パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

いきなり終わってしまった裁判について

2021年12月16日 09時45分07秒 | あれこれ考えること

それは怒りを覚えたニュースだった
故赤木俊夫さんの妻が国と佐川さんを歌えた裁判は、国が原告の訴えを認めて
賠償金を支払うようにしたとの報道で、その額1億円を超えるものだ

そもそも1億円の高額を赤城さんが設定したのは、賠償額が低い金額ならば
さっさと払って一件落着としてしまうのを防ぐ意味があった
常識的には1億円はそんなに簡単に払える金額ではない
(まして税金から)
だから簡単には支払うようなことはないだろうと想像した

ところが、国は原告の言い分を認めて払うことにした
よほど裁判を続けたくない理由があったように想像される

報道で知るだけのニュースだが、それにリアリティを感じるのは
自分たちも似たような経験をしているからで、自分は直接関与していないが
市議会議員の政務活動費について市民が訴えた裁判があった
それが今回と全く同じような経過となった

数回の裁判を経て、残るは証人喚問を行うだけ、そして結審の段階になった時点で
急に訴えられた議員は政務活動費の返却を行った
政務活動費の返却という争点を失ったので、裁判はそれ以上進めることができず
結果的にその訴訟はもやもやしたまま終了した

裁判というのは金額以外の実質的な勝ち負けについては
いろんな戦略(戦い方)があるものだと実感する

ところで卑劣な国の行為に腹をたてるのと同様に、気になったのは弁護士費用のことだ

自分は国は弁護士をたてて裁判に臨んでいたかどうか知らない
法に詳しい人達の集合だからあえて弁護士を立てずとも自分たちで戦っていける
として弁護士に委任していないかも知れない
だが法に詳しくても仕事は他に色々あるなら、それにかかりっきりになれない
だから実践的な経験と知識のある弁護士に任せるというのはあるそうな話で
どちらなのか知らない
ただ裁判は非公開で何回か行われていたようだ(正確な情報ではないかも知れないが)

国が被告になった場合、国は自分たちの手続き等が正しかったとするために
弁護を行い、それを弁護士に委任するなら弁護士費用は税金の中から使われる
その弁護士費用はどのくらいなのか気になるところだが
全く同じような出来事が我が市でも起きている

市民有志は市が土地購入に費やした金額が相場よりも高額だとして
余分にかかった分の返済を求めて訴訟を起こした
市は弁護士に委任し裁判に当たることにした
市民側の弁護士費用は市民側の自腹とかカンパで補ったものだが
市側の弁護士費用は税金からだ
市民が市のために良かれ(市の損害を戻そう)とした行為に市は税金を使って反論しようとする
市の反論は、自分たちの行為の正当性を客観的に証明するためなのは理解できる
だが問題は弁護士費用の金額だ

弁護士費用は何が高いかやすいかは、決めにくい
案件が違うし、弁護士の能力も違う
裁判が戦いの場とするなら優秀な弁護士に委任することになる
こうした場合、国とか市はどのくらいの弁護士費用を用意するのが適切なのかとても気になる

弁護士費用は、市民側(あるいは赤城さん側)がどのくらいかかっているか
を基準にして同じくらいの金額で行わなければ、不公平(このこの言葉が適説かどうかはわからないが)
に思えてしまう(まして税金から使われるのだから、できれば少なくしてほしいし)

国は赤城さんに一億円以上を支払う、そして多分、赤城さんの弁護士費用も
また国は弁護士を立てているなら、少なくとも着手金を支払っている(これも税金から)

一見、正当な段取りを踏んでいるように思えても、ちょっと考えてみると
なんだか容易に気分的に納得できないことはあるもので、今回の場合などはその典型だ

一番肝心なのは、裁判などという物騒なものにならないことで
そんな事態を防ぐために、関係する人たちが常識と倫理とか正義感、
あるいは全人格的な視野のもとでことにあたってほしいということだ

こういうのを鑑みると、国とか市は随分基本的なところで劣化していると思えてしまう
それは年取ると、怒りっぽくなるということかも知れないが、、

それにしても、、、怒れる、、国も市も、、








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする