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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

足りないのはリベラル・アーツ(教育)

2011年12月09日 19時07分16秒 | Weblog

既にこんな言葉が存在していた
以前から足りないと思っていたもの
政治家もメディアも経済人も
欠けているのはリベラル・アーツ

こんなモノに実際的な効果があるのか
疑問視する人もいるのは事実
しかし、その実際的な効果を疑問視する人の
効果とはそもそも何を意味するのか
そして時間的にどのくらいの長さをもってして
判断しようとするのか

これが教育と言う名のお勉強タイムになったり
選別のための試験課題になってしまっては
本来の意味を成さない

この定義した通りの事が多く実践されれば
人のレベルは確実に上がる気がする

効果があるなしにかかわらず
このリベラル・アーツを身につけている人が
多い社会のほうが少ないよりも遥かに
良い世界のように想像できそうなのは
そして最終的な判断を間違えないように思えるのは
単なる夢想家のも思いに過ぎないのだろうか

結局、ザンデル氏も言いたいことは
ここに収束しそうな気がするが
やっぱりスルーされそうな考え方かな

この言葉を知ったきっかけはジョブズの事を
解説したこの投稿から
パソコンを生み、育て、葬った男」

話は例のごとく変わるけれど
もう一つ日本人が記憶しておかなくてはいけないし
実践しなくてはならない言葉が
「ノブレス・オブリージュ」

それにしてもこの国はこういう言葉が
何故一般化されないのだろう?

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余計な心配か?

2011年12月07日 22時00分46秒 | Weblog

100円ショップが進化している様子をテレビで報じられた
ワード・エクセルの使い方を説明した本も
そのほかこれが100円?
と思われる商品がいろいろと紹介された

しかし、単純に喜んでいいのか?
先に挙げた本などは100円ではできない
できるためにはどこか安い所で
製造していることになるのだけれど
それは、ある所で過度に負担がかかって
無理強いをされているところがある
という事ではないのか?

経済が、貨幣価値が違うからといって
安価な地域で作っていたとしても
そこに不公平はないのか?

最近、エンタメ映画の007でも
少し見るのが辛くなる時がある
それは悪役の部下とされる連中が
まるで人格がないモノのように排除されて(撃たれて)いく
そのシーンを見るたびに
彼らにも両親や友達恋人がいるだろうに
何故彼らはその状況にいるに至ったか?
などと考えて自分の都合のいい話だけを
受け入れることができない

結局両者は同じ意味で
簡単に喜んでしまうことができないということと言いつつも、
現在は便利な快適な生活を享受していることには間違いなく、
それをなしにすることが出来るかといえば
できると言えない自分がいるのも事実

ただ年齢を重ねると、色々見えてしまうこともあって
若いころには勝手にできたことが
できなくなることも多くなる
多分、それは人としていいことなのだろう
と思いたい自分がいる


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足りないのは全人格的な力

2011年12月06日 20時54分23秒 | Weblog

失言を繰り返す大臣
言葉尻を捉え本質を追求しないメディア
あれよあれよという間に韓国の企業に抜き去られる企業群

明るい話ではないが、これらの現象の根っこは案外同じではないか
簡単に言ってしまえば
人間の軽さから来ているように思えてならない

政治家もマスコミも経済人も
みんな人格者であれとは言わないが
地頭と言うか総合的な重みがない

政治家もメディアも経済人も
自分の仕事の目前の問題を効率よく処理する力はあるに違いない
しかしそれが本当に正しいのか?
と答えのない問を問う力はどうなのだろう
そんな問をすること自体
その業界で生き延びていけない
そんな反論が直ぐに出てきそうな気がするが
それでも敢えて言いたいのは
前提としてそうした哲学的な問を問わない人は
ダメなんじゃないかということ

最後の最後の判断
生きるか死ぬかの判断
この状態になった時、
必要なのは「運」は勿論だけれど
それより大事なのは最終的な判断を間違えないための
全人格的な判断力


多分この全人格的な判断力は普段の生き方からしか生まれない
この意味で、効率を求めるこの国の現状は危険水域ではないのか

この全人格的な判断力不足の人材
それは残念なことにもしかしたら加速しているかもしれない
それはゆとり教育のせいで
もう一度詰め込み教育をすべき!
と考えるのは安易すぎる
問題は「考える力」の不足
それが難しいのならまずは「感じる力」を
つけることから始めなくてはならない

昔は良かったというつもりはない
昔を知っているわけではないから
だが比較の面から判断すれば
日本の発想自体が西欧の徹底的に考え抜き
そこから秩序だった世界を作り上げるタイプと大幅に異なっていて
単に暗記、選別のための学問に終始しているところが
今の停滞を招いているように思えてならない

この発想自体は西欧のものを良しとする前提に立っているように
思えるかもしれないが、それは認めるとしても
この徹底的な思考に終止する世界は
それはそれで素晴らしいもので
日本にはそれに対応すべきものが無いのではないか

仮に同じような発想が今更この国では無理とするなら
それに代わる何かもっと別の価値有るものを
生み出さなければダメなんじゃないかな

さてそれが何になるか?
それこそ必死になって探すしか
手はないと思うけれど、、、



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ポールが選んだジョンの3曲

2011年12月05日 21時32分29秒 | 音楽

<!-- ジョンの3曲 -->

ポールマッカートニーが選んだジョンのジョンらしい曲は
Strawberryfields for ever・help・give peace a chance
確かにらしいといえばらしいかも
しかしメッセージ性を除くとヘルプ以外は少し自分にはキツイかな
ストロベリー・フィールズは現場を知っている人と
知らない人に差がありそうだしgive peace a chanceよりは
みんなで歌うんならハッピー・クリスマスの方が好きだな

反対にジョンが選んだポールの曲は何だったんだろう
多分 Hey judeは入る。後は、、、わからないな

自分の好みからするとイエスタデイは入らない
気分次第でレット・イット・ビー、シー・ラブズ・ユー、
エリナー・リグビー、フール オン ザ ヒル、オー・ダーリン
それからアナザーデイもジャンクもラムも好きかな

それにしても同時期に同じ地域に天才が二人生まれるというのは
歴史の必然かもしれないが、少し不思議

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楽しいのは音楽性が高いから!(25年以上前のメリークリスマスショー)

2011年12月04日 19時31分47秒 | 音楽

「検索してみればきっと見つかりますよ!」
そうだな、探してみようか「桑田佳祐 松任谷由実 クリスマス」で検索してみると、
なんと簡単に見つかったYoutubeの動画
25年ほど前のクリスマスイブ(だったかな)音楽スペシャル番組
出演者が凄い、桑田佳祐・松任谷由実・忌野清志郎・アルフィー・泉谷しげる
中村雅俊・爆風スランプ・米米CLUB・吉川晃司・鈴木雅之などなど

昨日はちょっと興奮して、懐かしさとその音楽的な楽しさに
圧倒されてしまったので、今日はそれを人に伝えようと思ったのだが
自分が面白いと思ったのは

青い影、レット・イット・ビー・愛さずにはいられない・竹田の子守唄が
同時に歌われる美しさ、楽しさったらない

他にも



まるで忌野清志郎なみの危険な歌詞だけど
これも音楽的に楽しい

それでこれを人に伝えようと紹介したのだが
その反応はチョット期待したものと随分違った

すごいメンバー・今なら放送禁止になってるね、みんな若い
バラエティー番組っぽいのに音楽番組、、、

音楽的な感想は聞けなかった
自分は何よりも音楽がすごいと思ったのに
ふーん、と言った感じで音楽については大した評価なし

ここでの音楽は多分クラシックで使われる方法を用いてる
オペラの四重唱 それぞれが勝手に自分の思いを同時に歌うとか
メドレー的にいろんな歌をつなげるとか
主旋律と対旋律の掛け合いとか
本当にワクワクするのに
どうして感動しないのかな?
と思ってしまう

ま、それも人の好みはそれぞれ仕方ないか
それにしてもこれを見つけたのはホントラッキーだった

チョットおまけにこれも楽しい
<!-- ブラックマジックウーマンと別れても好きな人 -->

もう一つおまけに

 

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柏レイソル優勝(レッズ、グランパス、ガンバについてあれこれ)

2011年12月03日 18時22分51秒 | サッカー

結局今年は一度も見に行かなかったJリーグ
テレビもまじめに見たわけではないので
果たして柏が優勝に値するチームかどうか
わからないけれど
今日の試合を見るかぎり
3-1でのレッズに対する勝利は順当なもの

今日の最終戦は例年と違って上位チームが勝って
ドラマティックな逆転劇はなし
昨年J2だっただけに柏のサポータの喜びは一汐だったに違いない

それにしてもレッズ
歯車が狂いっぱなしで最後までいいところ無しだった
サポーターは素晴らしいが、何かが変なんだろう
その証拠にいい選手が彼らの都合とはいえドンドン抜けていく

今年ではないが闘莉王、長谷部、阿部、小野、ポンテ
それに代わる選手が確保できたかといえば
結果的に疑問

サッカーはチームプレーというものの
実際には個の能力に頼る部分が多い
マンUもレアルもチェルシー・インテル・ミラン・バルサも
正直半端じゃない能力の選手ばかり
チームプレーという言葉は良い選手が揃って上での話
まずは選手有りき!
が日本では大きな声で言えないが事実じゃないのかな

それとだいぶ全体的なレベルが上がってきているというものの
チーム力アップの浮沈は助っ人外国人にまだ頼っているのが実情
良い助っ人を確保したところが良い成績に繋がっている
この意味ではスカウティング能力の優劣がモノを言う

この外国人頼りのサッカー
残念ながら外国人をパーツとして使うほどには
日本はまだ熟成していない
助っ人にゲームを作ってもらわなければ
勝ち切るサッカーはできていない
そして活躍する選手というのはゲームが作れる選手がいる所で
だからこそ日本では司令塔などという言葉が
いつまでも存在する

外国人選手の人に強いボールの持ち方は
アジリティのみでボール保持しようとする日本の選手は
もう少し真似たほうがいい様な気がする

ここからのレベルアップは細かいところに終始するので
目立って強くなることはないかもしれないが
いい酒、普通の酒の違いくらいが
これからは要求されること

話は変わってグランパス
正直ストイコビッチがこれほどいい監督になるとは想像出来なかった
勝ちにこだわるのは当然としても
選手心理をよくわかった使用方法は
繊細な感受性の持ち主と見受けられる

さて途中から投入された金崎、
カウンターになりそうな時に
中央でボールをカットされたり
センタリングが上げなきゃいけない時にグラインダーだったり
相手にぶつけたり
まだまだですなあ!

玉田は気迫あふれるプレー
FKは玉田なら入りそうで、藤本なら入らないと
読んだがその通りになった
この人は本山なみにセンスあると思う
若々しくて好きだな!

ガンバは遠藤がそろそろ年齢的に無理が効かなくなっていくので
これからどうやってクリアしていくんだろう
職人明神の後釜もちゃんと考えないと
ジュビロの二の舞になりそうな気がするが
果たして、、、

 

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巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

2011年12月02日 21時11分06秒 | Weblog

そうか、これなんだ!
と不意に以前から喉仏に引っかかった魚の骨みたいなものが
とれたような気がした

有名な孔子の論語の中の言葉
現実主義的な中国は
物の本質をズバッと言い表すけれど
これもその中の一つ

いいこと言っているのに
どうしても感情が受け付けないような人がいて
それが何故だかわからなかったが
人はそんなにいいことばかり言う人は
なまじっか信用出来ない
とも解釈もできる

そうなんだろう
人は神様みたいに完全じゃない
妬んだり、羨ましがったり、自慢したり
しかし、それだからこそ人間同士は
自分と一緒だ!と安心できるのではないか?

もっとも奇跡的に本当にいい人は存在しうる
しかし、その人だって知れば知るほど欠点も見つかるだろう

つまり、言葉にされた内容が非の打ち所のないものは
信用出来ないということ

はじめの言葉ありき!
ではあるけれど、言葉の内容だけでは
本質はつかめないのかもしれない

いつものように話は飛躍して
音楽の解釈でも似たようなことが言えそう
楽譜に忠実ばかりが正しい(?)のではなく
楽譜に書きこまれた、作曲家が求めたものを
想像力を駆使して判断する
それこそが本質を把握する方法ではないか?
もっとも把握したと思っても、個性によって把握の仕方が違ってくるので
やっぱり本質は見えてこないのかもしれないが、、、

結局人は見た目で(直感で)人を判断する
そしてその判断が割合多くの人に共通していたりするのは
その判断が間違っていないということ?

やっぱり人を判断するには直接会うのが一番なのでしょう
就職試験も面接が大事!
と言う事かな(企業側にとって)

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ハンディはあったほうがいい?

2011年12月01日 19時42分26秒 | Weblog

毎度のことながら、どうでもいいことを!

歴史の教科書では4大文明を始めとして
いわゆる文明が発展したところは
川による安定的な水の供給やら気候に恵まれたりして
環境に恵まれていたとされている

しかし、現在の状況から考えなおすと
果たしてそうかな?と思えないこともない
つまり、少しはハンディがある方が人は踏ん張って
却って文明が発達するなんてことはないだろうか?

簡単に食べ物が手に入ったり、寒さを凌ぐことが出来れば
人は何を好んで工夫・努力をするだろう
不便だからこそ何とかしようと工夫がなされる
その結果として道具も考え方も進歩と言われる領域に
達するのではないか?

これは結核菌も似たような行動を取る
いわゆる耐性の結核菌は
抗結核薬という過酷な環境があるからこそ
それに対抗して生き延びるために
意図的か条件反射かどうか分からないが
とにかく効果的な方法を取るようにしている(?)

また最近の治療方法だって昔と違って
自然治癒力を上げるためだといって
何らかの負荷をワザとかける
その負荷を乗り越える力こそが治癒力となる
と考えているのかな(?)
素人だからいい加減なことは言えないが

また一般の社会でも似たようなことは言えそうだ
ヘーゲルなら弁証法とか何とか言ってしまいそうだが(?)
幸か不幸か学歴に恵まれなかった人は
自分で頑張るしか無いから、現実的な知恵・工夫・闘争心を
身につけざるを得なくて、生活力は旺盛なものになる

ところが恵まれた環境に置かれた人は
自分で何とかすると言うより
人との関係性だけに知力を使うことになり
結果的にはあまりに役立つ力にはならないことが多い

世の中は、こうして似たようなパターンが
いろんな所で絶えず起きているのではないか?
DNAの世界でも、きっと

こう考えると
時間は生き物に関して存在し
生き物以外の物質には存在しないと言うか
意味はないのかもしれない
(これは誰かが言ってたぞ、誰か忘れたが!)

ところで話は一気に変わって
俳句には575の文字数の他に
季語を入れなければいけないと言う制限がある
この制約で却って豊かな世界を
作る上げることに成功していないか

水墨画は墨一色で無限の色彩を感じさせるが
これもまた制約があるために
想像力を鼓舞する技術を確立したに違いない

つまり、ハンディや制約は人の生活をある面豊かにする

もっとも、政治上・行政上の規制は
物によっては何もいいことはないかもしれないが

 




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