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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

足りないのは全人格的な力

2011年12月06日 20時54分23秒 | Weblog

失言を繰り返す大臣
言葉尻を捉え本質を追求しないメディア
あれよあれよという間に韓国の企業に抜き去られる企業群

明るい話ではないが、これらの現象の根っこは案外同じではないか
簡単に言ってしまえば
人間の軽さから来ているように思えてならない

政治家もマスコミも経済人も
みんな人格者であれとは言わないが
地頭と言うか総合的な重みがない

政治家もメディアも経済人も
自分の仕事の目前の問題を効率よく処理する力はあるに違いない
しかしそれが本当に正しいのか?
と答えのない問を問う力はどうなのだろう
そんな問をすること自体
その業界で生き延びていけない
そんな反論が直ぐに出てきそうな気がするが
それでも敢えて言いたいのは
前提としてそうした哲学的な問を問わない人は
ダメなんじゃないかということ

最後の最後の判断
生きるか死ぬかの判断
この状態になった時、
必要なのは「運」は勿論だけれど
それより大事なのは最終的な判断を間違えないための
全人格的な判断力


多分この全人格的な判断力は普段の生き方からしか生まれない
この意味で、効率を求めるこの国の現状は危険水域ではないのか

この全人格的な判断力不足の人材
それは残念なことにもしかしたら加速しているかもしれない
それはゆとり教育のせいで
もう一度詰め込み教育をすべき!
と考えるのは安易すぎる
問題は「考える力」の不足
それが難しいのならまずは「感じる力」を
つけることから始めなくてはならない

昔は良かったというつもりはない
昔を知っているわけではないから
だが比較の面から判断すれば
日本の発想自体が西欧の徹底的に考え抜き
そこから秩序だった世界を作り上げるタイプと大幅に異なっていて
単に暗記、選別のための学問に終始しているところが
今の停滞を招いているように思えてならない

この発想自体は西欧のものを良しとする前提に立っているように
思えるかもしれないが、それは認めるとしても
この徹底的な思考に終止する世界は
それはそれで素晴らしいもので
日本にはそれに対応すべきものが無いのではないか

仮に同じような発想が今更この国では無理とするなら
それに代わる何かもっと別の価値有るものを
生み出さなければダメなんじゃないかな

さてそれが何になるか?
それこそ必死になって探すしか
手はないと思うけれど、、、



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