何事も比較することによって分る。
辛口の日本酒も、もっと辛いのを飲んでみると、
実はそれほど辛くはなかった、なんてことはありそうなことだ。
(辛さを表す数字はあるけれど、実感は数字通りとは異なるかもしれない)
サッカーでも同じこと、
中田選手、中村選手の様にキープ力があるのは、
玉離れのよすぎる小野選手のサポーター側から見れば
早くシンプルにさばけよ、となるが
一方、中田、中村選手のサポーター側から見れば
小野選手は、もう少しドリブル突破など
個人の力でなんとかするプレイもしなよ、
ということになるかもしれない。
だが、個人の評価については、あまりにも見る方の好みで左右され
エキセントリックになってしまいそうなので
ここではあまり取り上げず、
チームのことについての気づいたことに納めることにする。
ユーロッパのサッカーの試合を見ていると気づくことが
二つある。
一つは、シュートが枠にいって正確だということ
そしてもう一つは、ほとんどのプレイヤーが
「俺が、俺が」
と、自分の考えでプレイを選択しているように感じるということ。
特に、強くないチームの場合は顕著で、
チームとしてうまく機能していなくても
自分勝手にやっている様に見える。
ところが同じ強くないチームでも日本の場合は、
それらとは印象がかなり異なる。
そこで、感じることといえば
「いったい何がしたいのだろう」
という疑問だけ。
誰もが、何かしようとするのではなく、
やり方が分らん、うまくいかん、
と、いつまでも困っている姿が見えるだけ。
思うに、ヨーロッパのチームでは
「俺が、俺が」を、交通整理して効率よくするために
(ブレーキを踏むために)
チームプレイが存在し
日本では、約束事を作った方が楽なので
(アクセルを踏むために)
チームプレイが存在するように思える。
よく日本では、好まれて使われる「司令塔」という言葉も
ユーロッパでは、個々が職人的な仕事をすることによって
ゲームが流れていくので
厳密な意味での「司令塔」は、いないのではないかと思う。
さて、チームプレイ、どちらが好ましいといえば
自分は間違いなく、交通整理のためのブレーキを踏むための
チームプレイだ。
誰かが犠牲になるのではなく、個々の力を出し切った時
結果としてそれがチームプレイになっていた。
そんなのが、好きだな。
辛口の日本酒も、もっと辛いのを飲んでみると、
実はそれほど辛くはなかった、なんてことはありそうなことだ。
(辛さを表す数字はあるけれど、実感は数字通りとは異なるかもしれない)
サッカーでも同じこと、
中田選手、中村選手の様にキープ力があるのは、
玉離れのよすぎる小野選手のサポーター側から見れば
早くシンプルにさばけよ、となるが
一方、中田、中村選手のサポーター側から見れば
小野選手は、もう少しドリブル突破など
個人の力でなんとかするプレイもしなよ、
ということになるかもしれない。
だが、個人の評価については、あまりにも見る方の好みで左右され
エキセントリックになってしまいそうなので
ここではあまり取り上げず、
チームのことについての気づいたことに納めることにする。
ユーロッパのサッカーの試合を見ていると気づくことが
二つある。
一つは、シュートが枠にいって正確だということ
そしてもう一つは、ほとんどのプレイヤーが
「俺が、俺が」
と、自分の考えでプレイを選択しているように感じるということ。
特に、強くないチームの場合は顕著で、
チームとしてうまく機能していなくても
自分勝手にやっている様に見える。
ところが同じ強くないチームでも日本の場合は、
それらとは印象がかなり異なる。
そこで、感じることといえば
「いったい何がしたいのだろう」
という疑問だけ。
誰もが、何かしようとするのではなく、
やり方が分らん、うまくいかん、
と、いつまでも困っている姿が見えるだけ。
思うに、ヨーロッパのチームでは
「俺が、俺が」を、交通整理して効率よくするために
(ブレーキを踏むために)
チームプレイが存在し
日本では、約束事を作った方が楽なので
(アクセルを踏むために)
チームプレイが存在するように思える。
よく日本では、好まれて使われる「司令塔」という言葉も
ユーロッパでは、個々が職人的な仕事をすることによって
ゲームが流れていくので
厳密な意味での「司令塔」は、いないのではないかと思う。
さて、チームプレイ、どちらが好ましいといえば
自分は間違いなく、交通整理のためのブレーキを踏むための
チームプレイだ。
誰かが犠牲になるのではなく、個々の力を出し切った時
結果としてそれがチームプレイになっていた。
そんなのが、好きだな。