パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

市政モニター・アンケートからわかること

2019年07月03日 20時57分09秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題
別のブログからの転用

6月の新城市議会で滝川議員が新東名高速バスについて一般質問を行った
「山の湊号」と名付けられたこの高速バス事業は実証実験として
1年に(結果的に)約4000万円ほどの経費を計上することになっている
今年度は実証実験の最終年で、来期も継続するか中止しするかを判断することになるが
どうやら今年9月くらいまでに大体の方向を決めるらしい

継続する、やめる、、そのどちらの判断をしても困る人は出てくる
ここで肝心なのはコストベネフィット分析で、かけた費用分の効果が出ているか
を数字できっちり考えることだ
抽象的な「〇〇の効果もあるものと考えられる」という一種言い訳のような分析は
税金の使い方を考えれば、あまりにも無責任に思えてしまう

ところでこの高速バスについて、新城市は継続的にアンケート調査を行っている
新城市政モニター・アンケートがそれで、スタート時の2017年から2018年、2019年と
3年間の変化も見ることができる
(新城市政モニター・アンケートは他の問題についても調査している)

そこで3年間の変化のエクセルの表でまとめてみた
その表が以下で、知名度、利用度、利用したいか、どうすれば利用するかの問がある

表をグラフ化したのが以下
ここで少し驚くのは、知名度が3年目が2年目よりも下がっていることだ
(知ってる人は下がり、知らない人は増えている)
1年目は何かと話題になったから頭に入ったが
走っていることが普段の生活になってしまった3年目は、もう人に訴えないかのよう

3年目は2年目より冴えない残念な傾向は、利用度の項目でも見られる
利用したことがあるという人は2年目よりも3年目が下がっているし
利用したことがない人は2年目よりも3年目のほうが増えている
誤差の範囲と言い訳があるかもしれないが、こうしたトレンドは偶然で済ますことができない


不安がもっとはっきり現れるのが次の項目だ
今後利用したいか?と問に、なんと利用したくないと答える人が年々増えている(緑が3年目)

更に次のグラフは更に驚く
どうすれば利用するか?の問に、
グラフの右から二番目の「どんなに便利になっても利用することはない」が年々増えている


このグラフから見れば(その傾向から見れば)この高速バスは市民の支持を失いつつある
というのが現実ではないのか
ここで、このグラフは意地悪なデータのグラフではなく、市が行っているモニター・アンケートの
数字を基に作ったもので、悪意を持って加工したものではない

でも本当に残念なのは、このような結果が出ることはある程度予想できたことではないのかという点
やってみなければわからない、、との考え方があるが、やらなくてもある程度の予想がつく
ということもある
今回の場合、行政も議会も現実的な計算なり思考をしたのだろうか、、、
と疑いを持ってしまう
ところで、この事業はどうのよな結末が待っているのだろう、、、まさか、、、

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ちびさんたちが おりこうさんに なりますように」

2019年07月03日 08時20分48秒 | 子どもたちのこと

前回に続いて外国出身の子の勉強の手伝いでのこと
昨日火曜日は低学年の日
会場の入口には笹が立てかけてあった
この教室の中心となる方が7月7日の七夕に向けて用意したものだった

勉強がスタートすると中心人物は白紙に笹の葉と短冊の絵を描いて
今からしようとすることをざっくりと説明をした
七夕の行事で日本人ならわかるかもしれないが、そのような文化のない彼らには
その意味はあまり良くわからなかったかもしれない
それでも子どもたちに短冊を一枚一枚渡して
そこに欲しいもの、なりたいもの、夢みたいなものを書くように促した

まずは鉛筆で書いて、書けたら今度はマジックで書くように伝えた
5分もかからない作業だが、これがなかなか進んでいかない
とにかく気が散って仕方ない

それでもようやく書き終わると、書いたものを見せてもらった
全部ひらがなで書いてある
「ぼくはもとにほんごがうまくなりたいです」
残念、もとじゃなく、もっとなら小さな「っ」を入れなくちゃ

「すいっちがほしいです」と書いたのは別の男の子
すいっちって何?
自分だけでなく手伝いに来ている別の大人もつい彼に聞いてみる
すいっちを扱う動作をしているのを見るとどうやらゲームの機械のよう
「それならカタカナで書かなくっちゃ!」
ひらがな、カタカナ、それに漢字、、、日本語は難しい

「僕も書いてみたよ、読んでみて」
と自分の短冊を見せる
「ちびさんたちがおりこうさんになりますように」
ひらがなばかりだからとりあえず読むことはできる
「この意味わかるかな、、ちびさんたちって誰のこと?」
「僕たちのこと?」
「そう当たり!なら、おりこうさんの意味はわかるかな?」
それを聞いてた手伝いの方が
「おりこうさんというのは、、、、」
と説明をする

こうして出来上がった短冊を今度は笹の葉にくくりつける
それだけのことだが、昔自分たちが親たちからしてもらったことを思い出した
何かに見守られているような安心感、何もかもが肯定されているような気分
彼らは今どのように感じているのだろう
今は何も感じていないとしても、おとなになった時、フト思い出してくれると良いのだけど




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする