B.LET'S 

「滝本Bログ」滝本祥生のブログです。B.LET'SのHP→http://blets.jimdo.com/

ピアノ

2019-10-14 17:20:33 | 日記
夕方になると、お向かいのマンションからピアノの音が聞こえてくる。
まだまだ下手くそで、練習途中の音色。

私は、うまくないピアノの音になんとなく情緒を感じる。
映画やお芝居でも、生活音として聞こえることがあるから、多くのひとが同じように感じているのかもしれない。

私も子供の頃、ピアノを習っていた。
幼稚園の頃はエレクトーン、小学校に上がってからピアノに変わった。

土曜日の夕方6時か、6時半から、30分間。
高校2年くらいまで続けたけれど、受験でやめた。もともと嫌いでちっとも練習もしなかったし、今は全くといえるほど弾けない。

先生は男性で、有名な音大の先生だと聞いていた。
練習中には、よく手を握られたり、ギュウギュウ抱きつかれたり、頬ずりされた。
小学生の頃は「可愛がられているのかな」と、渋々受け入れていたけれど、思春期になるとさすがにイヤで、思い切って親に言った。
そしたら「ガマンしなさい」と言われた。

なぜだか分からない。
またあきらめて受け入れて、イヤなまま10 年以上ピアノ教室へ通い、結果ピアノと、中年のおじさんが嫌いになった。
そうか。
これを書いていて気づいたけれど、自分の年齢を棚に上げて言わせてもらうと、無意識で嫌悪してしまう中年以上の男性はあの先生に似ている。

ちっとも上手くならないピアノを、なぜ親は高校生まで続けさせたのだろう。
何で私は、何度でも「イヤ」だと言わなかったのだろう。

たぶん今でも「イヤ」と言うのが苦手だ。
少なくとも、自分ではそう思っている。

でも先日、そんな私が「イヤだ」と言い張ったことがあった。
少し実家へ帰ることがあり、家族でご飯を食べるからと急に言われて、「イヤ」だと言った。するとレストランの前で、家族に順番に説得されたり、怒られたりした。
お店への予約も済んでいたそうで、迷惑がかかると言う理由だった。どうしてもイヤだから断ったけど、家族は聞き分けのいい私が「イヤ」だと言い張ることが信じられなかったのかもしれない。
大人気ない話だけど、家族の関係はなかなか変わらない。

家族を置いてレストランから帰る途中、6歳の姪に「イヤだということも大事なんだよ」と話して聞かせた。
話しながら、これは自分自身に言っているのだと気づいた。
その時の私の心は罪悪感でいっぱいだったし、姪はすでに「イヤ」と言える子に成長していた。
「おねえちゃんが行かないならわたしも帰る」と、私の兄である親と対決してくれたのだから。
私よりずっと強く、愛しい人だ。






小学校の時、ピアノを終えて帰って来ると、だいたい夕飯が用意されていて。
家が商売をやっていたから家族揃ってご飯を食べることはなかったけど、ピアノの時間が終わったことへの開放感と、翌日が日曜日だという嬉しさからか、とても安心した気持ちになった。

下手くそなピアノを聴くと、その時の感覚を思い出すのかもしれない。

向かいのマンションから聞こえるピアノは「カントリーロード」で、昨日はお父さんらしき男の人が、演奏に合わせて歌っていた。上手くはないけど、気持ちよさそうだった。
演奏している、たぶん子供らしき演奏者は、いつかこのことを思い出すのだろうか。それは彼女(彼)を、どんな気持ちにさせるだろう。

「カントリーロード」は、日に日に上手になっている。








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