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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

感情が見えると、理解しやすいのだが

2011年12月30日 20時30分40秒 | Weblog

前から不思議に思っていたことの解決のヒントが見つかったような気がした

それは、立派なことを話していても、実際に半端じゃない努力をしていても
ここが一番不思議なのだが「尊敬できない人がいる」ということ

単に好き嫌い、相性の問題だけでは無いようで気になっていたのだが
彼の話には、感情が見えないからだ!
と不意に閃いた(そんな大げさなものじゃない?)

確かに素晴らしいことを述べている
聞くに値する、しかし、心を撃たないのは
その人の感情が見えてこないからじゃないのか
役所の文章、契約書の文章、それらがとても読みにくいのは
ほとんど感情とは無関係のリズムで書かれているからで
反対に小説類が読みやすいのは(最近の小説は必ずしも読みやすいわけではないが)
感情移入がしやすいことが大きく関係している気がする

人は理性で多くのことを理解しているようでも
実は感情で最初にフィルターをかけて、その上で
理性という道具を使っているのではないか

話は例のごとく大きく変わって
フルトヴェングラーの演奏が興味深かったり
大きく感動したりするのは、この感情の移り変わりが
見える気がするからではないのか
正確なテンポ、正確なアンサンブル、でも機械的
それだけじゃ人の心は動かない
少しは違っていてもその時の僅かな感情の動きが反映されると
これは面白いものになる

演奏だけでなく作品自体も
ベートーヴェン、モーツァルトなどが馴染むのは
心理的に感情の流れをまだ感じ取りことができるからで
これがシェーンベルクくらいになると
なにか凄いことをやってるらしい!
とは思っても感動はしない自分がいる
(慣れが必要なのかもしれないが)

とにかく、正しいこと、倫理的なこと、精緻なこと、正確なこと
公式に発表されるものはなぜか
心に響かない
それらは反論のしようがない
でも、、、


話は飛んで、年末にはベートーヴェンの第9が
演奏されることが多いが、この曲のコンセプトなんかは
壮大で人はここまで崇高なものなのか!と驚き
そしてこの理想の高さ、曲の深さに感動する

しかし、自分がもっと好きなのは
「恋人か女房があれば、、、」
と歌うパパゲーノの存在やらその音楽

感情移入が第9よりずっとし易い
辛いことは逃げて回って、手柄は自分のものにしてしまおうとする
しかしに憎めないパパゲーノ

人はパンダのドジぶりにホッとして
寅さんの言葉にふと共感を覚える

世の中がもう少しおおらかに失敗を、ドジを
笑って過ごせる世界であればいいのだが
そして感情の発露をもっと自由に出来ればいいのだが
(それがないと突然切れて訳のわからないことを
しでかす事になりそうな気がしてならない)

コメント
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