パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

誰の話を信用しやすいか

2021年12月19日 09時59分59秒 | あれこれ考えること

誰の話を信用しやすいか?
は通常無意識に行っているので、気にしないことが多いと思われる
だが、その実態を細かくチェックすると少しばかり不安を覚えることになるかも知れない

当たり前のように、知らないことは知ってる人の話を信用するしかない
学問の分野では学者、スポーツの分野は経験者や評論家
政治の分野は政治家本人からなら良いが意外と影響を受けるのが評論家とかメディアからだ

政治的な問題は一つのことが多岐にわたるので、そのことだけで片がつくことはない
それ故に俯瞰的な視野を持つ人の話を受け入れるというのは現実的だ
だがその俯瞰的な視点と知恵を持つ人は、どのような人か?を考える時
人は直感とか対話における納得、印象でその人物を信用できると判断するか
と言えばそうではなくて、「肩書」から判断することが多いのではないだろうか

「肩書」的な要素は資格・学歴・実績などで、怖いことにこれらの他に
「知名度」あるいはメディアによく出ている、、ということが挙げられる

つまりは有名人は信じられる、、ということが一定数は起きてしまっていると思われる

人は誰の話を信用しやすいか?
誰の命令を受け入れやすいか?
これをえげつない実験で確かめた人がいた
アイヒマン実験とあだ名が付いた実験で、ある問題の回答を間違った人は
罰として電気ショックを受ける事になっていた
この実験の対象者は、実は命令を受けて電気ショックのボタンを押す人のほうで
彼はどのような人の命令(非人間的な行為の命令でも)を聞きやすいか
どのような環境下で苦もなく受け入れるか、、を確認したものだ

それは命令する人の属性(学歴・社会的なポジション等)の高い人が命令すると
それは良いことと納得して、電気ショックを苦もなく与えてしまうようだ
また電気ショックを受けた人の声とか姿が捉えられない場合は
見聞きした人に比べ、抵抗感なく電気ショックを与えている

つまりは想像したとおりの結果だ
目の前で見聞きしないと人の苦痛はリアリティをもって感じられない
自分より立場の上の人の意見は、自己判断を省いて聞き入れやすい

これは極端な例だが、日常生活でも属性(肩書)によって無条件に
その人の言い分を信じてはいないだろうか
「自分は難しい問題は知らない、だがものをよく知っているあのひとのいうことなら
 彼を信じて同じような判断をしよう」
選挙においてはこのパターンが少なくないと思われる

最近見られる傾向として、
「議論の際,他者の主張内容を批判・ 検討す るのではなく
他者の属性を踏まえ,その主 張を批判することがあると指摘されている 」
つまり話の本質的なところではなく、学歴とか立場等の属性によって
信じられやすいひとと受け入れられない人が多いようだ

わからないことは「自分で時間を費やして調べる」のは面倒で効率が悪く
それは他人に任せて「自分は他人の意見に追従する」というのは
省力化を求めるの人間の傾向なのかどうかはわからないが
「思考停止」にもつながるこの行為は、気をつけないと危なっかしい
というのはプロパガンダはこれを利用して行われることが多いからだ

自分が信用できると思える人は、本当に信用できるか
それを考えてみるだけで、そこには自己のチェックと判断が存在するから
漠然と条件反射のような行動をしているよりはずっと良いことと思われる

それにしても、テレビに登場する発信力のある人(?)は
何らかの意図のもとに出演している(させられている)のではないか、、、
と不安を覚えるこの頃

コメント
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