パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

無意識的に同調する傾向と個人の判断

2019年07月08日 08時41分35秒 | あれこれ考えること

読書好きはベストセラーを読まない傾向にあるらしい
他人の価値判断よりも自分自身の選択基準があって、それに従って読む本を決めるから
ベストセラーとか本屋大賞はさほど気にならないと思われる
これは自分自身が納得する

話は飛んで、参議院選挙を控えていろんなアンケートとか世論調査結果が
メディアに公開されている
選挙すればでてくる結果にもかかわらず、その前に過度に予想数を報道するのは
果たして意味あることなのだろうか
そして、それは危険性を孕んでいやしないだろうか

自分の意志が他人の意見に左右される  といった実験がある
ソロモン・アッシュの実験がそれで、
右側の図には三本のそれぞれの長さが違った戦が描かれている
左の図にはそのうちの一本と同じ長さの線が描かれている
三本のうちどれが同じ長さの線かを問う実感だ
ぱっと目に答えはわかる
この実験を一人で行ったときはほとんど正解を答える
しかし、答える側にサクラを入れて、そのサクラが間違った答えを耳にする機会があるときは
人は答えを間違える傾向にある
自分は間違っているかもしれない、、と不安になって、多くの意見に心ならずも従ってしまう傾向があるのを
明らかにした実験だ
つまり、人は同調圧力に屈する傾向があるということ

ここでソロモン・アッシュの実験についてのページはこちら→人は誰でも同調圧力に屈する

またまた話は飛んで、若い世代には安倍さんや自民党の支持率が高いと報道されている
ところが、いくつかの質問に答えることによって、
自分が本当はどの政党を支持しているのかをわかるようにした調査をした場合
その結果は、世論調査のような結果に落ち着くだろうか

現実に、ウエブ上に「政党との相性診断」というページがある
それがこちら→政党との相性診断

これを行うと若者は無意識に答えていた自分と違う自分が発見できるかもしれない
いやそれどころか、多分、答えは多様性に分散すると思う(勝手な想像だが)
この結果を踏まえた時、若者はもしかしたら心のなかで支持しているかもしれない政党を支持するのか
それとも世間的に有名な、みんなも多そうな政党を支持するのか
これをソロモン・アッシュの実験と合わせて考えるととても興味深い

読書好きは自分の判断基準を持っているから、世間がベストセラーをいくら騒いでもあまり気にしない
その時読みたい本を、まるで導かれるような運命的な出会いとして、自らのうちに湧き上がってくるものに従う
本に対する情報とか理解度が高いから自分を信じることができるのだろう
ところが、政治のような一種抽象的な話に対する情報や知識を持っておらず、判断すること自体が不安を覚えている若者は
ついつい寄らば大樹の陰のような判断をするのではないか
その結果が現政権への無意識な支持となっているのではないか(と思ってしまう)

ミシュランガイドの店に行ってみる、評判の観光地・スポットに行ってみる、トレンドになっている商品を購入してみる
そしてそれらを実体験していることを公にし、一種の見せびらかしを行う
それは全世界的に行われているから、人はそういうものなのかもしれないが、少しばかりへそ曲がりはこの状態を悲しいと思う

他人に左右されすに自分で何かを決める
映画「新聞記者」には「誰よりも自分を信じよ、そして疑え」
映画「ボヘミアン・ラプソディ」では「I decide who I am」
少しニュアンスは違うがエーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」などで
自分自身の内面を信じることの大事さを説いている
これは多分大雑把な言い方をすれば「個の確立」に集約されるだろう

日本の社会は世間様に左右される
この世間が「誰かが見ている」という倫理的なものならばいいのだが、
どうもそうではなくて、世間と違うものを受け付けない、、ようなニュイアンスが強い
過度に同質性を要求する社会に思えてならない



コメント
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