今年の大河ドラマ「べらぼう」は見ていない
始めのうち少しだけ見たが、なんとなくわかりやすいのが
つまらなく思えてしまった
蔦屋重三郎の時代は松平定信とか田沼意次が活躍した頃で
ドラマにも登場している
田沼意次は評価の分かれる人物で、政治的手腕の優れた人物
という評価と賄賂政治の典型みたいな捉え方がされている
池波正太郎の剣客商売では肯定的な捉え方がされている
(良い方の捉え方では田中角栄みたいなイメージで理解されているみたい)
ところで、不意に思い出したのは歴史で習った松平定信の寛政の改革のひとつで
武士が借りていたお金を免除する(棄捐令(きえんれい)という政策
随分強引なことをするものだ学生時代も時も思ったが
結果的にお金を貸していた人たちは、次に武士にお金を貸す時は以前よりも高利で
貸すことになって、それでお金が回らなくなったという顛末に
そりゃそうだよな!と思ったことを思い出した
(毎度のことだが覚えているのは本当に変なことばかりだ)
倫理観をもって質素倹約に努めるように望んだ松平定信の改革は
生活者としての庶民にあまりウケなかったのかもしれない
つまりは社会は理想通りとか理屈どおりにはいかないということで
今の言葉で言えば「複雑系」こそが社会・経済ということだろうか
現代社会も複雑系で成り立っている
マクロ経済学が科学的に見えようが現実には不確定要素が多すぎて
数式が成り立つにはありえないような前提が存在するらしい
(先日読んだ政策の哲学によれば)
もしかしたらMMTを信奉する人たちも極度に簡略していないか?と思ってしまった
MMTを勧めるひとは現在の経済的停滞の理由をお金の流通が不足しているとして
紙幣を刷ることで社会に回していけば良くなるはずだとする考え方だが
それは既に赤字公債を多く生み出している現況と同じことではないだろうか
そしてなんとなく違和感を覚えるのは
自国通貨だからといって際限なく刷ってしまうことは
何らかの基準を設けて国の経済状況を評価しようとする世界の判断に
マイナスの影響を与えないかと思えたこと
と言ってもこのあたりはとても難しくて、はっきり言ってわからない
ただMMTに対しては漠然とした不安が消えることはないということ
ということで、自分のキャパを超えた問題なのでまとまらずに終わってしまった