パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

祈りについて

2022年11月09日 19時37分15秒 | あれこれ考えること

「神は妄想である」とタイトルされた本に、祈りは現実的に何も効果は無い!
と断言した進化生物学者のドーキンスならば
自分の行った行為は批判の対象になったかもしれない
(確かにその時は自分も多少の違和感を持ったのは事実だが)

昔、仕事で癌封じで有名なお寺さんを訪れた時、一人の女性が声をかけてきた
普通の中年の女性だと思ったが、彼女は日本語が得意でない韓国の女性だった
「癌封じのお祈りはいくらなのですか?
 安いのと高いのがあるのなら高いのはいくらで、どう違うのですか?
 今、夫が癌を患っていて、なんとしても生きていてもらいたいのです」
彼女はこのようなことを見ず知らずの自分に話しかけてきた

その切実さ、真剣さ、勢いに負けて自分はその寺の人に尋ねた
今は忘れてしまったが、確か祈祷には何種類かあって
安いものと高いものは数倍の金額の違いがあったと思う
そしてその違いは、その人のために安いものはその日だけ祈り
高い方は毎日(毎月?)祈りをするというのもだった

女性にその内容を話すと、彼女は何の迷いもなく高い方の祈祷を選択し
自分の財布には入っていることのない金額を支払った
正直なところ、違いがそんなところだったり、祈祷が効果あるかは当てにならない
と思っていたので、無茶な選択はやめたほうが良い、、と言いたくなってしまった

だが、結局自分は彼女に何も言わなかった
言える雰囲気ではなかった

今でも覚えているのは、この時の自分は正しかったのだろうか?
とずっと気にかかっていたからだ
客観的にみればドーキンスの怒りが正しいと思える
しかし、切羽詰まって、残されたことは祈りしかなかったならば
自分たちはそれを他人事の様に批判することが出来るだろうか

科学の進んでいない源氏物語や枕草子の時代
病からの平癒は祈祷に望みをかけた
今から見れば馬鹿げたものに見えても、その時代の人々の切実さは疑う余地はない

祈り、それは単に祈る人の自己満足に過ぎないのかもしれない
でも、あの時と違い年齢を重ねた今は、そうした切実な思いからでた(祈祷という)行為は
無駄であったとしても、その人のために良いのではないか、、と思えるようになった

気になった高すぎる祈祷料についてだが
そのお寺さんは癌撲滅のための活動をしている団体等に毎年寄付をしている
つまりは、お金は今の感覚でも無駄になっていないということだ

しかし、今問題となっているあの宗教団体(というより金儲け集団)のことを思うと
またもや祈りに頼ることは良いのだろうか、、とも考えてしまう
人の世は難しい!










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月食中継で、懐かしい名前「ビクセン」が目に入った

2022年11月09日 09時24分23秒 | 徒然なるままに

やはり昨日の天体ショー(皆既月食)はYoutubeのライブ中継があった
地元の天気は晴れなので直に見ることができたが
iPhoneで撮影しようとしたところ、SEなので望遠レンズはなく
拡大するとざらついた写真にしかならなかった

月は徐々に左下から欠けていき、全体が地球の影に入ると赤っぽくなった
写真という記録に残したものよりも、自分の目で直に見る月のきれいさは
生き物に備わっている能力の凄さを実感した

Youtubeはいろんなところがライブ中継をやっていて、そこで懐かしい名前を見つけた
「ビクセン」がそれで、昔雑誌の天文ガイドを定期購入していた時に頻繁に目にした
望遠鏡のメーカーだ
その頃自分は屈折式の望遠鏡を持っていて、同級生の友達は反射式の赤道儀だった(と思う)
時間に伴う星の動きに赤道儀ではない望遠鏡はついていけないので
覗いている時間は短いものになった
それでも木星の模様とか衛星は見えたし、土星の環も認識できた
時々画像がユラユラするのは地球上の空気の動きのせいだった

今でも覚えている印象的なことは、プレアデス星団(日本名は昴)を見ていた時のことで
屈折式の望遠鏡は視野が広く、目が慣れてくると星がウジャウジャと増えてきて、
それを見ている自分はその空間に吸い込まれそうな気持ちになった
そして耳に聞こえたのは「シーン」という音だった

「チコちゃんに叱られる」では、静かな時なぜ「シーン」というのか?
との問があったが、実際に耳にはシーンと聞こえていたからとの解説があったが
それは自分の実感でも納得できたのだった

ビクセンはその頃欲しかった赤道儀の望遠鏡を広告に掲載していて
今で言えば「欲しい物リスト」の筆頭となる商品のメーカーだった

星は夏より冬のほうがきれいに見える
天文ガイドは望遠鏡(赤道儀)にカメラを設置して
上手く撮影する方法を解説していた
長時間露光テクニックとかフィルムの種類とか(トライX)
自分には手に入らないものだったが、そこにでてくる言葉は自然と覚えた

それにしても、月食を計算によって予想できていることは
一体どういう計算をすれば出来るのか、、と驚きと同時に疑問も浮かぶ
いつだったか忘れたが「日食(月食)の計算式」というのをネットで
ダウンロードしたことがあった
しかしダウンロードした記憶はあるが計算式等を見た覚えはない
このあたりは手に入れたら興味は半減するの典型で、情けないところだ

現代なら複雑な計算もコンピューターで出来るが
ガリレオ等の活躍した時代は筆算でするしかなかっただろうから
ものすごく大変だたろうなと想像する

そう言えば近くの東栄町には、比較的口径の大きい望遠鏡を備えている天文台
があるから、昨日は人でいっぱいだったのだろうか



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