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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

お米の価格についての実感

2025年05月22日 09時09分48秒 | 徒然なるままに

農家にとって、あるいは消費者にとってお米の適正価格はいくらなのだろう?
と言った本質的な問は一旦横において、生活者として実感すること

買い物は面倒くさい作業だが、自分は食品のそれは大して苦にならない
男に任せると変なものまで買ってくると評判の悪いこともあるが
あまり価格を気にしないで買ってくるから時にはヒット作もある
(最近は新城の特産らしい苺は同行者は購入しないが自分は見た目に負けて
 購入してしまうが、それが案外満足感を覚えるものだった)

でも一緒に買い物をするようになると、自ずと商品の価格を覚える
そして価格がいつもより高かったり他店より高いと購入を控えるということはある
価格は頭に入っているから、購入するときはその価格が判断の元になる

お米は以前はセールの時は5キロで2000円以下のものもあった
高くても2500円位で買えた
それがいつの間にか高くなって平気で3000円オーバーとなった
それが今はどうだ
そろそろお米が終わりそうということで、3倍のポイントの付く昨日
水曜日に購入しようとすると、棚にはわずかしかない
しかもその価格は5000円台
いくらこれしか無いと言っても5000円では、、と購入の気持ちが萎える

だがそのお米はその店ではめったに見ることのない魚沼産の米だった
ブランド米だから仕方ない、、と思いつつも
こういうときだけ妙にブランド米の存在感が大きいような気がしてしまった

結局、昨日は地元スーパー、チェーン店、ドラッグストアを回って
気持ちよく変える米を探すことになった
ところが、行動は全く効果がなかった
つまりどこへ言っても価格は5000円台だった

こうなると思い出したのは、お米とうどんとパンのコストパフォーマンスのこと
一食のエネルギー換算をしたときのコストを比べると圧倒的にパンが安いらしい
これじゃ、少なくとも朝はパンにする人は多くなるだろうな
味噌汁を作る手間も省けるし、、
つまりはこうした環境変化でお米の消費量は縮小していきそうな気がしてしまった

お米の価格は複合的な理由から高止まりしているようだ
でも端的には政府はこの状態は結果責任があると思える
いろんな試みをしているが、それらは消費者とか生活者の感覚を考慮しない
あるいは現場の状況を把握できていないからと思えてならない

なんだかな、、こうしたところにも現代のこの国の劣化が見える気がする
それを容認してきたのは確かに我々庶民だが、、
それにしてももう少しまともな人たちはいないのだろうか、、と思う毎日




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