BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

ぼくたちは勉強ができない! 全13話 感想:うるかエンドで原作も確定なのか?

2019-12-30 14:18:04 | ぼく勉
ぼく勉2期の最終13話、普通に学園祭が終わったな、と思っていたら、いつの間にかCパートが始まって、卒業後の6月、うるかが留学に向かうため、皆が空港に見送りに来ているシチュエーション。

で、あれこれすっとばして結論だけいうと、あれ、うるかエンドなんですね? 

成幸の相手はうるかだった、ということなんですね? という終わり方。

むしろ、そう締めることで、3期はないよー、という宣言で終わった感じだった。

正直なところと、『五等分の花嫁』とちがって『ぼく勉』は、ホントに読み飛ばすくらいしかしていない。

というか、このマンガはラブコメというよりも、ただのスラップスティックコメディにしか思えてないので、誰エンドで終わろうと構わない、という読み方。

だって、『五等分』と違って、特に誰かの心情がきちんと描かれるわけでもなく、また、そのような心情が生み出されるようなイベントがきちんと描かれてきたわけではないよね? 

いや、学園祭を筆頭に、普通にイベントはたくさん、こなしてはいるけどさ。

あくまでも受験という設定と、そのための教師役、という設定があり、あえていえばその設定があまりにも『五等分』と酷似しているから、向こうに合わせてラブコメ認定されているだけだと思うのだよね。

だって、今回の学園祭の描写だって、ダメな教師たちを含めて特に物語にリアリティが込められているわけではないでしょ?

だから、単純にドタバタを愉しめばいいくらいの作品。

あ、別にこれはディスっているわけではないからね。

あくまでも、ジャンルとしては、ラブコメではなく、ドタバタ重視のスラップスティックコメディだというだけのこと。

なので、そのスラップスティックコメディの文法に則って、だれが、一番ビックリさせられるか?というのが多くの読者の関心事でもあるわけでしょ?

なので、結果的に、真冬先生への期待が高まっている!ということで。

加えて、文乃の、女子力には欠けるけれど、ある意味で古典的な気配り女子のところが好感度が高まっている、ということで。

なんていうか、真冬先生と文乃は、むしろ、このスラップスティックコメディに無理矢理「ラブコメ」成分を持ち込むための存在だよね。

強いて言えば、周りの気配りの点で、真冬先生と文乃の間で先生と生徒の位置づけが逆転しているくらいで。

だから、基本的にこの二人は、同じキャラの裏表みたいなところがあって。

どちらも、女子力ゼロの残念美人だしw

ただ、そこで、若干めんどうなのは、うるかと理珠が、ドタバタ担当であるにも関わらず無理矢理ラブコメ要因でもあると見せるために、身体的アピールと、調理が得意、という女子力を保持しているところで。

裏返すと、このヒロイン属性のアンバランスな分配が、本来のドタバタ劇を、ギリギリ、ラブコメっぽく演出することに貢献しているわけで。


で、ちょっと脇道にそれてしまったけど、言いたいことは、多分、本来的なヒロインは、やはり、真冬と文乃であって、今回のうるかエンドは、まぁ、ボーナスポイントみたいなもの、かなぁと。

てか、でなければ、物語の終盤になってわざわざ文乃に成幸への恋心に気付かせるなんてことさせないでしょ。

個人的には、あれで、てっきり、ラブコメとしては美しく互いの心情を理解できる文乃エンドなんだろうと思っていたし、いまもそうだと思っている。

ただ、繰り返すけど、誰のエンドになるかは、この作品については、ほとんど関心がないので、誰でもいいとは思ってるけどね。

その意味では、うるかエンドを見せられても、へ?、ぐらいにしか思わなかったかな。

むしろ、あれ、これ3期なしで、むしろ、せっかく2期までやったのに、アニメ企画としては打ち切りエンドにしてしまっただけ、ということかな、と。

あとは、原作の方も、最終コーナーに差し掛かっているところなので、こうしてアニメの方をうるかエンドにして、ある意味無理矢理、最終回への期待を高めようということかな、と。

前のヴィンランド・サガについてのエントリーでもちょっと触れたけど、今どきのアニメは、基本的には原作の拡販素材なわけだから、このアニメのエンドもそのように受け取るのが自然でしょ。

要するに、一種の炎上商法。

まぁ、そう言い切ってしまうと、ちょっと何なんだけど。

でも、直後に、作者自身までツイッターでつぶやいているとなると、そこまで含めての出来レースでしかないよね、きっと。

つまりは、原作の最終話で誰エンドか確定した時点で、うるかエンドはホントだったー、あるいは、うるかエンドはツリだったー、と騒ぐための仕込み。

むしろ、そう思えてしまうような無理矢理な終わり方のほうが気になってしまった。

『五等分』の方もそうだけど、漫画編集者も大変な時代なんだろうな、きっと。


ということで、うるかエンドはあくまでもネタでしかなくて、原作は、バランスよく文乃エンド、次点で、卒業後、少し時間を飛ばしたカーテンコール的エピソードを通じて真冬先生、かな。

いや、まじで、それが妥当なオチだと思うよ。

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ヴィンランド・サガ 全24話 感想: さらば、アシェラッド!

2019-12-30 12:36:58 | Weblog
第24話は、タイトルである「END OF THE PROLOGUE」の通り、ここまで続いてきた24話分の物語を締める、まさに「序章の幕引き」だった。

原作は未読。

だから、最終回まで何が起こるか全く読めず、素直に楽しむことができた。

初回の3話連続公開に、へぇ、と思いながら見始めたのだけどね。

途中、ちょっと展開が間延びしているかな、と思うこともあったけれど、それもこの第24話を見ると、トルフィンが、アシェラッドの最期を看取る時に、一瞬の間に、これまでの行程のことを思い出すための「重さ」のためにも重要だったのだ、ということがわかって、納得。

あのトルフィンの落とした短剣の刀身にきらめく形で、これまでの道行きが、それこそ、走馬灯のように映り込む演出は、正直、見事だと思った。

むしろ、あの短剣こそ、トルフィンの記憶のありかだった。

父トールズの敵を取るために何度もアシェラッドと切り結んだ短剣。

むしろ、トルフィンにはその短剣しか、父を失って以後の人生で、頼るべきものはなかった、ということだよね。

けれども、その短剣に蓄積されてきた記憶は、基本的に、アシェラッドが与えてくれた「生きる空間」で得られたものだった。

いうまでもなく、父の復習の相手であるはずのアシェラッドもまた、いつのまにか、トルフィンにとっては養父のような存在になっていた。

このあたりの関係性の構築は、定番といえば定番なのだけど、それが彼ら一行に降りかかる数々の事件によって、それほど嫌味にならない感じで描かれてきた。

なによりも、復讐するために生き続けなければならないわけで。

その点で、この世界にある「決闘」というルールは、その印象とは逆に、人を生かすためのルールでもあったのだと思う。

決闘が約束されているのだから、その時までは手を出さない。場合によっては、共に生き残るために共闘もできる。

だから、逆に、実際に、決闘が決行されれば、それは約束通り、どちらかの死でもって、結果を出さなければならない。

けれども、そこでたとえ死んだとしても、名誉ある死は、ヴァイキングのいうヴァルハラへの道を開いていくれる。

いや、よくできた死の管理システム。

そして、その死生観の対比に、後半、クヌート殿下の登場とともに、キリスト教的世界観が示される。

なのだけど、それこそ、終盤を見ると、一時はキリスト教に一方的に帰依してたはずのクヌートが、むしろ、改めてヴァイキング流の、現世の社会の掟に気づき、そちらに回帰しているようにも思える。

このあたりの、交戦中にある部族の間で、よって立つ社会基盤や社会思想が異なるところは、面白いところだね。

端的に、見どころがある。

その点で、物語構成上、上手いのは、ヴァイキングを中心に置くことで、ブリテンの話と、ヴィンランド、すなわち後のアメリカの話が連続して語られるような仕掛けになっているところ。

まぁ、これは、ヴァイキングがそもそも、そういう存在だった、という史実?に大きく依拠しているみたいだけど。

でもね、トルフィンを主人公にし、最初にトールズによってヴィンランドの楽園がおかれることで、途中繰り広げられるかなり骨のある物語が挟まれても、それに飲み込まれない仕組みが出来ている気がする。

そうでなければ、アシェラッドが、本来のブリテンの主であるウェールズ王の末裔、という、それこそアーサー王物語の世界に突入しそうなところを、アシェラッド自身の死による退場なんて結末を用意しないよね。

前回の終わりの時点では、なるほど、次はウェールズ防衛戦か、とか思っていたもの。

それをばっさりクヌートにアシェラッドを斬らせることで、一気に終焉させ、ついでにクヌートを玉座に座らせてしまう展開なのだから。

しかも、これでトルフィンは、多分、クヌートへの謀反で、お払い箱にされるわけでしょ?

つまり、あくまでもトルフィンは、歴史が動く現場を見る観測者の立ち場でしか、いまのところない、ということで。

でも、それがきっとヴィンランドに繋がっていくのでしょ?

ともあれ、24話、面白かった。

是非とも、つづきを見たいところ。

進撃同様、ゆっくりでいいから、最期まで映像化してほしいかな。

てか、こういう「物語」をちゃんと制作して映像ストックにしていかないと、あとでふりかえると、ただの原作PR用の未完アニメばっかりで、ホント、自滅の道にしかならないと思うからw

ところで、この先、トルケルは、どういう役回りになっていくのだろう。彼は彼で、トルフィンとの因縁にどう決着をつけるのか、気になるところ。

ある意味で、ヴァイキング的生き様に最も忠実なのがトルケルだと思うので。

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