そうか、これなんだ!
と不意に以前から喉仏に引っかかった魚の骨みたいなものが
とれたような気がした
有名な孔子の論語の中の言葉
現実主義的な中国は
物の本質をズバッと言い表すけれど
これもその中の一つ
いいこと言っているのに
どうしても感情が受け付けないような人がいて
それが何故だかわからなかったが
人はそんなにいいことばかり言う人は
なまじっか信用出来ない
とも解釈もできる
そうなんだろう
人は神様みたいに完全じゃない
妬んだり、羨ましがったり、自慢したり
しかし、それだからこそ人間同士は
自分と一緒だ!と安心できるのではないか?
もっとも奇跡的に本当にいい人は存在しうる
しかし、その人だって知れば知るほど欠点も見つかるだろう
つまり、言葉にされた内容が非の打ち所のないものは
信用出来ないということ
はじめの言葉ありき!
ではあるけれど、言葉の内容だけでは
本質はつかめないのかもしれない
いつものように話は飛躍して
音楽の解釈でも似たようなことが言えそう
楽譜に忠実ばかりが正しい(?)のではなく
楽譜に書きこまれた、作曲家が求めたものを
想像力を駆使して判断する
それこそが本質を把握する方法ではないか?
もっとも把握したと思っても、個性によって把握の仕方が違ってくるので
やっぱり本質は見えてこないのかもしれないが、、、
結局人は見た目で(直感で)人を判断する
そしてその判断が割合多くの人に共通していたりするのは
その判断が間違っていないということ?
やっぱり人を判断するには直接会うのが一番なのでしょう
就職試験も面接が大事!
と言う事かな(企業側にとって)