この時期の京都は人が多く、バスでの移動は渋滞にハマると思い
時間が安定している電車・地下鉄を移動手段として選んだ
10時34分に京都駅について、そこから奈良線で東福寺駅まで行き
通天橋の東福寺には見向きもせずに、京阪に乗り換えて出町柳まで乗車
次に叡山鉄道の乗り換えて一乗寺駅で降りて、約一キロほど歩いて
目的の金福寺についた
所要時間は約一時間、、そんなものかな、、とい言う感じ
金福寺は特に紅葉が見事ということはない
どちらかといえば地味な寺で、芭蕉と蕪村で有名な寺らしいが
自分がここを訪れたのは「村山たか女」に関する遺品を見るためだ
村山たか女は大河ドラマ「花の生涯」に登場したついていない女性で
井伊直弼の愛人と想像されることもあった
そもそも井伊直弼は長男でもなく家族の中では
大老になるまでのポジションにいなかった
そののんびりできていた彦根時代に村山たかと知り合い
濃密な時間を過ごしたと思われる
ところが運命の悪戯で井伊直弼は江戸に行くこととなり
離れ離れになった村山たか女は、井伊直弼を影から支えることになった
井伊直弼の有名な「安政の大獄」のその対象者の調査等を
長野主膳の管理のもと京都で行った
ところが桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると
空気は一気に倒幕の流れになり長野主膳も村山たか女の息子も
倒幕派の刃に散ることになる
村山たか女も井伊直弼派の人物と認識されていたが
女なので(?)刑死のかわりに三条河原の一角に縛られたまま
3日放っておかれた
寒い時期なので放っておけば亡くなるだろうと、、想像したと思われる
だが村山たか女は生き残った
そして、見逃された彼女が行った先が金福寺で
結局彼女は明治の数年を生きることとなった
舟橋聖一の「花の生涯」と諸田玲子の「奸婦にあらず」では
村山たか女のついていない人生がそれぞれの視点・想像力で
物語化されている
自分はどうも運のない人が気になるので、この人物もどこか引っかかる
そこで村山たか女が直に書いた書とか、大事にしていたものが展示されている
この寺に訪れて、そこで何を感じるか、、を楽しむこととした
一番心がザワザワしたのは、井伊直弼から村山たか女に贈られた掛け軸で
掛け軸には井伊直弼の自筆で和歌が書かれている
これを村山たか女は34歳の時にもらって、ずっと大事にしていたらしい
その大事にした思いがこの掛け軸にどこかしら残っているようで
思わずキュンとしたのは、思い込みが激しすぎるのだろうか
この掛け軸の他に長野主膳に宛てた密書が展示されている
崩した文字で何が書かれているかさっぱりわからない
京都でスパイ活動をして倒幕派の動きを伝えているものらしいが
この密書からはどこか機械的な感じで、掛け軸から感じられるオーラは
伝わってこなかった
その他、村山たか女の自筆の文字がいくつか展示されていたが
上手い字でこの人の教養の高さを感じる事ができる
3年前のこの日(11月22日)は太秦の広隆寺で一年に一度だけ公開される
黄櫨染御袍を着用した崇徳太子像を見に行ったが
これもマニアックな人しか訪れないようで、自分の行くところは
へんてこなところが多くなっている
村山たか女のあの掛け軸を見た時の心の震えを後に
来た道を戻って叡山鉄道で出町柳へ
出町柳の近くは下鴨神社がある
せっかくなので行きあたりばったりの日帰り旅行の次の目的地にした
糺の森はまだ紅葉は進んでいなかった
落ち葉のある方が柔らかくて歩き良さそうなので、舗装されていない道を歩いた
歩いていると前回気づかなかったものが今度は目に入った
歴代の斎王を祀ったものだ
葵祭で主役のような斎王がこの場所でずっと祀られているのは
源氏物語を読んだり葵祭を見た身とすれば、見過ごすわけには行かなかった
下鴨神社は改めて建物がきれいだな!と感じた
スッキリしている
それは檜皮葺の屋根のせいなのか、直線が主体の建物のせいなのか
葵祭で勅使が使用する(?)舞殿もきれいだな、、と思ったりする
だがこのあたりで自分の体力の低下を感じてしまった
腰が痛いし脚が棒の様になりつつある
もう歩きたくない、、という持ちが徐々に大きくなる
それでも、、と思い重要な地域に入ると面白いと思ったのがこれだ
下鴨神社は生まれた干支でお参りする祠が違い、この写真に従うのだが
自分の干支の「八千矛神」なんてのは耳にも目にもしたことがない
そこで帰りながらの新幹線で「八千矛神」を検索してみると
大国主命の別名らしい
そういえば八千矛神のすぐ上のオオナムチの神も大国主命の別名だし
その上のシコオノカミも大国主命の別名らしい
不意に、何故出雲の神様がここに祀られているのだろうと頭に浮かんだ
そういえば奈良三輪神社も出雲の神様を祀っている
奈良も京都も、御所の近くに出雲の神様が祀られているのは何故なんだろう
そしてその神社が天皇とどういう関係があったのだろうか?
このあたりは想像力の豊かな歴史家がいろんな仮説を掲げていそうなので
機会があったら、それらを探すのも悪くないだろう
ということで、3年ぶりの京都はちょっとした発見と
自分の体力の低下を感じた一日だった