パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

成功体験を味わせてあげたい

2021年12月07日 09時55分40秒 | あれこれ考えること

寒い朝のこと、いつものように近所の子どもたちと小学校までのウォーキングに合わせて集合場所に行くと
去年までは一緒に歩いていた女の子が自転車の荷台に鞄をくくりつけている
最近はこの子も、もうひとりの同学年の女の子も以前のように屈託なく挨拶をすることはなくなっている
付添のボランティアを始めた頃は、一緒に遊ぼう、、と家までやってきて、そこで隠れんぼなどを
恥ずかしいという感覚を持たずに、当然の権利であるかのようにしたものだった

大きくなると恥ずかしさとか自意識が芽生えて、しかも男(おっさん)とは話すのも面倒に
なるのだろうな勝手に想像する
仕方がない、それも成長の過程なんだろう

彼女はセーラー服姿だった(下はスカートだ)
年寄りに育てられた子は寒がり、、と言われることがあるようだが
頭に浮かんだのは「それで寒くない?」という思いだった

「それで寒くない?ジャージじゃいけないの?」
「ジャージは駄目、通学は制服って校則で決まってるから」
「男の子はズボンでしょ」
「うん」
「なんか、不公平だね」
めったに会話ができにくくなってる子でも、以前の様に会話ができる

これからもっと寒くなる時期に女の子はスカートの制服姿で通学するのは
寒そうで可愛そうだな、と思う
「校則だから」の一言で、少しばかり理不尽ぽい行為をしなければならないことに
少し違和感を感じてしまう

こんな時、スウェーデンの中学生ならどうするのだろう?
すぐさまこんなふうに浮かんだのは、「あなた自身の社会」(スウェーデンの中学教科書)を
読んだのが頭の中に残っているせいだろう
あの本では給食の不満について、中学生が行ったことが書かれていた
どの国でも給食には文句が出るようで、当事者である彼らはみんなの意見をまとめて
●給食のおばさんの手当をアップする●自分たちの好きなメニューを20報告し、それをなるべく多く
メニューに挙げてもらう、●容器をサスティナブルなものに変える
と要望書を提出したとあった

この行動は親とか教師の間では一定の支持を得られたようだ
ただ現実には予算の関係もあり、達成されたのは最後の容器をサスティナブルなものに変える
というものだけだった

だが、このエピソードを知って、少しばかり羨ましくなった
自分たちの問題を当事者意識を持って、自分たちでできることをまずはやってみる
それが当たり前のようにできていることに、、

女の子は寒い冬でもスカート姿の制服で通学しなければならない
それが校則でも、そもそもその校則は実態を反映したものか?
何が何でも守らなければならないものか?
何でも問題意識を持つことばかりが良いこととは必ずしも思わないが
それでもおせっかいなおっさんはそう思う

こうした自分たちに直接関わる問題は、彼ら自身がまずは気づいて
その次に具体的な行動に移す、、、
日本でも(新城でも)そんなことが当たり前のようにできるようになれば、、と思う
無条件に無批判に言われたこと(例えば校則)を守るだけの生き方とか癖は
むしろ好ましいものではないのではないか、、と思えてならない

それは支配されやすい生き方につながるといった大げさなものではなくて
より良いものを手にする方法は、実は自分たちが当事者意識をもって
自ら動いて手にするほうが確実だということで
それは行動して上手くいった場合の成功体験は彼らにとってこの上なく
貴重なものとなりそうな気がする

ということで、ちょっとした問題意識を覚えたわけだが
ここで自己完結していては単なる自己満足とか広がりがないので
ちょいと思いついたことを具体的な行動に移してみた

最近は、開き直ったように、まずは思ったことを実践している
それが無駄になろうとお構いなしに、、
できることはそれしかないから




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする