パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昨日は冬至

2021年12月23日 09時46分01秒 | 徒然なるままに

一年で一番影が長い日だったのが昨日
「冬至」をその様に表現するのは、なかなか風情がある

真夏の昼は太陽が真上から照りつけ、影は申し訳程度しかない
年々耐えられなくなって嫌いになっている夏

風景に色はないが、冬は内省的になれるから嫌いではない
寒さは厚着とか暖房で我慢するだけだ

冬至の昨日はガボチャを食べて、ゆず湯に入って
昔の日本人がしてきたことを行った
保守的になるというのではなく
昔から伝わってきたことは、それなりに意味があるんだろうな、、
と思えるようになってきている

日本人だけが季節ごとの風習があるのではなく、きっとどの国も
何らかの意味がある風習があるのだろう

相対的に物事を見る、世界のいろんなことを知る
そうしたことが何故かできにくくなって、日本だけが特別
と思いたがってる人々が増えつつありそうなのは、ちょいと心配

その前に、当たり前のようにカボチャ料理を作ってくれて
ゆず湯の準備もしてくれてる我が家のえらい人に感謝せねば、、

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今年読んだ本

2021年12月22日 19時04分46秒 | 

大晦日にはまだ少し時間があって、もう少し数が増えそうだが
去年もこのくらいのタイミングで挙げていたので今年もそれに
合わせることする

今年読んだ本の一覧がこれだ

少し前に取りあげたように今年は数が少ない
読み飛ばせるような本が少なかったせいだが、感覚としてはなかなかの年だったように思う

印象に残っているのは「絶望を希望に変える経済学」アビジット・∨・バナジー&エステル・デュプロ)
「ディスタンクシオン」(ピエール・ブルデュー)だ
特に前者は読後感が良くて、またいつか読み返そう!と思う
(ステレオタイプに勝手に思い込んでいた考えは、実は違っていたというところが多かった)
後者は最近読んでいる本なので記憶が新鮮で、その一種の興奮はあれこれ人に言いたくなってしまっている

ただ少し困るのは記憶力の面で、深い内容なのは読んでいる時に実感しても
一旦寝るとその記憶があやふやになってしまうということだ
年齢を重ねるということは記憶力の低下をもたらすが、年齢を重ねないと実感できないことも多い
ブルデューの作品はその典型で、今だからこそ面白く感じられるのだと思われる
きっと若い時に読んでもきっと感動しないだろう
本との出会いは運次第なのかもしれない

現在人に貸している本が2冊ある
「時給はいつも最低賃金、これって私のせい」(和田静香)
「あなた自身の社会(スゥエーデンの中学教科書)」(
アーネ・リンドウスト、ヤン・ウェステル)
この二冊は実践的な知恵につながる本で、教科書の方は現在教師を職業としている人物に渡している

この他にも「国家はなぜ衰退するか」「プロパガンダ」「主権者のいない国」も
もう一度、丁寧に読まねば!と感じた本だ

音楽は何度も聴き直すのに、本は何度も読み直すことはない
これからはもう数を競うような読み方ではなくて良いかもしれない

それにしても「古典」と評価されている本は、、
そう呼ばれるだけのことはある、、、と実感する







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クリスマスを前にして

2021年12月21日 08時28分39秒 | 徒然なるままに

ひと月ほど前に「もういくつ寝るとサンタさん?」と聞かれた
彼女は6歳、まだ6年しか生きていない(早生まれの一年生)
月木の小学校校門までの付き添いがてらのウォーキングは
彼女が話しかけてくれるので退屈しないどころか結構楽しい

「サンタさんは煙突から入ってくるけど煙突のない家が多いね
 そういうときはどこから入るのかな」
「窓からだよ」
「窓もしまっているけど、どうやって入ってくるのかな?」
「魔法で」
こんな会話は心洗われる

「おじさん、その話この間も言ったよ」
時にツッコミも入れてくる
「それじゃ、おじさんも言うけど、〇〇ちゃん、その話、前にも言ってたよ」
「ええーっ、言ってないよ」

いつもずっと、校門までこんな会話が続いている
でも、こんなふうに楽しめるのはいつまで続くのだろうか

一年前は屈託なく校門で大きな声で挨拶をしていた2年生の僕は
最近はそれができなくなっている
少しづつ我儘な態度も見せるようになっている

成長というのものは、無邪気にそのままではなくて
少しばかり個性のようなものが見えてきて、時にはずるい知恵も働かせる様になること
そんなことを実感する

正月になれば、お年玉をもらいに来るためだけにやってくるちびっこたちも
もらう前は、それなりのおべっか風の態度を見せる

そういうもんだ
いつまでも子ども子どもは困るし、程々の知恵もついてもらわないと!

昔、子どもだった自分たちも同じようだったんだろうな
父や母、祖父母は笑いながら何でも受け入れてくれて(今になってそう思う)

そんな普通の日常が、どの家庭でも当たり前のように続けられると良いのだが





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髭剃り

2021年12月20日 10時47分21秒 | 徒然なるままに

女性の化粧と同様に男性の毎日の日課は髭剃りかもしれない
髭剃りは毎日よりも少しためて行うほうが達成感があって気分がいいい
土曜日とかは、わざと伸ばしたままにして、頬とか顎をなぜながら
夜のお風呂の中で髭を剃る姿を想像するのは男だけの楽しみだ(?)

先日チコちゃんに叱られるで髭剃りの話題があって
カミソリ負けをしない髭の剃り方の説明があった
それによるとカミソリは秒速1センチのスピードで動かすと
髭剃りの刃も傷つかず肌にも良いのだそうだ
秒速1センチの感覚はわからないので、とにかくゆっくりだな
と理解して、先日やってみた

すると、なるほど良いかも知れない!
と、すぐさま実感できるような音(感触)があった
ジョリジョリ、、確かに髭を削っているような
まるで伸びた雑草を草刈りで根こそぎ引っ掻いているようなそんな感じだ

普段よりも丁寧に剃ることになっているからか、朝の洗顔時もどこかすべすべしている
気のせいか2日以降も髭の伸び方が少ないような、、、
髭剃りの上手な床屋さんと下手な床屋さんでは髭の伸び方が違う
不意に昔、祖父がそう言ってたのを思いだした

ということで、最近はゆっくりの髭剃りを楽しんでいる
特に用事がないときは、伸ばして纏めて剃る
これがなかなかいい気持ち、、

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誰の話を信用しやすいか

2021年12月19日 09時59分59秒 | あれこれ考えること

誰の話を信用しやすいか?
は通常無意識に行っているので、気にしないことが多いと思われる
だが、その実態を細かくチェックすると少しばかり不安を覚えることになるかも知れない

当たり前のように、知らないことは知ってる人の話を信用するしかない
学問の分野では学者、スポーツの分野は経験者や評論家
政治の分野は政治家本人からなら良いが意外と影響を受けるのが評論家とかメディアからだ

政治的な問題は一つのことが多岐にわたるので、そのことだけで片がつくことはない
それ故に俯瞰的な視野を持つ人の話を受け入れるというのは現実的だ
だがその俯瞰的な視点と知恵を持つ人は、どのような人か?を考える時
人は直感とか対話における納得、印象でその人物を信用できると判断するか
と言えばそうではなくて、「肩書」から判断することが多いのではないだろうか

「肩書」的な要素は資格・学歴・実績などで、怖いことにこれらの他に
「知名度」あるいはメディアによく出ている、、ということが挙げられる

つまりは有名人は信じられる、、ということが一定数は起きてしまっていると思われる

人は誰の話を信用しやすいか?
誰の命令を受け入れやすいか?
これをえげつない実験で確かめた人がいた
アイヒマン実験とあだ名が付いた実験で、ある問題の回答を間違った人は
罰として電気ショックを受ける事になっていた
この実験の対象者は、実は命令を受けて電気ショックのボタンを押す人のほうで
彼はどのような人の命令(非人間的な行為の命令でも)を聞きやすいか
どのような環境下で苦もなく受け入れるか、、を確認したものだ

それは命令する人の属性(学歴・社会的なポジション等)の高い人が命令すると
それは良いことと納得して、電気ショックを苦もなく与えてしまうようだ
また電気ショックを受けた人の声とか姿が捉えられない場合は
見聞きした人に比べ、抵抗感なく電気ショックを与えている

つまりは想像したとおりの結果だ
目の前で見聞きしないと人の苦痛はリアリティをもって感じられない
自分より立場の上の人の意見は、自己判断を省いて聞き入れやすい

これは極端な例だが、日常生活でも属性(肩書)によって無条件に
その人の言い分を信じてはいないだろうか
「自分は難しい問題は知らない、だがものをよく知っているあのひとのいうことなら
 彼を信じて同じような判断をしよう」
選挙においてはこのパターンが少なくないと思われる

最近見られる傾向として、
「議論の際,他者の主張内容を批判・ 検討す るのではなく
他者の属性を踏まえ,その主 張を批判することがあると指摘されている 」
つまり話の本質的なところではなく、学歴とか立場等の属性によって
信じられやすいひとと受け入れられない人が多いようだ

わからないことは「自分で時間を費やして調べる」のは面倒で効率が悪く
それは他人に任せて「自分は他人の意見に追従する」というのは
省力化を求めるの人間の傾向なのかどうかはわからないが
「思考停止」にもつながるこの行為は、気をつけないと危なっかしい
というのはプロパガンダはこれを利用して行われることが多いからだ

自分が信用できると思える人は、本当に信用できるか
それを考えてみるだけで、そこには自己のチェックと判断が存在するから
漠然と条件反射のような行動をしているよりはずっと良いことと思われる

それにしても、テレビに登場する発信力のある人(?)は
何らかの意図のもとに出演している(させられている)のではないか、、、
と不安を覚えるこの頃

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投票率について

2021年12月18日 09時27分22秒 | あれこれ考えること

ずっと言われ続けていることに若者の投票率の低さがある
自分の若い時のことを思い出すと、偉そうなことは言えない
だが、「競り合わない状態は良くない」と直感的に思い
二番目の党に入れてきた記憶がある

若い人の投票率が低いのがわかっていると言うことは
年代別の投票率のデータはあるということだが
この投票率のデータの他の要素を加えて調べたらどうなのだろう

これは最近読んだブルデューの「ディスクタンシオン」の影響そのものだが
投票率(あるいは投票先)を単に年代だけでなく
所得、学歴、職業等を加味したものの調査をしたら、どんな結果がでるのか気になる

最近問題となっているネトウヨの属性は、若いひとというより壮年の中小企業の
経営者的な人が多いとかの報告をどこかで見たが、それはイメージと違っていた

このように投票率も、投票先も細かなクロス統計をしたならば
思いもよらぬ結果になっているのではないか
と、つい思ってしまうのは、明らかにブルデューの影響だが
彼は若者の投票率が低いのは、置かれているその時の環境だけでなく
つまりは教育のせいでもあるとしている

その教育は、親ガチャではないが現実に格差が存在する
容易に想像できるように経済的な分断は、知の分断、学歴資本と文化資本の格差につながる
この分断は思いの外クリアするのは難しい
(身についた仕草や趣味等の感じ方の共有感覚を持てないので、下から上のクラスには参加しにくい)

つまりは現実世界は日本でも階級社会になっているということで
それはあまり問題視されるほどになっていないようだが
一度丁寧な分析が必要だと思われる

問題はこれを誰が行うか?
ということだが、問題意識をもつ学者さん(あるいはメディア関係のひと)が
ブルデューを見習ってやってくれたら、、、とつい思ってしまう
(ブルデューは本当にいろんな分野の調査をしている、、それは羨ましいほどだ)

ということで、土曜日らしくない内容
(内容はないよう?)

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いきなり終わってしまった裁判について

2021年12月16日 09時45分07秒 | あれこれ考えること

それは怒りを覚えたニュースだった
故赤木俊夫さんの妻が国と佐川さんを歌えた裁判は、国が原告の訴えを認めて
賠償金を支払うようにしたとの報道で、その額1億円を超えるものだ

そもそも1億円の高額を赤城さんが設定したのは、賠償額が低い金額ならば
さっさと払って一件落着としてしまうのを防ぐ意味があった
常識的には1億円はそんなに簡単に払える金額ではない
(まして税金から)
だから簡単には支払うようなことはないだろうと想像した

ところが、国は原告の言い分を認めて払うことにした
よほど裁判を続けたくない理由があったように想像される

報道で知るだけのニュースだが、それにリアリティを感じるのは
自分たちも似たような経験をしているからで、自分は直接関与していないが
市議会議員の政務活動費について市民が訴えた裁判があった
それが今回と全く同じような経過となった

数回の裁判を経て、残るは証人喚問を行うだけ、そして結審の段階になった時点で
急に訴えられた議員は政務活動費の返却を行った
政務活動費の返却という争点を失ったので、裁判はそれ以上進めることができず
結果的にその訴訟はもやもやしたまま終了した

裁判というのは金額以外の実質的な勝ち負けについては
いろんな戦略(戦い方)があるものだと実感する

ところで卑劣な国の行為に腹をたてるのと同様に、気になったのは弁護士費用のことだ

自分は国は弁護士をたてて裁判に臨んでいたかどうか知らない
法に詳しい人達の集合だからあえて弁護士を立てずとも自分たちで戦っていける
として弁護士に委任していないかも知れない
だが法に詳しくても仕事は他に色々あるなら、それにかかりっきりになれない
だから実践的な経験と知識のある弁護士に任せるというのはあるそうな話で
どちらなのか知らない
ただ裁判は非公開で何回か行われていたようだ(正確な情報ではないかも知れないが)

国が被告になった場合、国は自分たちの手続き等が正しかったとするために
弁護を行い、それを弁護士に委任するなら弁護士費用は税金の中から使われる
その弁護士費用はどのくらいなのか気になるところだが
全く同じような出来事が我が市でも起きている

市民有志は市が土地購入に費やした金額が相場よりも高額だとして
余分にかかった分の返済を求めて訴訟を起こした
市は弁護士に委任し裁判に当たることにした
市民側の弁護士費用は市民側の自腹とかカンパで補ったものだが
市側の弁護士費用は税金からだ
市民が市のために良かれ(市の損害を戻そう)とした行為に市は税金を使って反論しようとする
市の反論は、自分たちの行為の正当性を客観的に証明するためなのは理解できる
だが問題は弁護士費用の金額だ

弁護士費用は何が高いかやすいかは、決めにくい
案件が違うし、弁護士の能力も違う
裁判が戦いの場とするなら優秀な弁護士に委任することになる
こうした場合、国とか市はどのくらいの弁護士費用を用意するのが適切なのかとても気になる

弁護士費用は、市民側(あるいは赤城さん側)がどのくらいかかっているか
を基準にして同じくらいの金額で行わなければ、不公平(このこの言葉が適説かどうかはわからないが)
に思えてしまう(まして税金から使われるのだから、できれば少なくしてほしいし)

国は赤城さんに一億円以上を支払う、そして多分、赤城さんの弁護士費用も
また国は弁護士を立てているなら、少なくとも着手金を支払っている(これも税金から)

一見、正当な段取りを踏んでいるように思えても、ちょっと考えてみると
なんだか容易に気分的に納得できないことはあるもので、今回の場合などはその典型だ

一番肝心なのは、裁判などという物騒なものにならないことで
そんな事態を防ぐために、関係する人たちが常識と倫理とか正義感、
あるいは全人格的な視野のもとでことにあたってほしいということだ

こういうのを鑑みると、国とか市は随分基本的なところで劣化していると思えてしまう
それは年取ると、怒りっぽくなるということかも知れないが、、

それにしても、、、怒れる、、国も市も、、








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読書

2021年12月14日 09時05分03秒 | 

2017年 41冊
2018年 54冊
2019年 63冊
2020年 48冊

とりあえず最後のページまでたどり着いた本の数だ
(読み終えたとは言えない)
今年は今のところ36冊で、まだ時間があるから37冊以上になると思われる

今年数が少ないのは馬力が落ちたと言うよりは
読むのに時間を要する小難しい本に挑戦しているからだ

振り返ってみるとその年ごとにブームになったジャンルがある
はっきり言えるのは今年は「社会学的な本、あるいは政治的な要素の多い本」で
あと少しで最後のページに辿り着く「ディスクタンシオン2」を始めとして
「社会学の根本概念」(マックス・ウェーバー)「社会学的想像力」C・ライト・ミルズ
「国家はなぜ衰退するのか」(タロン・アセモグル&ジェイムス・A・ロビンソン)
「人新生の資本論」(齋藤幸平)「絶望を希望に変える経済学」(アビジット・∨・バナジー&エステル・デュプロ)
「はじめてのヘーゲル法の哲学」(竹田青嗣、西研)「レイシズム」(ルース・ベネディクト)
その他いろいろだ

これらはストーリー展開重視の小説よりは明らかに読みにくい
だが、年令を重ねて実体験も増えた今、これらを読むと著者の言わんとすることが
すごくリアリティのあるものとして捉えられるようになっている
(と言っても「ディスクタンシオン」は何でこんなに解りにくい表現をするのか、、と
 いらつくところもある)

少し前の年は「源氏物語」がマイブームだった
「進化論」とか「生物学」的な分野に関心がいった年もあった
「行動経済学」にはまりつつあった年もあった

今年の社会学的な本は、悪戦苦闘の連続で「わかった!」とは
自信を持って言えないが、「読んでよかった!」とは確信を持って言える

特に直近の「ディスクタンシオン」は考えさせられる部分が多く
最後の近くの「文化と政治」の章は、世論調査の結果は無批判に受け入れることは
ある立場の人の支配を招くことになりそう、、と少しばかり恐怖を感じるものだった

今年もあと少し、アマゾンの欲しい物リスト(本)は
やっと少し軽めのものになってきた
その前に、あと少しの「ディスクタンシオン」を読み終えねば!



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新城吹奏楽団 第93回定期演奏会

2021年12月13日 09時44分37秒 | 音楽

やはり音を浴びるという感覚はいいものだ

前回は見逃してしまったコストパフォーマンスの極めて良い
新城吹奏楽団の演奏会にでかけた
最近はコロナのせいで宗次ホールにも行けていないし
まして大人数のコンサート等は全くのご無沙汰だ

この演奏会はいつも自分にとっては非常に満足度が高い
それは価格が圧倒的に安いというより
会場にいて何かを感じたり連想したりすることが
非日常的で、それは貴重な時間と思われるからだ

批判的に捉えるのが通っぽい印象があるが
音楽は「楽しんだもの勝ち」だと思う
アラを探すより楽しめる要素を十分に味わう
それが一番だ

演奏会は大きく3つに分かれていて、
いつも驚くのだが、最初には「初演」とプログラムに書かれた現代音楽が演奏される
今回は「深水」と「吹奏楽のための小品11」とタイトルされている
「深水」はまるでメシアンの音楽を彷彿とさせる音響で始まる
メシアンは嫌いではないので自分は抵抗感はないが、他の人はどうなんだろう
と少し余計な心配をしてしまう
だが、この(音響だけの?)極めて奇妙な音楽は
現代人にしかリアリティをもって感じられないと思う
続く「吹奏楽のための小品 11」は演奏が始まるとホッとした
「メロディがある」ということは、これほどまでに安心感を与えるものか
とつくづく感じ入った

二部は、吹奏楽に多大な貢献をしたアルフレッド・リード生誕100年を記念して
彼の作品を集めていた(彼のことはあまり知らない)
と言っても、この季節らしいクリスマス絡みの曲が並べられていて
聴いたことがある賛美歌のフレーズが時々現れて、一部ほどの緊張感はなく楽しめた

そこで大音響で音を浴びるという感覚を覚えたのだが
この大音響の必然性は、聞き手に大きな音ゆえのカタルシスを与えるだけでなく
作曲者の「どうしてもそうしたい」という気持ちとか癖が
現れているような気がしてならない
それは大好きなブルックナーが、ワンパターンの様に神を賛美する音響で終わる
曲作りを連想させられた

聞き慣れた音楽という点では三部が一番だったかも知れない
ムソルグスキーの「禿山の一夜」
ドボルザークの新世界の第2楽章
ヴェルディの「アイーダ」から賛歌
が演奏曲目で、ここで印象に残ったのは作曲者の国とその音色の違いだ

と言っても、はっきり違いがあったというのではなく、明らかに違うな
と思われたのはヴェルディの曲の時で、ヴェルディの曲は光の豊富な国、
日向と日陰のコントラストの際立つ国、母音の多いはっきりした言語の国の人が
作曲した作品だとつくづく実感した(先の二人と比較してわかったことなのだが)

とまあ、聴きながらあれこれ連想したのだが、こうした時間は「いつもと違う」
濃密な時間経過で、それ故に頭の中がスッキリした気持ちになれる

現場にいて楽しめたのは事実だが、いつも思うのはもっと楽しんでいたのは
演奏者たちだろうなということ
彼らの充実感がこちらに空気感染したのだと、つい思ってしまう
(空気感染は今は適切な表現ではない?)


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弁護士費用(備忘録として)

2021年12月12日 11時01分42秒 | 養鶏所騒動

日曜日らしくない、そして関心を持つ人もいないと思われるが
以下は自分自身の備忘録のために

批判ばかりとか、文句ばかりとか、何にでも噛み付いていてばかりと言われても
現実はその様に表にしない限り、知らないところで知らないうちにお金(税金)が
無駄に使われてしまっていることは少なくない
国は例のマスクのことだとか、その他いろいろあるが、市政についても同様だ

あまりいただけない出来事に住民訴訟にいたった出来事がある
市内の養鶏場跡地を、市は常識的な価格から大きく外れた価格(8倍)で購入したが
それは決裁権のある首長は市に損害を与えているのではないかとの解釈で
その損害分を個人としての市長職を務めた人に1億余の請求を求めたものだ

訴えた側の理屈が通るか通らないかは裁判の結果次第だ
ただ、こうした裁判に訴える行為は法的に認められているとしても現実はハードルが高い
その一つは弁護士費用だ
訴える側は被告側の市と違って税金から弁護士費用を捻出するわけではないので
身銭を切って行うことになる
もう一つのハードルは、このような行動に対する一般の人の反感
(文句ばかり言っている、済んだことを蒸し返すな)と圧倒的な無関心だ
知らないところで知らないうちに大きな金額が使われているぞ、、
と注意勧告を叫び続けても

制度的に(手続き上)訴えられているのは市となっているので
市は自らを守るために弁護士を用意する
今回備忘録として残そうとしたのは、この弁護士費用の算出、予算化の経緯が
感情的にどうにも納得できないからだ

市の弁護士費用は補正予算として先日の臨時議会に提出された
その金額が600万円超の大きな金額で、補正予算案は専決処分の認定としてだ
金額の大きさに訴えた側も驚くが、いろいろ調べていくと専決処分としたことも
なんだかよくわからない

まずは一つづつ確認していくと、弁護士は随意契約によって委託されている
その弁護士から見積もりが出ているようだが、この金額は以前からあった
弁護士報酬の計算式から出ているような印象をもつ
今回の場合、訴訟の損害賠償額が1億円を超えるので、その計算式を用いると
近い数字が出てくるようだ
ところが、この計算式は2004年に廃止されて、愛知県弁護士会のHPでは
弁護士費用は当事者同士で話し合って決めると書かれている

以前に市の幹部は弁護士費用については
「弁護士費用の統一的な算出式は現在は使われていませんが、かつて日本弁護士連合会が
 使用しておりました報酬等の基準がありますので、それを参考にしながら、、、」
と議会で述べている
やはり何らかのかたちであの計算式は生かされているような印象

原告の有志が訴訟に持ち込んだのは、決して市に無駄な金額を使わせるためではない
自分たちの弁護士費用は自分たちで用意して、それは覚悟している
でも弁護士費用として市がそれほどの大きな金額を使うとなると
訴えた側は、少し申し訳ないような気がしないでもない
市のために良かれと思ってしたことが、市に大きなお金を使わせることになるとは、、、

あまりにも高額な弁護士費用なので、いったい他市はどうなっているのだろうと気になって
豊橋市と豊川市の市議会の議事録を検索してみた
すると豊橋市は、例のユニチカ跡の土地の裁判の弁護士費用が検索にひかかった
それによると市側の弁護士費用は着手金が108万円、その他の報酬は計算中とあった
豊橋市の損害賠償額の金額は26億円で、新城市よりもずっと大きい
だが着手金は108万円
詳しいことはわからないが、どうも新城市の例が異様に高い印象だ

次に豊川市でもひかかった案件があった
これは豊川市長に1億8000万円の損害賠償を求めたもので、裁判は原告側の負けで結論が出たが
その時の弁護士費用が着手金31万5000円、報償費105万円となっている

やはり新城市の弁護士費用が異様に高い気がする
こういう場合、市の職員は他市の案件を参考にすることはないのだろうか、、と少し怒りを思える
どうも市が参考にしたのは、他市も弁護士は随意契約というかたちを取っているらしい
ということだけらしい

この弁護士費用はものの値段を知らないためか、
それともそんなに市に負担をかけたくないと思っているためかは定かではないが
とにかく高いと直感的に思う

この弁護士費用については先にあげたように臨時議会で、専決処分の認定(?)
という形で補正予算に上げられた
専決処分の認定と、単なる補正予算案の議決とは、素人には解りにくいが
現実的はだいぶ異なるような印象を持っている
後者の補正予算案が議決されないなら、その補正予算は執行できない(多分)
だが、専決処分は認定が議会で否決されても、そのお金の使い方はストップできない

そもそも専決処分は緊急時とか、議会が開けない時に首長が急遽、判断をしてお金を使う
と言ったもので、法律文を読むと、そりゃ仕方ないと思えてくるものだ
だが、現実世界で専決処分が乱発されたら、一体議会の存在は意味あるものだろうか
とも思いつく
それだけでなく、専決処分の限度額はないものなのかな?
とも思い浮かぶ
小さな金額だから議会の承認を得ずに支払って、後で確認のような認定を議会にしてもらう
というのは、わかる
しかし600万円という大きな金額を、議会が認定しようがしまいが、
首長の思うように使えるとしたら、そこはなんだか変ではないのかな!と思う

これらは専門家でない一庶民が素朴に思うこと
上にあげたことは素人ゆえに間違いがあるかも知れない
でも庶民感覚からすると、やはり変だ!との思いは消し去ることはできない

裁判だけでなく、その弁護士費用もおかしいと声をあげると
また文句ばかり言ってる!という扱いになるのだろうか

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