オールドメディアは偏向している
真実は多様な意見が存在するSNSにある
少なくともオールドメディアは両論併記にすべきだ
とする考え方がそれなりの支持を得ている
(特に兵庫県の知事の問題について)
しかし、偏屈者の自分はそうかな?と思うこともある
一般的に公平とされる両論併記は、同程度に扱われることによって
弱者の戦術として使われることになってしまわないか
論点整理をして大した価値のない意見は多少無視しても良いのではないか?
自分は現実的な視点からそう思ったからだ
念の為、チャットGPTに両論併記の問題点を聞いてみると以下のように出ていた
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「虚偽の均衡」(false balance)
→ 科学的・論理的に優劣がはっきりしているにもかかわらず、あたかも対等な意見であるかのように扱ってしまう(例:気候変動否定論 vs. 科学的合意)。 -
弱者の戦術としての利用
→ 客観的な根拠に乏しい主張でも「もう一方の意見だ」と主張すれば、報道や議論の場に無理に割り込める。 -
議論の歪み・時間の浪費
→ 本質的でない議論に貴重なリソース(時間・注意・信頼)が奪われる。
これは自分が思っていることを代弁しているようなものだ
反対に両論併記の良いところは以下のように説明していた
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多様な視点の提示
→ 物事には複数の合理的な見方があることを示すことで、読者や視聴者の判断力を育てる。 -
報道・表現の中立性維持
→ 報道機関や教育現場が特定の立場に偏らないという信頼性を維持するため。 -
少数意見の保護
→ 支配的な意見に埋もれがちなマイノリティの声にも光を当てる。
なるほど、これもそれなりの意味はある
現実論として、価値のない意見を無視してよいか?と尋ねると
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Yes(無視してよい)
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科学的・倫理的・社会的に十分な合意がある事柄では、反証がない異論は取り上げる価値が低い。
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価値の低い意見にまで同等の時間やスペースを割くことは、誤解を招きやすい(誤情報の拡散など)。
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No(完全には無視できない)
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「価値がある/ない」の基準は時に主観的で、権力のある側が少数派の声を恣意的に排除する可能性もある。
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一見くだらない主張の中に、後の時代に再評価される発見があることもある(過去の科学史などに例多数)。
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こうなると、この問題を扱う人の個人的な判断ということになりそうだ
現実的な対応として紹介されたのは
バランス案(現実的な対応)
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「両論併記」ではなく「根拠に基づく報道/議論」へ
→ 両論を提示する際に、それぞれの意見の根拠・支持層・専門家の見解などを明確にする。 -
フィルタリングの透明性を確保する
→ どういう基準で「取り上げる/取り上げない」を判断しているか、明文化・可視化しておく。 -
論点の重みづけを意識する
→ 両論を出す場合も「主流の見解がこれで、異論としてこういう声もある」という構成で、誤解を防ぐ。
としているものの、結論としては(質問者の意向を反映して)こう答えている
両論併記は一見公平に見えるが、価値のない意見にリソースを割くことでかえって真実が歪むリスクがある。したがって、**「全ての意見を同じ重みで扱う必要はない」**という態度は合理的であり、その基準を明示した上で、取捨選択することはむしろ健全である。
自分の言いたいことを的確に纏めるAIはすごいな!
と改めて思うと同時に、今の世の中はこうした検討がなされたうえで
両論併記をすべし、、としているのだろうかと、少し不安になる