお宅にお世話になり、

連日、Shigekoさんとその友人であるながいようさん(ミュージシャン)に

車で連れてきていただいているので、

厳密には一人で来ているのではありません。

しかし、

多くの基地賛成派が「敵国から日本を守るため基地は必要だ」と言い、

その「敵国」とは、多くの場合、中国を指しているので、

私の見た中国の庶民の話をさせていただきました。

中国庶民の年配層は、先の戦争で日本に侵略され、

大変な屈辱・辛酸を舐め、そのことは決してわすれていないこと、

しかし、その孫たちには日本語を学ぶ学生がたくさんいて、

日本語を学んでいるうちに

「中日友好の力になりたい」と思う子が確実に育つこと、

そして、一般の大人たちも

どこの国であろうとも戦争をしたいとは決して思っていないこと、

逆に、かつてのようにまた、

日本が攻めてくるのではないかと危惧していることなど、

中国政府=中国人民ではないという話です。

時間が許せばもっとあれこれ続けるところでしたが、

私のリサイタル・ショーでもないので、早々に切り上げました(笑)。

 ↑休憩でテントに戻るとき、稲嶺元市長と大阪の政治家服部良一さんが

いかにも仲の良い様子で立ち話をしていました。

「私たちはローザ・パークスである。これは、市民不服従の行為である。

「ローザ・パークスとは人種差別と闘った、アメリカ人なら誰しもが知る『公民権運動の母』。

市民不服従(Civil Disobedience)とは、公権力の不当な扱いに直接的に抗議をする行為である。」


さて、今日も工事車両が入りそうも無いので、

(そのために先週は連日500台もダンプが入っていたのではと)

Shigekoさん、ながいようさんが相談して、

私と名古屋の友人(いちゃりば ちょーでー)を

東村高江に連れて行ってくれました。

あの無理やりヘリパッド建設を強行したところです。

私が一昨年高江に行ったその日は、

ちょうど三宅洋平がアベ昭恵を高江に連れてきた日でした。

高江の豊かな自然は生きていました。

 

こちらにもアルソック職員が立っていましたが、

辺野古のキャンプシュワブゲート前と違って、

抗議の人たちももはや居ず、

ただゲートの道路向かいに抗議のテントが一つあるのみです。

だれもいないのに、一時間交代でず~っと立っているだけ。

ここで、途中で買ったパパイヤ、ゴーヤー、魚のフライなどのお弁当を食べ、

テントの番をしているSさんからお話を伺ったりしていると、

見慣れない種類の小鳥がSさんの近くに飛んで来て、テント内を探索していました。

下は高江でのヘリパッド反対を訴えている「ヘリパッドいらない」住民の会のパンフレット

1ページ目です。

「へりぱっどいらない」住民の会連絡先

住所:〒905-1201沖縄県国頭郡東村高江85-95

FAX:0980-51-2688 

E-mail:info@nohelipadtakae.org

ブログ:「やんばる東村高江の現状」http://takae.ti-da.net/

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

高江グッズを買ったりしてテントをお暇しましたが、

帰り道の風景の何とまあ、美しかったこと!

故郷北海道の知床の自然を思い出しました。

「やんばるくいなに注意」という看板も見ました。

知床なら「鹿に注意」「ヒグマに注意」です。

こういうところに、オスプレイが熱風とともに、

神経に障る音をバリバリ炸裂させるのですから、

森の命が脅かされることは確実です……。



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2 コメント

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こんなに美しい所に・・・・・ (こきおばさん)
2018-08-08 06:49:09
あまりにも美しい海、自然。
ありのまま、そのままで人の手が加わらないところが素晴らしいのに!

それにしてもアルソックの社員には人権がないのでしょうか。この人たちへの報酬も税金でしょうね。悲しい・・・・・
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臨時雇いと正社員 (ブルーはーと)
2018-08-12 01:19:20
こきおばさん様
本当に高江は、やんばるの自然が最も豊かな森でした。それがヘリパッドの地域ははげ頭みたいに丸裸になっています(航空写真でしか見られませんが)。日本とアメリカの政府は沖縄に対して、もう、やりたい放題好き勝手にメチャクチャなことをしています。ホンドの人たちは、もっとその事実を知る必要があると思います。

ゲート前に行くたびに私は、アルソックや機動隊員とどう関係を作るか考えてしまいます。「お前ら、税金の無駄遣いしやがって!」「帰れ!」と怒鳴る抗議者もいますが、私は、機動隊、アルソックとは言え、一人ひとりは人間ですので、どうしてもこちらから怒鳴りつける気にはなれません。特に、アルソックは下請けの仕事を悪条件でしているのが気の毒です。抗議行動のリーダーたちも、何しろ狭いので、「アルソックの交代時間ですので、協力してください」と座り込みの人たちに呼びかけていますし、交代がスムーズにいった後、アルソックの隊長みたいな人が座り込みのリーダーに「ありがとうございました」と挨拶しているのを見ました。
ずっと以前は、機動隊員ともそんな感じでのどかだったんですけどね……。
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