パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「正しいけど、面白くない」と「正しくないけど、面白い」の戦い

2020年11月21日 08時44分49秒 | あれこれ考えること

「正しいけど、面白くない」と「正しくないけど、面白い」を比べると
人を引きつける力があるのは、後者の方になりやすい
困った人物のトランプさんがあれだけの支持を集めるのも
日本国内でもフェイクニュースと思われるものが伝搬するのも
根本は似たようなところに原因があるのかもしれない

残念ながら、人は他人の悪口を言って気分解消をしてしまうところがある
そうすることによって精神的に自己を守ることができるのか、どうかはわからないが
知らず識らずやってしまいそうなのは自分でも経験がある

人の感情を駆り立てる大きな力は「怒り」だ
それが持続するかどうかはさておき、「怒り」は人の心に火をつける

自分たちが僅かに関わっている市政に関する案件でも
人々の間に「怒り」を共有できれば、もっと広がりを持つことが可能と考えることはできる
ただ「怒り」を持つためには、まずは実態を知ることが必要で、真面目すぎる人は
「実態を知れば怒りを覚えるはずだ」と考える
だが、実態を知るには少しばかり長い説明を聞いたり、調べなければならない
そうした行為は、自発的なものなら苦労はないが強制されると極めて面倒なものになり
最初から拒絶となりやすい
そこでテクニックとして、少し過激な表現としての個人攻撃的な要素を入れて
説明することを選択する人が出てくる
こうした表現はある意味「面白い」と感じるかもしれない
理屈よりも感情に直に訴えるからだ

より良いものを求めるためとしながらも、こうした手段が良いのかどうかは、なかなか難しい
これは確かに一部の人には受ける
しかし、反面そのきつい表現(あるいは一方的な主張)のために嫌悪感とか
近寄りたくない、、と感じる人も出てくる

人はどうしても同じ傾向を持つ人同士が集まりやすい
少しきつくても広がりを持つような表現なりメッセージを送るべきだ
と考える人は、それなりの数を確保する(感情的に理解しやすいから)
しかし「正しいけど、面白くない」とか「自己判断をするにはまずは実態の把握が必要」
と考える仲間は、あまり多くない、、というのが実態だ

こうした傾向はツイッター上でも見られる
右も左も、「個人攻撃」が花盛りだ
そこではもう感情の戦いになってしまっている
それは「そのほうが面白い!」と感じてしまうためではないかと思う

本来は目指すべきものは「正しくて面白い」かもしれないが、これは想像以上に難しそう

ところで、「正しいけど面白くない」を好まない風潮は、「反知性主義」あるいは
「反知性者主義」の増加傾向にも繋がりそう、、と考えるのは考えすぎか

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それは嘘つきか? | トップ | 去年の今日(11月22日)は、、 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事