パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「政治と報道」(上西充子)を読んで

2021年03月07日 08時46分40秒 | Weblog

通販番組の定番的な表現に「気になるお値段」がある
「気になる」は、まるで「値段」の枕詞のようになっている
このようなあまり考えずに当たり前のように使っているものに
メディアの表現もあるのではないか、、、と問題提起しているのが
上西充子氏の「政治と報道」だ

帯のコピーにもあるような半ば定番化した表現に「野党は反発」「決定打を欠いた」
「与党はかわした」「安全運転に徹した」といった言葉を、この本では
それは実態と違っている言い方ではないか!と丁寧に取り上げている

例えば反発を反論と変えるだけでだいぶイメージが違ってくるし
決定打を欠いたというのも、単に政府が真摯に答えないだけの場合が多く
どちらに責任があるかといえば、圧倒的に答えないほうが悪い
これは国会中継を見ていれば、余程のことがない限りそう感じる

だが国会中継を丁寧に見る時間がなく、編集された報道を見るだけの人は
これらの表現でもたらされる情報を頼りにするしかなくなっている
これらの定番化した表現のもたらす弊害をメディア自身が感じているのか
あるいはある意図をもって行っているのかは大いに問題とされるべきだ

世間ではスッパ抜きを連発する週刊文春の報道を、驚きと怒りをもって知ることになっているが
なぜ週刊文春だけがこれが続けられているのか
なぜ大手のメディアはそうしたネタを報道できないのかといったことは疑問に思える
週刊文春の記者が独自に努力していることはさておいて(大手メディアもひとりひとりは努力している?)
そこには違和感を感じるべきところを感じないままでやり過ごしを常態化した大手メディアの様子が
紹介されている

その例として「桜を見る会」の問題が挙げられている
大手のメディアは「桜を見る会」に費用は、最終的には当初の予算を超えている傾向は気づいていた
またそれに違和感を感じられてはまずいと思ったのか、予算事態を急にアップして提出された事実も
分かっていた
おまけに、桜を見る会の現場には多数の芸能人やら著名人が参加していて
企画した関係者の中には「この会の目的がだんだんわからなくなっている」
との声があったのも耳にしていたようだ
テレビ局、新聞社はその会の様子を風物詩のように報道していた
普通なら違和感を感ずるべきところをルーティンワークとしてこなしていた

これに違和感を感じていろいろな情報を収集して問題提起したのが「赤旗」だった
この会の場合は、参加者が無邪気に参加した様子をSNSにアップしていたので
会の様子がどんな雰囲気のものだったのか、どのような人が招待されているのかが
分かってしまうことになり、それを赤旗の関係者は丁寧に収集し、それが国会での
田村智子氏の質問につながった

この質問は大きな衝撃を与えた(メディア関係者にも)
普通なら大手メディアも後追いをすべき報道と思われたが、当初はそれほど後追いを
する気ではなかったらしい
それがツイッター上で大問題としてトレンド入りする段階になって
メディア人としては恥ずかしい(?)後追いをすることになった

それから先の話は多くの人が知るところとなるが、一番の問題は大手メディアは
違和感を感じていなかった(感じていても何もしなかった)という点だ
メディア人はいつかすっぱ抜きをしたいと思うような人たちの集まり(と勝手に思っているが)
そのためにはオフレコの取材を、対象者と仲良くなってすることになる
このオフレコの取材は記者会見と違って記録に残っていないから
悪意あるいは特別な意図をもった人物は、嘘ではないが勘違いさせるような情報を
そっとお話するなんてことは考えられる

話は飛ぶが最近の例では、例の7万円以上の飲食接待を受けた山田真貴子氏について
田崎史郎氏はテレビ番組の中で、彼女はあの時病み上がりで多く食べられないし
お酒も飲めない状態で3万円分くらいした手を付けていなかった、、と発言した
しかし、この発言には自分は違和感を感じた
まずはこの情報はどこから掴んで、それを公表する意図(目的)はなにかという点だ

これが先程のオフレコの取材につながるのだが、誰も知らないかもしれない情報を
ある人からそっと伝えられる
その情報は、今回の場合は山田氏を少しばかり心情的にかばう効果があると想像される

仮にこれによって多くの人に同情の感覚をもたらしたならば、ぼそっとこの情報をした人は
ほくそ笑むかもしれない

報道はこうしたことが起きる可能性があるので伝えること、伝えないことを
意識的に区別していかなければならないと思う
特に注意を要するのが「〇〇さんはこう言った」と一見事実を報道しているような
ストレートニュースという類だ
その発言内容が事実と違っていても、〇〇さんがそう言ったのは間違いないから
平気で無批判的に報道してしまうのは、少し考えものだ
実際のところこの手の報道で自分たちも困った経験をしたことがある
(新城市の新庁舎建設に関する実務協議の結果を市が発表したとき、行政の言い分が検証なく報道された)

ということで、最近メディアとか報道をいうものの影響力について考えることが多くなってきている
世論調査とか人気投票なども、結局のところ知名度に左右されているような気がしてならない
政治家とか官僚に批判的にもの言いするだけでなく、実はメディアに対してもの言わないと
まずいかもしれないとつくづく思う

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 絵文字とかスタンプから連想... | トップ | それは事実と違う(住民投票... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事